7.皇帝陛下の憂鬱
「よ、ようこそいらっしゃいました皇帝陛下」
臣下の礼を取り、皇帝である自分に対してきちんと敬語を話し、終始丁寧な態度を崩さない。そんな様子のカイル=サーベルトを見て、
(なんだ、なんだ、なんなのだ……)
エルクは内心で頭を抱えた。
カイル=サーベルトは分かりやすい人間である。少なくとも、分かりやすい人間であるかのように振る舞ってくれていた。
美女が欲しい、よこせ。
美味いものが欲しい、よこせ。
豪邸が欲しい、よこせ。
それらに随時対応しておけば、それだけで世界の英雄に対する義務を、ワイゼンハマーン帝国は立派に果たせていた。
それが、ここにきて急に隠遁生活など、不自然極まりない。
意味があるとすれば……それは……
(……俺に、見切りをつけた?代わりに、自分が皇帝になると?)
カイルという人間は、エルクの観察上面倒くさいことが嫌いである。だから、皇帝になりたいなどという思いは持たないと思っていた。元来、皇帝になりたいなどと嘯く者達はそのデメリット――仕事の責任の重さやしんどさ――には見向きもせずに、単に皇帝の権力や権限――美食だったり宮廷での生活だったり美しい妻たちだったり――のみを求めるのだ。だからそういう人間が帝位に着くと例外なく国は乱れ、滅びる。
だが――そのメリットを全て手に入れているカイルが、今さら皇帝の座を望むことはあり得ない。彼は感情のままに動いているように見えて馬鹿ではないから、デメリットを理解していないなんてことは考えられないのだ。
ならば可能性としては――自分、エルク=ラウタボクリスが皇帝に相応しくない人間だと、彼が判断し、国のため、民のために自分が代わりを務めようと思っている場合が考えられる、ということになる。怠惰な生活を送っていたとはいえ、一応は世界の英雄。そんな気持ちが芽生えても不思議はない。
(それとも、試されていたのか――?)
権力に興味のない堕ちた勇者のふりをして、その実しっかりとこちらの政治を観察。ふさわしくないと判断したらそこで介入すればいいと。
背筋を冷たい汗がスーッと流れる。暖かいはずなのに震えが止まらない。今目の前にいる人間は、間違いなく一人で帝国を破壊しつくせるほどの力を持っている。そんな人間に、明確に敵として認定されることがどういう意味を持つのか、考えたくはないが、考えずにはいられなかった。
「ときに――皇帝陛下」
ビクッ、と震えそうになるのをなんとかこらえる。ずっとタメ口――どころかこちらを見下すような態度だったのが急に敬語で逆に怖い。胃が痛い。
「最近は――ご政務の方は滞りなく?」
ここか。
ここが最後通牒なのか。
エルクはその雰囲気を感じ取った。
もしも受け答えを間違えてしまっては、自分の首が飛ぶ。いや、自分だけで済まないかもしれない。
悪魔のような威圧感に必死で抵抗し、エルクは脳をフル回転させて言葉を紡いだ。
「あ、ああ……最近では、ミナート山地の鉱山地帯について労働条件を考えていたのだが……どうやら俺の悪い癖で、また人を数字で見てしまいかけていたようでな、明日の会議で再考することになっている」
自省をし、周囲の人間と協調しながら、民のために働いているのだということを必死でアピールする。果たして、カイルは――ゆっくりと、微笑んだ。
それが悪魔の笑みに見えてしまい、思わず息を飲む。
「……さすがは皇帝陛下ですね。日々帝国のために先頭に立って働かれるその御姿、尊敬の言葉もございません」
その言葉で、悪魔ではなく天使の微笑みだと、エルクは悟った。
生きながらえたのだ。
そしてしばらく三人は談笑し、頃合を見てエルクは席を立った。
「そ、それではこれで失礼するよ、今日はカイル殿の新居に入れてもらうことができて大変よい一日だった。何か困り事があったら、何でも言ってくれたまえ」
「もうお帰りなのですか?せっかくなのでもっとゆっくりしていかれればいいのに……」
「ハ、ハハハ、シーシャも肝が太くなったものだな……」
「ほえ?私がどうかしましたか?」
「いや何でもない。光栄なお誘いだが、皇帝の仕事も溜まっているのでね。失礼させてもらうよ」
「陛下、今日はわざわざありがとうございました。引っ越しただけで来ていただけるなど身に余る光栄です。しかしお忙しいところ来ていただくのも申し訳ありません。何かありましたらこれからは私が宮廷まで伺いますので、遠慮なくお呼びつけください」
「ああ、カイル殿、ありがとう……(何か見られたくないものでもここで用意するつもりなのか……?)」
「陛下、どうされましたか?」
「いや何でもない、失礼する」
そしてエルクはさながら虎の巣から帰るような気持ちで、帰路に就いた。
* * * * *
よし、やった、完璧だ。
皇帝陛下の政務を尊重していますよというアピールに成功!
カイルは内心でそう胸を撫で下ろした。
これで自分が野心なく隠遁することがより印象付けられただろう。
まだ陛下の態度がぎこちない気もするが、まあかつての自分の振る舞いを思い返せばやむをえまい、本当は一日で無害認定をしてほしいところだが、とにかく力を失ってからの最初の会談としては上等だっただろう。そう考えて、カイルはエルクを笑顔で送り出した。