37.国歌(下)
『――
♪すべてのめしべはカイルのために
すべてのめしべはカイルのために
すべてのめしべはカイルのために』
ご想像いただけるだろうか、世界各国の首脳陣が(おそらく嫌々)このような歌を自分の目の前で歌っているという状況を。俺は頭と胃と尻と胸が同時に痛くなった。
歌い終わっても、皆直立不動のまま動かない。しばらくして、俺はようやく俺のリアクションが待たれているのだと気づいた。
「あ、その……皆様私の作った歌をこんなに積極的に歌っていただいて嬉しい限りです……どうぞ、ご着席になり、会議を始めてください……」
俺は引きつった笑顔で、なんとかそれだけの言葉を絞り出した。
隣で俺の反応を息を殺して伺っていた皇帝陛下は、安心したように息を吐き、俺の隣に腰を下ろす。
「あー、エルク陛下?」
「むっ、何か気に障ることでもカイル殿?よもやそのようなことはないと思うがまさか真剣に歌っていなかった首脳が――?お、お怒りは分かるがここはなにとぞこらえていただかないと“災厄”の前に世界が終わってしまう――」
「あ、いえいえ違います決してそういうわけではございませんのでどうか安心してください」
この陛下、怖がりすぎである。俺のせいだが。
「そ、そうか。ではいったいどのような――」
「国歌、元に戻しませんか?」
* * * * *
――――
「国歌、元に戻しませんか?」
「国歌、元に戻しませんか?」
「国歌、元に戻しませんか?」
エルクの頭の中でカイルの言葉ががんがんと反響する。それは彼が最も聞きたかったカイルの言葉の一つだ(他にも言ってほしい言葉はたくさんあるが)。しかし、なぜ今になって――
(――まさかっ!)
そこでエルクの心に、電撃のように閃くものがあった。それは、以前の国歌の歌詞に関する国民の対立である。“すべてのめしべはカイルのために”が採用される前の国歌には、六種類の歌詞があり、国民はいずれの歌詞を歌ってもよいとされていた。これは、古くからワイゼンハマーン帝国にいた人々と、新たに侵略されたり吸収されたりして帝国に組み入れられた人々にとっては、立場に大きな違いがあり、彼らの感情に配慮した結果、“戦場へ向かう帝国兵の意気”を歌った元の歌詞だけでなく、“すべての帝国民が平和に暮らせる社会”や、“帝国の豊かな自然の素晴らしさ”などを歌った歌詞も用意され、どれかの歌詞を歌えばよいということになった、という経緯がある。しかしこのような経緯であるため、現実にはそれぞれの地域に応じて主要な歌詞とそれ以外があり、少数派は白眼視されるようなこともあり、エルクの頭を悩ませる一つの問題であった。
――これを、カイルは自らが道化になることによって、解決しようとしたのではないか、という考えである。
(――考えてみれば、あんな歌詞を本気で提案する馬鹿などいるはずもない。すべては。我が国の行政の怠慢に対する、身を挺した対処だったとは……)
「カイル殿!貴殿の慧眼、私は本当に恐れ入る次第だ!!我が国のことをそこまで深く考えてくださっているとは!!」
「えっ……ちょっと何皇帝陛下目を潤ませて感動してるんですか思考回路がさっぱりわからないというか怖いんですけどおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!!!」
エルクは直ちに触れを出し、国歌は元の歌と六種類の歌詞に戻った。――その後依然、歌詞の多数派と少数派の偏りは残ったのだが、意に反した歌詞の国歌を歌わせられる苦痛を全国民が――そう、ここで大事なのは、全国民であったことなのだ――味わったことから、その後は多くの国民が他者の歌詞に対して寛容になったという。