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5.エミナの勘違い

 地獄に生まれながらに住んでいる人間はそこを地獄と認識してしまうのか。それともそれがただの日常として受け入れてしまうのか。エミナは地獄を知らないが、どう思うか問われれば後者だと答えよう。

 子供の頃に過ごしていた世界は、今のものとは全く異なったものだった。

 いわゆる貧民街で生まれた彼女は、綺麗なベッドもおいしい食事も澄んだ水もほとんど知らないまま生きてきた。どす黒い血と手癖の悪い子供の対処法と鼻がひん曲がるような悪臭についてはよく知っていたけれど。

 そんな世界でも生まれながらならば案外生きていけるもので、彼女は曲がりなりにも幼女から少女、そして大人の女性へと成長するところだった。

 貧民街の“大人の女”とは、まあつまりは体で稼ぐ方法を持っている女である。

 勿論それをしても生活が劇的に変わるわけではない。貧民街全体として金がないのだから。だけど多少は楽になることも多く、それをする女はいる。別のリスクを承知していても、まずは今日を凌がねば明日を迎えられないのだから。

 それでも一人なら、彼女はそうしなかったかもしれない。だけど彼女には、まだ幼い弟と妹がいた。だから、かくしてエミナもその道に入るところだった――まさにその一日目に。

 彼女は、カイルと出会ったのだった。


「おいおい、こんな所にもいるもんだなぁ、上玉ってのは。おい、こんなところでくすぶった炭になってるより、ダイヤモンドとして輝かないか?」


 いったい彼がどうして貧民街にいたのかは知らない。どう考えても彼がいるのにふさわしい場所とは思えないのだから。けれどカイルはそこにいた。それが全てだった。

 とはいえその時の彼女はまだカイルのことを知らなかった。だから別のことが咄嗟に口をついた。


「あ、あの私、弟、と妹、がいて……」

「ふうん、ならそいつらもどうにかしてやるよ」


 そして本当にどうにかした。

 エミナが知らなかったような、貧民街とまるで正反対のところにある高級住宅地で弟と妹は暮らせるようになり、そしてエミナはカイルと暮らすようになった。

 そこでは今まで食べたことのないような美味しいものを食べられたし、綺麗なベッドで眠ることができた――ときにはカイルと一緒にだが、それは別に気にならない。もともとそういうこと(・・・・・・)をする覚悟はあったのだし……何より、その頃にはカイルのことを好きになっていたのだから。

 美味しいものをそのまま食べるだけでなく、さらに工夫を凝らして味を変えて見るのも、綺麗なベッドや部屋を綺麗なままに保つのも、自分にとって労働というよりは面白い遊びみたいなもので苦にはならない。だからメイド服を与えられたあとは率先してそれを行った。カイルとしては単に似合っているから渡したつもりだったようだが、別にエミナが本物のメイドっぽく振る舞っても何も言わなかった。

 

 そんな中で、急にカイルが隠居すると言いだしたのだ。

 エミナは彼がこれまで何をしてきたかはよく分からない。けれどもどんな偉そうな人もカイルの前では緊張しているのがよくわかる。だからカイルがとてもすごい人なのだということはよく分かっていた。

 そんなカイルが隠居するという。しかもどうやら自分達にも付いて来て欲しくないみたい。その雰囲気を感じ取って、エミナは嫌だ!と思った。

 だってカイルは彼女にとって王子様なのだ。

 そりゃあ、物語に出てくるような白馬に乗った王子様とは、随分違う。カイルは自分一人のことを見てくれるわけじゃないし、物腰が乱暴なときもある。それでも、彼は自分が本来経験することのできなかった暮らしをさせてくれた。今となってようやくわかるのは、かつての自分と弟妹がいかに劣悪な環境にいたのかということだ。

 それを救い出してくれたカイルは、やっぱりエミナにとって王子様なのである。

 だから――彼女はここで諦めるわけにはいかなかった。

 部屋の掃除をする振りをしながら聞き耳を立て、さりげなくカイルの後ろに立って何を書いているのか除き見する。

 一度だけ気配を感じたカイルが、


「うわっ!!エ、エミナじゃないか……な、何の用だ……?ま、まさか俺の暗殺を誰かに頼まれたとか……」


 驚いて飛びあがってから、何かブツブツと変なことを呟いていたが、ともあれそんな甲斐あって、彼女はカイルの隠居先を特定することができた。

 そして大好きなご主人様の――王子様の胸の上で、今彼女は幸せそうに睡眠を貪っている。


「エ、エミナが重しになって……逃げられない……やっぱり俺はここで死ぬのか……?」


 カイルが何か言っていたが、寝ているエミナは気付かなかった。

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