第4話『強欲』
※
アルカが目を覚ますと、そこは倉庫だった。
意識を失ってからそれなりに時間が過ぎたようだ。
天井付近にある窓から白々とした光が差し込んでいる。
体を起こして視線を巡らせると、周囲には子どもが十人いた。
その中にはJとSの姿もある。
JとSは棍棒を手にした男を睨んでいる。
大方、男を倒せば逃げられるとでも考えているのだろう。
「アルカ、目を覚ましたんだね」
「……アーネスト」
アーネストがアヒルのように躙り寄ってきた。
「僕達は攫われたらしい」
「……見れば分かる」
情報共有は大事だが、分かり切ったことを神妙な顔で言われても困る。
「……見覚えのある顔は?」
「アルカ以外は同級生だよ」
営利誘拐という言葉が脳裏を過ぎるが、アーネストの同級生――精霊術士の卵が集められていることを考えると人身売買の可能性が高い。
洗脳して兵士にでもするつもりなのだろう。
「……キ●ガイに人殺しの仕方を教えている訳ではなかった。この国はなかなか考えている」
つまり、洗脳される前に洗脳してしまえということだ。
JとSを見ていると方針を変える必要性を感じるが、大人になる頃には国家のために喜んで命を投げ出せるようになっているかも知れない。
「……素直に従ってればアーネストの生存率はアップする」
「アルカは?」
「……死ぬかも知れない」
アーネストは顔面蒼白になった。
大人しくしていればという条件は付くが、犯人は精霊術士を手荒に扱ったりしないはずだ。
逆に言えば精霊術士でないアルカを手荒に扱わない理由がない。
「逃げ……」
「静かに」
アルカは人差し指を唇に当てる。
「……あくまで可能性の問題」
「どうして、そんなに落ち着いてるの?」
二度目だから、と言いかけて口を噤む。
どれほど自分は汚染されているのか考えるとうんざりする。
「……今は落ち着いて考える時」
「どうするの?」
「……どうもしない。救助を待つだけ」
床に横たわる。
子どもの体力で誘拐犯から逃げられるとは思えない。
体力を温存しながら救助を待つべきだ。
「……ちょっとだけ足掻いてみる」
ネズミが倉庫の片隅からこちらを見ていたる。
「……おいで」
チュー、とネズミが近づいてきた。
「あ、アルカ?」
「……大丈夫」
ネズミはアルカの前髪を銜え、思いっきり引っ張った。
髪の毛が何本か抜ける。
「……宜しく」
ネズミは小さく鳴くと倉庫の片隅にある排水溝に戻って行った。
両親の所に辿り着けばいいのだが、途中で犬や猫に襲われる可能性が高い。
「話せるの?」
「……何となく分かる」
アルカは静かに目を閉じた。
※
「アルカ、アルカってば」
「……む」
小さく唸りながら目を開けると、アーネストが隣にいた。
Jも一緒だ。
眠い目を擦りながら体を起こす。
見張りの男は居眠りしているらしく頭を前後させていた。
「脱走するから手伝え」
「……断る」
断られるとは思っていなかったのか、Jは鼻白んだ。
「……私は子どもの計画が通用すると考えていないし、貴方のことを信用していないから手伝わない」
「チッ、お前なんか死んじまえ。アーネストはどうするんだ?」
「ぼ、僕は……」
苦手意識が残っているのか、アーネストは口籠もった。
助けを求めるようにこちらを見る。
「僕は残るよ。アルカを残しておけないし」
「……ッ!」
Jは無言でアーネストを殴るとそのままS達の所に戻って行った。
幸いにも見張りは眠ったままだ。
「……アーネストだけなら逃げられた」
「僕だけ逃げても仕方がないよ。それに……僕とアルカの命が掛かっているのに信じていないヤツの計画に乗れないよ」
どうやら、アーネストはアルカを守ろうと考えているようだ。
エルウェイ卿はとてもよい教育をしている。
「ネズミはどうしたかな?」
「……過度の期待は禁物。所詮、ネズミ」
家に辿り着けたとしても両親が神がかった洞察力を発揮しない限り真実を知ることは不可能だ。
「……こんなことになるのなら犬と仲良くしておけばよかった」
「確かにネズミより頼りになりそうだね」
アーネストが微笑んだその時、倉庫が真っ赤に染まった。
アルカはアーネストを抱き締めて床に伏せた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」
視線を動かすと、炎に包まれた見張りがのたうち回っていた。
Jが精霊術を使ったに違いない。
「扉を破れ!」
「分かった!」
Jが命令すると、Sは扉に向けて手の平を向けた。
黄色の光が集まり、円錐状の岩が形成される。
ドンッ! という音と共に岩が放たれるが、扉に穴を空けただけだ。
Sは断続的に円錐状の岩を放つ。
五発目で扉が倒れる。
「行くぞ! けど、お前達はダメだ!」
Jは振り返るとアルカの足下に向けて握り拳大の炎を放った。
幸い、炎はすぐに消えたが、アーネストはガクガクと震えている。
「そこにいろ!」
子ども達は外に出て行った。
まあ、あれだけ大きな悲鳴と音を立てたのだ。
逃亡は失敗するだろう。
見張りの男を酸欠状態にして蝶番を焼き切った後、夜陰に乗じて逃げるべきだった。
「どうしよう?」
「……取り敢えず、そこの男を助ける」
見張りの男は火を消そうとのたうち回っている。
「誘拐犯だよ?」
「……助ければ味方してくれるかも知れない」
辺りを見回すが、火を消せそうな物はない。
せめて、大きな布があれば酸素を遮断して火を消せるのだが。
「僕がやるよ。精霊さん、お願いします」
アーネストがお願いすると、緑の光が見張りの男を包み込んだ。
全く風を感じなかったが、炎は瞬く間に消えた。
「精霊さん、ありがとうございました」
緑の光は一瞬だけ強く輝き、空気に溶けるように消えた。
アルカは見張りの男に歩み寄る。
Jの炎は見た目ほど強くなかったらしく皮が剥けている程度だ。
見張りの男はアルカを見つめていた。
「何で助けて?」
「……貴方を助けて心証をよくしておきたかった」
見張りの男は驚いたように目を見開いていたが、倒れている場合ではないと気付いたらしく頭を振りながら立ち上がった。
「ああ、クソッ。ガキどもに逃げられたら兄貴に殺されちまう。お前ら、動くんじゃねぇぞ」
「……分かった。大人しくしている」
アルカはその場に座る。
アーネストが隣に来て腰を下ろした。
「いいか? 扉がないからって逃げるなよ!」
「……分かった。逃げない」
見張りの男は疑いの眼でアルカを見ている。
「……安心して欲しい。逃げろという意味だと曲解したりしない」
「薄気味悪いガキだな」
「……自分でもそう思う。両親に申し訳ない」
子どもらしくない上、引き籠もり、さらには自傷を繰り返していたのだ。
迷惑を掛けて申し訳ないと思う。
「兄貴!」
「そんなデカい声を出さなくても聞こえてるよ」
見張りの男が叫ぶと、黒ずくめの男がJを担いで倉庫に入ってきた。
無造作にJを投げ捨てる。
Jはすぐに立ち上がり、黒ずくめの男に炎を放った。
だが、炎は黒ずくめの男の手前で消えてしまった。
目を凝らすと、黒い光が黒ずくめの男から立ち上っていた。
精霊術を無効化したということは精霊の力なのだろう。
心臓が大きく鼓動した。
黒ずくめの男も同じなのかアルカを不思議そうに見ている。
だが、すぐに興味を失ったらしくJに視線を移した。
「全員、捕まえましたぜ」
「ああ、ご苦労」
部下と思しき男達は倉庫に入ってくるなり、担いでいた子どもを投げ捨てた。
殴られたのか、怪我をしている子どもが多い。
「……どうやって?」
全員が精霊術士とは思えない。
何かトリックがあるはずだ、とアルカは目を細めた。
すると、糸のように細い光が男達に絡みついていた。
ふとあることに気付く。
黒ずくめの男が黒い光を立ち上らせているのに対し、部下達は一カ所から糸が伸びているのだ。
「……分からない」
精霊術を無効化する手段を持っているのならば、どうして、見張りの男はJの攻撃を受けてしまったのか。答えはすぐに分かった。
「おい、そこのガキを刺せ」
黒ずくめの男はSにナイフを放るとJを指差した。
なるほど、とアルカは頷いた。
わざと逃がして捕まえ、一人を刺させて不信感を植え付けようとしていたのだ。
この倉庫は大きな音を出しても気付かれない所にあるのだろう。
Sは首を横に振る。
「仕方がねぇな。そこの……真っ白い髪のガキ、お前が刺せ」
「……断る」
あん? と黒ずくめの男はアルカを睨み付けてきた。
「……不信感を植え付けるつもりならば必要ない。私はその子どもを信用していない。意味のないことはしたくない」
黒ずくめの男が踏み出すと、アーネストはアルカを庇うように立ち上がった。
「あ、アルカに酷いことをしたら僕が許さないぞ!」
「……自分の生存率を下げる必要はない」
アーネストの足は生まれたての子鹿のように震えている。
そのまま脱糞してしまいそうな勢いだ。
「あ、兄貴、そのガキは勘弁してくれませんか?」
「おいおい、何を言ってんだ?」
黒ずくめの男は見張りの男を睨んだ。
「その二人は俺を助けてくれたんです」
「あ? お前はいつから偉そうな口を利けるようになったんだ?」
黒ずくめの男は見張りの男を睨み付け、深々と溜息を吐いた。
「分かった。お前が火傷したのは俺の責任だからな。火傷に免じて今回はお前の言うことを聞いてやる。だが、次はねぇぞ」
「兄貴、ありがとうございます!」
見張りの男は頭を下げた。
どうやら、黒ずくめの男は暴君ではないらしい。
まあ、部下を使い捨てるような人間ならばとっくに殺されているだろう。
「よし、続きだ。さっさと刺せ。できないのならお前が代わりになれ」
Sはナイフを手に取った。
目が忙しく動いている。
ナイフを手にしたくせに躊躇っているようだ。
「簡単に刺せると思うなよ」
JはSを睨み付けた。
確かに体格差を考えればSがJを刺すことは難しいだろう。
黒ずくめの男はニヤニヤと笑っている。
「ああ、そうだな。簡単に刺せないよな。“動くな”」
黒ずくめの男が呟いた瞬間、体が重くなった。
「な、何だ、体が動かない」
Jの体がビク、ビクと震える。
見れば他の子どもも動けなくなっているようだ。
アルカは自分の手を見下ろし、握ったり開いたりする。
体の動きと感覚が鈍くなっている。
「お前は動けるのか?」
「……何をした?」
「俺もよく分からねぇが、俺の言葉には他人を従える力があるってのは分かってる。と言っても、何でもできるって訳じゃねぇ」
なるほど、とアルカは頷いた。
恐らく、制限時間があったり、自分のように効果が薄い人間がいたりするのだろう。
「……それだけの力があって誘拐?」
「精霊術士はそこそこ金になる。まあ、それ以外にも旨味はあるがな」
「……目的は組織を大きくすること?」
黒ずくめの男はニヤリと笑った。
「そうだ! 俺は金も欲しい、地位も欲しい、女も、美味い飯と酒も! そのためには力がいる! 俺は、いや、俺達は裏の世界でのし上がってやる!」
恐らく、黒ずくめは伝説を築いているつもりなのだろう。
そして、自分の伝説を聞いて欲しくて仕方がないのだ。
「……盗賊王に俺はなるとか言い出しそう」
「盗賊王か、気に入ったぜ」
黒ずくめの男は歯を剥き出して笑った。
「おい、“お前は動いていいぞ”」
黒ずくめの男はSに歩み寄り、優しく肩を叩いた。
「刺せ」
Sは立ち上がり、覚束ない足取りでJに近づいていく。
「止めろ、止めろよ。友達だろ?」
「ごめん、本当にごめん」
SはJの脇腹にナイフを突き刺した。
次の瞬間、Sは地面に倒れていた。
Jに突き飛ばされたのだ。
「動ける?」
「ああ、ちょっとしたショックで動けるようになるのさ。ついでに言っておくが、俺はこいつに命令しただけだ」
怒りによってか、Jの顔が真っ赤に染まる。
Jは脇腹からナイフを抜くと訳の分からない叫び声を上げてSに襲い掛かった。
ナイフがSの腕を切り裂く。
「う、うわぁぁぁっ!」
「こいつ、殺してやる!」
SはJに殴り掛かった。
とは言え、体格差は明らかだ。
それに武器の有無もある。
「……見ない方がいい」
アルカは立ち上がり、自分の手でアーネストの目を覆った。
背後から身の毛もよだつ叫び声が聞こえてきた。
悪寒、いや、痺れるような快感が背筋を這い上がる。
これが人間だ。
自分本位で、余裕がなくなれば裏切る。
頭を振った。
違う。
人間は自分本位かも知れないけれど、そうではない人間もいるのだ。
肩越しに背後を見ると、JがSに馬乗りになってナイフを振り上げていた。
そして、Jはナイフを振り下ろした。
※
翌朝、倉庫は殺伐とした空気に包まれていた。
中央にはSの死体があり、子ども達はそれを遠巻きに眺めるように座っている。
子ども達は忙しなく視線を動かしている。
JとSが目の前で殺し合ったことで猜疑心の塊になっているのだろう。
この状況を生み出したJはSの死体を見つめながら何かを呟いている。
発狂して襲い掛かってこなければいいのだが。
隣を見ると、アーネストが膝を抱えて座っていた。
今にも吐きそうな顔だ。
「……吐くなら排水溝で」
「あ、アルカは怖くないの?」
「……怖くない。私達は恵まれている」
アーネストは驚いたように目を見開いた。
「……信頼関係が維持されている」
「うん、まあ、そうだね」
協力できる仲間がいるのは心強い。
交替で見張りができるし、二人でいれば他のこどもに襲われる可能性も少ない。
精神的に参っているのか、アーネストの表情は晴れない。
「……大丈夫。きっと、助かる」
「アルカに言われると安心するよ」
アーネストが苦笑したその時、黒ずくめの男が部下を従えて倉庫に入ってきた。
見張りの男を含めれば敵の数は十人だ。
「よう、ガキども移動の時間だ!」
黒ずくめの男が陽気に言った直後、風が吹いた。
衛兵が倉庫に突入してきたのだ。
先陣を切っていたのは剣――刀を手にした父親だった。
メイスを手にしたレイモンドがその後に続く。
降参しろとか、武器を捨てて地面に伏せろとか、そんな言葉は口にしない。
父親は無言で近くにいた男――最初に見張りをしていた男の首を撥ねた。
頭を失った男がその場に倒れる。
「クソッ、衛兵だ!」
黒ずくめの男が叫ぶと、子ども達は悲鳴を上げて出口に突進した。
Jだけが座り込んだまま、壊れたように何かを呟いている。
アルカは舌打ちしたい気分だった。
子どもが出口を塞いでしまったせいで衛兵が四人しか倉庫に入れなかったからだ。
「伏せる!」
アルカはアーネストを抱き締めてその場に伏せた。
ここで立ち上がれば衛兵の邪魔をすることになる。
倍以上の敵と戦わなければならなくなった父親の足を引っ張る訳にはいかない。
しかし、アルカの心配が杞憂に過ぎなかった。
父親は容赦なく敵を斬り殺していく。
剣を抜こうとしていた敵の腕を斬り落とし、返す刀で喉を切り裂く。
鎌鼬という妖怪が実在するのならば父親がまさにそれだろう。
父親が惨殺し、レイモンドが撲殺し、残る二人は一緒になって敵に剣を叩き付けている。
父親とレイモンドは明らかに人を殺し慣れている。
二人の活躍によって敵は死に、残っているのは黒ずくめの男だけだった。
父親が黒ずくめの男に向かって走る。
「“止まれ”!」
黒ずくめの男が叫ぶと、父親とレイモンドが動きを止める。
他の二人も同様だ。
「クソッ! よくも俺の仲間を殺しやがったな!」
黒ずくめの男はナイフを抜き、父親に近づいていく。
「ロイド、どうなっているんだ?」
父親はレイモンドの声に反応しない。
アルカを黙って見つめている。
「アルカ、助けに来たぞ」
「ハッ、死にに来たの間違いだろ?」
黒ずくめの男が鼻で笑う。
「違う。助けに来たんだ」
父親が睨み付けると、危険を察知したのか、黒ずくめの男は後退った。
「はは、強がりは止せよ。お前は俺の術中だ」
それは事実なのだろう。
だが、アルカには黒ずくめの男が自分に言い聞かせているように見えた。
父親は瞑想するかのように目を閉じている。
「喝ーーーーーーッ!」
空気がビリビリと震える。
一体、何が起きたのか。
突如、父親は自由を取り戻して黒ずくめの男に斬りかかった。
「“動くな”!」
「チェストォォォォォォォッ!」
父親は何事もなかったように刀を振り下ろした。
黒ずくめの男は避けたものの、肩を大きく斬られている。
「俺は“動くな”と言ったんだぞ! どうして、お前は動いてるんだよ! 俺が動くなと言ったら動くな!」
「娘を助けに来たと言ったはずだ! 貴様如きに動くなと言われて止まっていたら娘を助けられんだろうが!」
刀を跳ね上げ、黒ずくめの男を切り裂いた。
「……なんて、理不尽なおっさんだ」
黒ずくめの男は前のめりに倒れた。
血がじわじわと広がっていく。
父親は血を払うと刀を鞘に収めた。
「アルカ、助けに来たぞ!」
「……信じていた」
血塗れなのはどうかと思うが、世の中には黙っていた方がいいこともある。
アルカが体を起こしたその時、悪寒が背筋を駆け抜けた。
「……む?」
「まさか、終わっていないのか?」
父親が振り返ると、黒ずくめの男が立ち上がろうとしていた。
「……たくねぇ、死にたくねぇ、死んじまったら俺達の伝説が築けねぇ」
黒ずくめの男は震える足で立ち上がった。
「金だ、金がいる! 底辺から這い上がるにゃ金がいるんだ! 俺は自分の人生を買い戻すんだよ!」
「黒い光?」
父親が訝しげに呟く。
黒い光が黒ずくめの男から立ち上っていた。
傷が泡立ちながら癒え、体が光の中で変貌していく。
目が真っ黒に染まり、鼻と口が迫り出す。
服が弾け、無数の針が背中から飛び出した。
変化はそれだけに留まらない。
黒ずくめの男はいつの間にか父親を見下ろすほど大きくなっていた。
「レイモンド、動けるか!」
「まだ、動けん!」
レイモンドは苦しげに呻いた。
「ぶっ殺してやる!」
黒ずくめの男――針鼠は体を丸めた。嫌な予感がする。
「“伏せて”!」
アルカが叫ぶと、針鼠を除いた全員がその場に伏せた。
わずかに遅れて、針が針鼠の背中から打ち出された。
倉庫がビリビリと揺れる。
顔を上げると、針が倉庫のあちこちに突き刺さっていた。
幸い、怪我人はいない。
「レイモンド、動けるか!」
「今度は立ち上がれない!」
地面に伏せたレイモンドと二人の衛兵は立ち上がろうとしていたが、手足が小刻みに震えるだけだった。
「分かった! こいつは俺が抑える!」
父親は地面を滑るように移動して針鼠に肉薄すると一気に刀を抜き放った。
だが、針鼠は大きく跳躍して刃を躱した。
さらに跳躍して天井にしがみつくと、背中から針を打ち出した。
針が地面に刺さり、地面が揺れる。
恐るべき威力だが、命中精度はそれほど高くないのか、針は父親から離れた所に突き刺さっていた。
「……邪魔が入らねぇようにしないとな」
黒い光が針鼠の足下から伸びる。
それは瞬く間に倉庫全体を覆い尽くした。
「隊長!」
若い衛兵が倉庫に突っ込もうとして弾き飛ばされた。
どうやら、閉じ込められてしまったようだ。
「これで邪魔は入らねぇ!」
針鼠は天井に突き刺さっていた針を片手に飛び下りる。
着地と同時に父親の蹴りが炸裂した。
胸板を蹴られた針鼠はわずかに態勢を崩した。
父親が刀を振り下ろす。だが、針鼠は手にしていた針で刀を受け止めていた。
「ハハッ、力比べだ!」
針鼠は腕に力を込め、たたらを踏んだ。
父親が踏み込んでくるタイミングを見極めて体を引いたからだ。
すかさず刀の柄頭で鼻を殴りつける。
「グァァァァッ!」
父親は針鼠が鼻を押さえて仰け反った所に金的、さらに前屈みになった所に膝蹴りを叩き込む。
「クソがぁぁぁぁぁッっ!」
針鼠は血を撒き散らしながら腕を振り下ろした。
予感でもあったのか、父親は大きく跳び退る。
それが正しい判断だったと地面に突き刺さった無数の針が教えてくれた。
もしかしたら、何処からでも針を打ち出せるのかも知れない。
「クソッ、クソッ!」
針鼠は無茶苦茶に腕を振り回す。
豪腕が唸り、針が放たれる。
だが、父親を傷付けることはできなかった。
「何で、何でだ!」
答えは明瞭だ。
針鼠は正々堂々と戦って勝とうとしているが、父親はそれに付き合うつもりがない。
より正確に言うのならば相手を殺す気でやっているのだ。
まあ、戦闘経験の差と言ってしまえばそれまでだが。
父親は針鼠の腕を深々と切り裂くが、切断にまでは至らない。
とは言え、皮一枚で辛うじて繋がっているような状態だ。
真っ当な相手ならばこれで勝負が決まる。
だが、触手のような物が腕の断面から伸び、瞬く間に繋いでしまった。
「ハハッ、どうだ? 攻撃が当たらなくて焦ったが、お前の攻撃は俺に通じねぇ!」
「……」
父親は無言で刀を突き出した。
針鼠は咄嗟に躱したが、血が首から流れる。
「殺し合いの最中に話すのは趣味じゃないんだが、首を斬り落とせば流石に死ぬんじゃないか?」
「できるものならやってみろ!」
針鼠は父親に襲い掛かったが、首を斬り落とされる恐怖からか、その動きからは先程までの大胆さが消えている。
それどころか、ちょっとした牽制で動きを止めたり、その場から逃げたりしてしまう。
なるほど、とアルカは頷いた。
首を斬り落とせば死ぬんじゃないか? と言ったのは針鼠の行動を制御する――無差別攻撃をさせないため布石だったのだ。
「……主導権を握っている。これなら助かりそう」
アルカが胸を撫で下ろしたその時、炎が針鼠を包んだ。
父親ではない。Jが針鼠に向けて精霊術を放ったのだ。
「こ、このクソガキィィィィィィッ!」
「させるか!」
炎に包まれた針鼠が腕を振り上げると、父親はJを守ろうと回り込もうとした。
不意に違和感を覚えた。
精霊術は針鼠に通じない。
だったら、どうして、炎に包まれたくらいで激昂するのか。
「ああ、しねぇよ」
「しま……っ!」
針鼠は父親に向けて腕を突き出した。
避けるという選択肢はない。
何故なら、腕の延長線上にはアルカがいたからだ。
父親の体が針を打ち込まれた衝撃で何度も跳ね、針鼠は止めとばかりに拳を突き飛ばされた。
父親は吹き飛ばされ、背中から地面に叩き付けられた。
「ロイド! クソクソクソッ! どうして、動けない!」
レイモンドの悲鳴が聞こえた。
アルカは父親に駆け寄り、その場に跪いた。
父親は生きていた。
しかし、時間の問題だ。
無数の針が胸に突き刺さっているのだから。
「お、と、おと……」
眼球の奥が痛い。
舌が痺れている。
皮膚がピリピリしている。
どうして、お父さんと呼べないのか。
「……大丈夫だ。父さんは負けやしない」
父親はそう言って、立ち上がった。
息をするのも苦しいはずだ。
本当なら立っていられないはずだ。
辛くて苦しいはずなのに、
どうして、この人は立ち上がれるのだろう?
「形勢逆転だ。ガキを放っておけば勝てたのによ」
針鼠がゆっくりと近づいてきた。
「馬鹿か、貴様は?」
「何だと?」
「娘を助けに来たと言っただろ?」
父親が足を踏み出すと、針鼠は気圧されたように後退った。
「誰だって自分の方が大事だろ?」
「娘の方が大事だ」
父親はこれ以上ないくらいキッパリと断言した。
「……おと、とう、おと」
アルカは喉を掻き毟った。
濁った夜空から降る雪を思い出す。
「……そうかよ」
針鼠はふて腐れたように言って、手の平を突き出した。
針が皮膚を突き破って現れる。
「あ、あ、ああ……っ!」
血が溢れるほど喉を掻き毟る。
視界がぶれる。
目の前の光景が重なって見える。
声が聞こえた。
裏切られた。
人生が滅茶苦茶になった。
挙げ句の果てに殺された。
どうして、その怒りを忘れられるのか?
「……ち、がう」
アルカは声を振り絞る。
裏切りはあったかも知れない。
人生は思い通りにならなかったかも知れない。
お金のことで何度も喧嘩した。
けれど、思い出は本物だ。
優しさに包まれていた。
あの想いは本物だったじゃないか。
それなのに、どうして、何もかも嘘にしてしまったのだろう。
「……お、お、おお父さん、お父さん、お父さん」
涙が零れた。
ドクン、と心臓が大きく鼓動する。
小さく喘ぐ。
「あ……あああああああああああああッ!」
アルカは叫んだ。
黒い光が噴き出す。
暴風のように倉庫を覆う黒い光を呑み込み、
濁流のように黒い光を押し流す。
「クソッ、あのガキも俺と同じだったのかよ!」
父親、いや、お父さんは力強く地面を蹴った。
針鼠は刃から逃れようと身を翻し、
「“動くな”」
アルカの言葉で動きを止めた。
お父さんが刀を一閃させる。
「……ああ、畜生」
それが針鼠の最期だった。
お父さんは首を切り落とすと仰向けに倒れた。
針鼠も少し遅れて倒れる。
「お父さん!」
「……ああ、久しぶりだな。お父さんって呼ばれるのは」
アルカは駆け寄り、お父さんの手を握り締めた。
「母さんに愛していると伝えてくれ」
「……お父さん、死なないよ?」
「自分のことは自分がよく分かる。いいんだ。幸せな人生だった」
お父さんは満足そうに目を閉じた。
アルカはちょっと迷う。
胸に突き刺さっていた針は消え、傷が泡立ちながら治っていく。
「ロイド、ああ、ロイド、死ぬな。こんな所で……」
レイモンドがこけつまろびつしながらお父さんに駆け寄る。
その頃には傷はすっかり治っていた。
「ああ、なんて、なん……傷なんてないじゃないか!」
「何だって!」
お父さんはガバッと体を起こすと胸を見下ろした。
制服は穴だらけになり、血で汚れているが、傷は残っていない。
「奇跡か、これは?」
「奇跡?」
お父さんは渋い顔をしている。
「素直に喜べないな。親御さんにどう説明したらいいのか」
お父さんは憂鬱そうな顔でSの死体を見つめた。
Jは倉庫の片隅でガタガタと震えている。
針鼠の死体に視線を移すと、黒い光が立ち上っていた。
黒い光はある高さで球状に固まる。
「……お父さん?」
「あれは何だ?」
黒い光はアルカに向かって飛ぶ。
お父さんは庇ってくれたが、黒い光は体を透過してアルカの胸に吸い込まれた。
「……む、胸が痛い」
アルカは胸を押さえ、そのまま意識を失った。
※
翌日、アルカは自分のベッドで目を覚ました。
まるで生まれ変わったように爽やかな目覚めだった。
胸に手を当てて意識を集中すると二つの存在を感じた。
「……む?」
どうして、こんなことができるようになったのか、と小さく首を傾げる。
他にも何かできるようになっているかも知れないが、優先順位としては低い。
アルカはベッドから下りると食堂に向かった。
恐る恐る食堂に入ると、お父さんは席に着いていて、お母さんは料理をテーブルに置いていた。
「あら、今日も一人で起きられたのね?」
「アルカ、おはよう」
「……お母さん、お父さん、おはよう」
二人は嬉しそうに笑った。
JとSには申し訳ないけれど、アルカは針鼠に感謝しながら自分の席に着いた。




