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8.皇帝陛下の勘違い(上)

 まだ彼が、傍若無人な英雄と出会っていない頃――

 エルク=ラウタボクリスはワイゼンハマーン帝国第12代皇帝として、合理的になろうと心に決めていた。若くして帝位についてしまったが故に、彼には見本となるべき先代皇帝の手腕を充分に理解することができなかったからだ。勿論かつての皇帝たちがなした政策についてはこれまでも学んできたし、これからも学ぶつもりはある。しかし、やはり生に先代の政治を充分見ることができなかったのは痛手だった。

 だから彼は自分を信じないことにした。

 自分の愚かな考え一つで、帝国の何万もの民が苦しむことになるかもしれない。ならばそうならないようにするには、とにかく客観的視点を大事にして、合理的な手段を選ぶことだと彼は考えた。そうすれば、少なくとも最悪は防げるだろう。それが自分なりに最善を尽くしたつもりであったが、しかし彼の政治は機械的で、淡白なものになってしまったのもまた事実だった。


「陛下、ランデル川護岸工事の件ですが。賛成派と反対派の調停は決裂し、陛下の決裁をいただきたく」

「既に委員会を立ち上げ調査させた。双方の主張に沿った場合、より帝国に経済的利益をもたらすのは賛成派のほうだ」

「では護岸工事を?」

「私の名において許可する。泥炭層の減少に伴い損害を受ける水草商人と薬草商人には補償を算出し公共事業費から支給せよ」

「仰せのままに」


 万事この調子であり、そこにあるのは単なるデータと、それに忠実に従って決裁する皇帝のみ。


(本当に――俺は存在する価値があるのだろうか)


 やがて皇帝の心の中には、空虚な疑問が生まれた。

 自分が意志を持っていなくても、このように処理されただろうという道をなぞるだけの毎日。そこに徐々に意味を見いだせなくなって来たのだ。


(本当に――俺は――)

「陛下、お疲れのようです、少し休まれては」


 ユイキナが声をかけた。メイド服姿の彼女はエルクと同い年で、そこまで位は高くないものの貴族の娘ということもあって小さい頃から彼の遊び相手として宮廷に呼ばれていた。


「――ああ、大丈夫。次の案件を片付けたら休むよ。君の入れた紅茶が飲みたい」

「かしこまりました。ご用意しておきます。レモンは多めで?」

「素晴らしい」


 例え身分や立場の差があるとはいえ、幼馴染と軽口を叩くと少し気分が軽くなる。何よりも人間くさい。エルクは微笑むと次の書類に向かい、担当の文官を呼んだ。



   *   *   *   *   *


「“聖女様”との婚約?」


 そんな女がいるのは知っていた。まだ女と呼べるほどの年齢ではなかったはずだが。――一応は顔なじみである。


「はい、今や天上教の――言い方は悪いですが――看板娘と呼べる聖女様と、皇帝陛下がご成婚なされれば民の心もまとまり、より帝国は発展することでしょう」


 なかなか面白い進言をするな、と思った。

 確かに彼女ならば家柄も現在の立ち位置も、皇妃となって問題はないはずだった。国教である天上教と皇室の関係は元々悪くはないが、ここでより結束を固めておくのも面白いだろう。


「――わかった、よきにはからえ」


 これが理にかなっている、聖女様のほうだってまさかこの縁談を断ることはないだろう。向こうにとってもメリットのある話だ。

 何も問題はなく、国政は進む。

 国政をより進めやすくするために、自分は聖女と結婚する。

 すべて合理的で、自分に合った選択のはずなのに、

 なぜかちらりと、今日は非番でここにいないユイキナの姿が彼の心によぎったのだった。


 結婚の話はトントン拍子に進んだ。

 国教側としても願ったり叶ったりの話であり、一年もしないうちに二人は夫婦となっていた。皇帝の結婚としては異例のスピードである。そもそも皇太子の時点で婚約者がいてもおかしくないのだが、彼の慎重な性格がなかなかこの大きなカードを切らせなかったのだ。それゆえに問題も起こったが、聖女との結婚を決めてからはエルクのリーダーシップで表立った不満が出ることもなく、無事つつがなく成婚の儀式は終わった。




「――お疲れか、シーシャ」


 ようやく二人っきりになり、エルクは花嫁の名を呼ぶ。純白のドレスと白銀の髪がよく合っている彼女は、しかし妻として迎えるにはやはり早すぎる気がした。清らかさと、小柄な体躯から来る幼さが相まって、年齢的にはギリギリセーフなはずなのに、なんだかとても罪深いことをしているような気がしてしまう。


「まあ……大丈夫ですわ、皇帝陛下」

「妻になったというのに、他人行儀だな」


 シーシャも名家の出、エルクは何度か彼女と面識があったこともありそう言ったのだが、“聖女”シーシャは困ったように微笑んだ。


「だって……不躾ながら、貴方自身が――新しく妻を迎える夫には見えませんよ?」


 おっとりして、大人しいようでいて、意外と鋭い所を突く。

 確かに自分は、この結婚を政治の道具としてしか見ていないかもしれない。

 ――だけど、それが皇帝ってものだろう?


「――俺達の結婚なんて、そういうものだろう?」


 だけどやっぱり、シーシャは困ったように微笑んだ。

 それがなんだか気になったけど、エルクは頭を振ってその思いを追い払った。

 別に今日明日夫婦生活を始めないといけないわけでもない、自分だって、まずは結婚という事実が欲しかっただけだ。そもそも男女の感情など皇帝の仕事には邪魔でしかない。

 とりあえず、皇帝と聖女を(・・・・・・)結婚させた(・・・・・・)、それが一つの業績であり、進歩なんだ。

 そう、自分に言い聞かせながら。

 すぐにその価値観が破壊されるなんて、夢にも思わずに。

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