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ラーレ・ムンドゥス ~異世界で戦闘民族と国作り!~  作者: 印西たかゆき
第一部:第一章 適当な処置と希望の芽生え
6/80

初めての武闘修練! 界皇はその身に何を宿す?

翌朝、日が昇り始めて真っ赤な朝焼けが見え始めた時刻に、テオはアスナに起こされた。


「陛下、起きて下さい。今日は朝食の後に戦闘訓練を行います」

「ん……うん、起きる……」


 テオが眠たい目をこすってベッドから起き上がる間に、アスナは両手を高速で動かしてテオの服装を毛皮パジャマから胸当て、腰当て、編みサンダルの姿に変えてしまった。


「さ、どうぞこちらへ」


 その変化に呆然とするテオを尻目に、アスナは寝室の入り口の扉を開いてテオの退出を促す……心なしか、今日のアスナはどこか機嫌きげんが良いように思えた。

 テオはアスナに促されて自室を後にし、そのまま食堂へと向かう。


(……なんだろう?)


 食堂へと向かう途中の廊下や階段で、テオは少し奇妙な感覚を抱いた。

 普段、このとうでは多くの女性達が掃除や家事にいそしんでいるが、彼女達はテオの姿を見るなりニコッと笑って朝の挨拶をしてくる。そのまま無視するわけにもいかないので、テオも彼女達に返事代わりの朝の挨拶をするが、昨日まではそんなことは一度もなかった。


(もしかして、昨日アスナが自由に喋っていいって言ってくれたからかな?)


 先代の界皇が言っていた、『奴隷はモノだから、口はきけない』という、おぞましいことこの上ない考え――その考えをテオは真っ向から否定し、アスナの助言もあって、彼女達は晴れてモノ扱いから解放されたわけだが……。


(でも、まだ奴隷なんだよなぁ……)


 そう思うと、テオの心は漬物石つけものいしが乗ったような重い気分になる……結局、彼女達が上機嫌な様子である理由を見出せぬまま、食堂の前まで来てしまった。


「さ、どうぞ」

「うん……」


 アスナが開けてくれた扉を通って、テオは食堂に足を踏み入れたが、そこでも気になる事があった。

 食堂ではすでにテオの食事の用意が終わっていたのだが、そこで待機していた給仕係の女性達はその口元にニヤニヤとした笑みを浮かべていたのだ。


(またっ!?)


 彼女達の様子を不審に思いながらも、いつもの自分の席について食事をするテオ。

 しかし、どうしても彼女達の様子が気になって仕方がなかった――彼は食事をする手を止めてアスナ達に向けて質問した。


「ねぇ、何か良い事でもあったの?」

「……いえ、別に……」

「ええ、何もありません」

「アタシも……」


 テオにそのように聞かれて自分達の表情に気がついたのか、アスナや女性達は一斉に無表情になって淡々(たんたん)と給仕をする……テオもあきらめて食事に戻る。

 テオは食事を終えると、アスナと共に食堂を後にして生活棟の正面玄関から外へ出ていった。


「ねぇ、アスナ……」

「はい、なんでしょう?」


 生活棟の正面玄関を出て、右側の石畳で出来た通路を進んでいる間に、テオはアスナに質問した。


「その……もし僕が『奴隷制度をやめたい』って言ったら、アスナはどうする?」

「……」


 その質問に、アスナは立ち止まってあごに手をえて考え込む……そして、アスナは自分の思いを静かに語り始めた。


「……私は、あなたに忠誠を誓っています。前の主はハッキリ言ってクソ野郎でした。ですが、あなたならば……それが、あなたが悩み抜いた選択であり限り、私はそれを全力で支援致します。奴隷制度をやめたいというのならば、それで構いません。私は……常に貴方のお傍におります」


 アスナの力強い言葉を聞いて、テオは深く、静かに頷いた。


「……うん。ありがとう、アスナ」

「いえ、お構いなく。ですが、その前に界皇としての実力を備えてもらいませんと……」


 そして、二人は再び歩き出し、やがて目的の場所へとたどり着いた。

 その場所だけ、まったく草木のない、かわいたクリーム色の土だけがむき出しになった更地さらちになっていた。テオ達から見て右側には生活棟の石壁が見え、左側はこの城塞を守る城壁に囲まれ、その下には石で作られたダンベルのような筋トレ器具類が置いてある。更地はだいたい、長さは百メートル、幅は五十メートルほどの広さがあるように思える。


「こちらは、界皇専用の修練場しゅうれんじょうとなっております」

「へぇ~、専用の……って、修練場ってなに?」

「簡単に申し上げれば、戦闘技術や身体の鍛錬などを行う場所です。城内には他にも戦士達の修練場などもあります」

「え? 二つもあるの?」

「ええ。界皇などは各流派や各武術の師範達から数々の秘技や奥義などを学ぶ関係上、あまり人目に触れるようなことはあってはなりません。そのため、界皇と戦士達の修練場は分けているのです」

「へぇ、そうなんだ」


 テオは修練場の方を見て一息つくと、ある事を思い出した。

 この体はヴェグナガンのモノだが、彼はすでにこの世にはいないだろう……しかし、ヴェグナガンを拾って育てた界皇は今どこにいるのだろうか?

 少なくとも、テオはこの世界に来てから一度も出会ったことが無い。


「そう言えばこの体の前の持ち主の親……先々代の界皇だっけ? その人はどこにいるの? 一度も会ってない気がするけど?」


 テオがそう聞くと、アスナは沈痛な面持ちで口を開いた。


「……殺されました。その体の前の持ち主であるヴェグナガンに……私も止めようとしたのですが、ダメでした」

「え……」


 テオは絶句した……今まで聞いた話では、この体の持ち主はかなりの悪人だったようだが、まさか自分の育ての親さえ手に掛けていたとは……。

 テオは、心の中で固く決意した。もう二度と、アスナにこのような顔はさせまいと……。

 うつむくアスナに向かって、テオはハッキリとした口調で言った。


「ごめん、辛いこと思い出させちゃって……でも大丈夫、僕は絶対に立派な界皇になってみせるよっ!」


 テオがそう言った瞬間、アスナの顔はパッと明るくなって、


「あ、本当ですか? それならば、何も心配いりますまい。どうぞこちらへっ!」

「え? あ、ちょ、ちょっとっ!」


 そう言ってアスナはテオの手首を掴んで、グイグイと修練場の中央に移動する。

 ふとテオが上を見てみると、生活棟の屋上にジーナの姿が見えた。


「よぅ、テオッ! 今日の修練は俺が相手だぜっ!」


 ジーナは大声でそう叫び、屋上から飛び降りた。


「ア、アスナッ! だ、大丈夫なのっ!?」

「問題ありません」


 テオはジーナの身を案じてアスナに問いかけたのだが、アスナは飛び降りてくるジーナを見ながら平然と言ってのけた。

 そして、ジーナはテオやアスナの目の前に着地した。


「うわっぷっ!?」


 身長二メートルを誇る巨体が相当な高さから目の前に着陸した迫力は凄まじく、風圧と土煙のためにテオはその場で両目をつぶって硬直してしまった。


「よっ! じゃ、始めようぜっ!」


 テオが両目を開けると、そこには二カッと屈託くったくのない笑みを浮かべるジーナの姿があった。思わずアスナの方を見るが、彼女も先程の沈痛な面持ちとは打って変わって実に楽しそうな表情を浮かべている。


(ま、まさか……)


 アスナのその表情を見て、テオの脳内に雷に打たれたかのような衝撃が走った。


「えっと……ちょっと聞きたいんだけど?」

「はい、なんでしょう?」

「さっき言ったこと……先々代の界皇はヴェグナガンに殺されたって話だけど――」

「ああ、あれは嘘です」

「えっ!?」

「申し訳ありません。誠に勝手ながら、あなたはあまり荒事などは得意ではないような気がしたもので……

ですので、どうせ武闘修練をやるなら最大限にやる気を出してもらってからやってもらおうと思い、先程は嘘をつかせて頂きました」


 そう言いながら、アスナは申し訳なさそうに頭を下げた――と言っても、その顔にはまったく反省の色は見えない。


「……じゃあ、先々代の界皇はどうしてるの?」


 テオの質問に、アスナは頭を上げて答える。


「現在は、ここから遠くの地へオーク共を征伐せいばつする遠征えんせいに出ております。あのお方には、私からあなたの事を使者によって知らせておりますので、ご心配には及びません」

「そう、分かった。ちなみに、その……僕の親になるのかな? ご両親? それとも、まだ独身なの?」


 テオのその質問を聞いて、アスナは苦笑しながら言った。


「残念ですが、未だに未婚でございます。私も、早く結婚するように進言しているのですが、なにせあの性格ですから……」

「そうなんだ……ありがとう、アス――」

「ダッシャァァアアアッ!!」


 そのような奇声が聞こえたコンマ数秒後、言葉を発するテオの顔面に激痛が走ると同時に修練場に鈍い音が響き渡った。


「ぶああぁぁっ!?」

「お、おいっ!? 防御しねぇと痛ぇぞっ!?」

「……バカが」


 テオはジーナの顔面パンチによって後方数十メートルまで、砂煙を上げながら吹き飛ばされた。前にいた世界でやられたなら確実に死んでいただろうが、幸いと言うべきか、今のテオは顔面の激痛だけで済んでいる。


「ぐ…く…な、何が……?」


 混乱と激痛のする頭部を押さえ、テオは起き上がった。前方数十メートル先には、アスナとジーナが見える。


「おーいっ! 大丈夫かっ!?」


 ジーナと思われる巨影が手を大きく振りながら、そう叫んだ。


「うんっ! 大丈夫っ!」


 ジーナの問いかけにそう返答し、テオは歩いて元の場所へ戻ろうとした。


「何やってんだ、殴れっ! 俺に殴り掛かって来いっ!」


 ジーナにそう叫ばれ、テオは一瞬動きを止める。


(殴り掛かって来い? この位置から?)


 戦徒は悩んだ――というより、不思議に思った。この距離から殴り掛かっても、どう考えたって当たりっこない。ジーナからは、テオが自分のどこを殴るか予測できるからだ。それとも、『早く元の位置に戻れっ!』という意図を込めているのだろうか?

 戦徒がその場で考え込んでいると、アスナが叫んだ。


「陛下、構いませんっ! コイツを本気でぶん殴ってくださいっ! ヤッちゃってくださいっ!」


……なにやら別の意図を勘繰かんぐりたくなる言い回しだが、テオは気にしないようにする。

 そして、アスナの叫びに呼応してジーナも叫ぶ。


「そうだっ! 来いっ!」


 ここまで二人に言われては仕方ないだろう。テオは自分でも正しいかどうか分からない構えをとる。


「きゃーっ! 界皇様、頑張って!」

「そうだっ! いけぇっ!」

「うあっ!?」


 突然、自分の右斜め上から聞こえてきた嬌声きょうせいに、テオは思わず構えを解いてそちらの方に目を向ける。


「界皇様、頑張れぇっ!」

「負けないで、界皇様っ!」


 そこには、普段テオの食事の世話をしてくれる給仕係や、城内の清掃を担当している清掃係の女性達が、壁に開けられた穴から身を乗り出してこちらに声援を送ってくれているのが見えた。


(ひょっとして、彼女達が上機嫌だった理由って、これを見たかったから……?)


 自分でそのように考えると、テオの心中にも不思議と闘志のようなものがいてくる。テオは思い切って、彼女達の方に手を振った。


「ありがとう、頑張るよっ!」


 その言葉に反応するように勢いを増す声援をかてに、テオは自信たっぷりとした様子で再び構えをとってジーナを見つめた。ジーナも、テオと相対する形で構えをとる。

 そして、テオは意識を徐々に集中させる……すると、周囲の時間がスローモーションのようにゆったりと流れるのを感じた。

 生活棟側に植えてある木から落ちてくる木の葉はゆっくりと――テオが意識を集中させればさせるほど、ゆっくりと落ちていく……やがて木の葉が地面に落ちると、テオは下半身に力を入れて大地をった。

 時が緩やかに流れる空間で、テオはたった一回の踏み込みで疾風しっぷうごとくジーナとの距離を詰めていき、その距離が自分の拳が届きそうな距離まで達した時、テオは渾身の力を込めてジーナを突いた。


「ふっ!」


 テオの右の正拳がジーナの鍛え上げられた腹筋に当たり、その筋肉を波打たせる――テオは続けて左正拳で腹部を突いた――こちらの打撃も、筋肉を波打たせる。

 すると、やがてジーナの体勢はくの字に曲がり、顔に苦悶くもんの表情が浮かぶ――それを見てテオは、集中を解いた。


「がはぁっ!?」


 時の流れが正常になった空間で、ジーナは何が起こったかまったく分からない様子だった。彼女は腹部を右手で押さえ、倒れないように必死で地面を踏みしめる。


「く……この野郎っ!」

「え?」


 ジーナはその顔を憤怒に染まらせ、その身体はみるみるうちに朱色しゅいろと黒色のオーラに包まれていく。


(ヤバッ!)


 慌てて、テオは再び意識を集中させる……そして、再び時は緩やかに流れたが――。


「おりゃあっ!」

「えっ!?」


ジーナはその空間において一瞬でテオとの距離を詰め、テオの顔面に渾身こんしんの右フックを叩き込み、テオの身体を吹き飛ばして生活棟の壁に叩き付けた。

 生活棟の壁が粉々に砕け、中の木材や石材の破片をまき散らしながら、テオは城内の反対側の庭まで吹き飛ばされた。

 テオが反対側の庭に叩き付けられる音が聞こえるなか、城内で働く女性達やアスナ、ジーナは沈黙するが、やがて、ジーナが静かに口を開く。


「……おぉ~」

「貴様ぁっ! 何をやっているんだっ!?」

「いや、俺のせいじゃねぇよっ! アイツが強すぎるから――」

「アイツと呼ぶなっ! 『陛下』と呼べっ!」

「だーっ! うるせぇっ! おい、テオッ! 大丈夫かっ!? テオッ!」

「待て、貴様っ!」


 反対側まで吹き飛ばされたテオに向かって、ジーナとアスナは競うように駆け寄った……テオはすでに失神しており、白目を剥いている。


「おい、大丈夫かっ! テオッ!」


 そう言いながら、ジーナはテオの顔を大丈夫じゃない強さでバシッバシッと叩く――衝撃でテオの後頭部付近の地面が割れて沈むが、ジーナは気にせずにテオの顔を叩き続けた。

 そんなジーナをアスナは蹴り飛ばし、しゃがみこんでテオの容態を調べた……どうやら命に別状はないようだが、おそらく今日中には目が覚めないだろう。アスナに医療の知識はないが、長年の激しい戦闘経験によってある程度は理解できる。

 結局、今日はこれでお開きとなり、武闘修練は翌日に持ち越されることになった。


                   ※


「――まったく……陛下になんてことを……」

「アスナの言う通りですわ。ま、テオ様なら大丈夫でしょうけど、まさか怒りのあまりに気絶させてしまうだなんて……」

「仕方ねぇだろ~、コイツ、俺が思ってた以上に速く動いたんだからよぉ……」


 地平線の彼方かなたに消えゆく太陽が映し出す、燃えるような赤い夕日の色がバルコニー側の扉の隙間すきまや天井付近に空けられた穴から寝室内に入り込むなか、ベッドの上で安らかな表情で眠るテオを見ながら、三人はそう言った。

 あの後、城内の修理を奴隷の女性達に命じ、アスナがテオを寝室に運び込んで治療をほどこそうとしたが、不思議と外傷などは見られなかったため、そのまま安静にさせた。

 テオの寝顔を見ながら、アデーレは誰に言うでもなく自然と言葉を発した。


「それで……どうでしたの? テオ様の強さは?」

「正直、結構強いぜ? 修練や鍛錬さえ積めば、界皇を名乗ったって恥ずかしくはねぇな」


 ジーナのその言葉に、アスナも追随ついずいする。


「私も同感だ。構えや打撃の方法、闘気の発動や利用などはまだ難があるようだが、鍛えればかなりの強者となるだろう」


 しかし、そう言うアスナの顔は、どこか浮かない様子だった……それをジーナも察したのか、テオから視線を移してアスナに向ける。


「どうかしたのかよ、アスナ?」


 その質問に、アスナも答えていいやら悩む仕草を見せ、のどうならせる。


「……何か問題があっても、わたくしは黙っていますわよ? わたくし、テオ様にれていますもの」


 シレッと自分の思いを告白するアデーレだったが、今のジーナやアスナにはまったく響かなかった……やがて意を決したのか、アスナは二人を見て口を開く。


「おそらくだが……これから私達の未来は大きく変わってしまうかもしれない」

「あ? どういう意味だ?」

「そうですわ。もっと具体的に言ってくださいまし」


 二人にせかされ、アスナはテオを見る。


「……まだ私にもハッキリとは分からないが……このお方と私達とでは、価値観が大きく異なる。少なくとも、ヴェグナガンのような外道げどうではないと思うが……」

「ですから、それがどういう――」

「私達は戦う事を禁じられるかもしれないという事だっ!」


 止まないアデーレの追及に、アスナはムッとした表情で言い切った。

 その言葉を聞いて、二人も途端とたんに動揺する。


「ど、どういうことですの? 戦えなくなるって……せ、戦歴はっ!? わたくしの今までの輝かしい戦歴はどうなるんですのっ!?」

「そ、そうだぜっ! だいたい、コイツから直接聞いたのかよっ!? 『戦っちゃダメ』とかよっ!」


 二人のその言葉を聞いて、アスナは首を横に振る。


「……いや、陛下から直接聞いたわけではない。だが、このお方は戦闘力はあるかもしれないが、界皇として優しすぎるのだ。先々代の界皇になんと説明すれば……」

「……まぁ、あの人なら、テオのこと追放しそうだしなぁ……」

「それだけは、断じて防がねばなりませんわ……ですが、テオ様が優しすぎるというのはどういうことですの?」


 アデーレにそう聞かれ、アスナは気まずそうに言った。


「……私達は、戦いが生きがいみたいなものだろう?」

「そうですわね」

「敵を殺してその血を浴びると、たまらなく興奮するだろう?」

「おうよ」

「奴隷制度には反対だろう?」

『その通り』

「……喜べ、陛下は奴隷制度を廃止するかもしれんぞ?」


 ニヤリと笑うアスナを見て、二人の顔にも歓喜の表情が浮かび上がる。


「そんな……本当ですの?」

「マジかよっ! 最高じゃねぇかっ!」


 テオには教えていなかったが、スキティア皇国の奴隷制度は元々はヴェグナガンが作り上げたものだった。当時、その制度にほとんどのスキティア人が反対したが、ことごとくヴェグナガンとの戦いに敗れ、その意見を封殺された。

 それ以来、スキティア人達の心の中には『敵はヴェグナガン』という意識が常にあった……だからこそ、テオの『魂替え』の宣言をアスナがした時も、城下町や城内はあれだけ歓声に包まれたのだ。

 これもテオは知らないことだが、すでにその知らせは海を越えて他の大陸に住まうスキティア人達の耳にも入っている。

 しかしアスナは、ここ数日テオに付き従ってきてある不安を抱いていた。

 その不安は、テオの『学問のすすめ』によって加速した。


「だがな……」


 その思いを語るため、アスナは喜ぶジーナとアデーレを静かにさせ、口を開いた。


「それと同時に、私達は戦う事をこのお方に放棄させられるかもしれない。もちろん、まだ確かな意見を陛下から聞いたわけではないが……だが先日、私は陛下から『ガクモン』なるものを習得するように言われた。そして、ゆくゆくはスキティア人全員にもと……」


 アスナのその言葉を聞いて、ジーナとアデーレは互いの顔を見合った後、


「どういうことですの?」

「あぁ、なんだ? ガクモンって?」


 アスナはその質問をされて、ホトホト困り果てた表情を浮かべた。


「私だって分からんよ……ただ」

「ただ?」


 アデーレの促しに、アスナは自らの思いを吐露とろする。


「……私は、そのガクモンという技を習得すれば、オーク共との、あ、オークというのは山からやってくる獣人共の事で、陛下は今後はそう呼ぶようにおっしゃっているからそのようにしろよ? 一族の者達にも、そう伝えておいてくれ……とにかく、私はガクモンを習得すればオーク共との戦争に勝利することが出来ると考えて、陛下の提案を受けた。

 だが……その後は? 他の大陸に行ってそこのスキティア人達と共同で他の獣人共と戦えばいいのだろう。しかし、それも済んだら私達に何が残る? 平和は来るだろうが、戦争は? 私達の人生そのものである戦いは、どこに残る?」


 アスナの言葉は次第に熱を帯びていった後、彼女と共に鎮まっていった。


「……何もない……陛下にとっては平和が一番だろうが……私達にとっては……」

「地獄ですわね……」


 アデーレが、静かな声色で話す。

 オーク共に勝利できるのは嬉しい。だが戦いを止めることもできそうにない……そんなジレンマがスキティア人達にやがて訪れることを、アスナは危惧していた。


「なんのことはねぇよっ! ガッハッハッハッ!」


 静まり返った寝室で、ジーナの竹を割ったような笑い声が響いた。

 アデーレとアスナが、思わずジーナに視線を移す。


「俺達ぁ、戦闘民族だっ! 戦いがすべてだっ! 戦いが人生だっ! オークだかなんだか知らんが、獣人共がいなくなったら俺達同士で戦えばいいじゃねぇかっ! 死合いみたいによぅ!」

「それを陛下が許すと思うか?」


 アスナの質問に、ジーナは勢いを失った……実際、深く考えて言ったわけではない。


「そ、そりゃあ、まぁ……いや、無理か?」

「……正直、私にも分からん。だからこそ、怖いのだ」


 そう言って、アスナはテオを見ながら口を開いた。


「私達が戦いを止めたら、私達は何をすればいいのだろう? 戦うことを禁じるかどうか……禁じるなら、その日から私達は何をして日々を過ごしていけばいいのだろうか……?」


 アスナのその問いに、アデーレとジーナは答えられなかった……答えることさえも、恐ろしかった。二人には、戦いのない人生というものが想像出来なかったのだ。

 結局、二人は無言で寝室を出て行ってしまった。

 ベッドでスヤスヤと眠るテオの顔を見て、ひとり残されたアスナは密かに決意する。


(……心配しないでください。あなたは、私が必ず守ります。ですが……)


 そこから先の思いを、アスナは考えたくなかった……アスナはズレている毛皮布団をテオの身体に掛け直し、寝室を後にした。


                    ※


 アスナがその高潔こうけつな忠誠心を示していたその頃、スキティア皇国の本拠地となっている城塞から北にしばらく向かった先にある山脈地帯の奥……スキティア人達がゴアヘルムと呼んでいる地では、オーク達の王が交代する騒ぎが起きていた。

 スキティア皇国から山岳地帯を抜けたすぐ先にオーク達の住処となっている集落群があり、その集落群を抜けた先の奥深く、丁度別の山脈の中頃にはオーク独特の美意識を取り入れた城塞と神殿があり、神殿の奥にはオーク達の王が鎮座する玉座がある。

 その玉座には、一匹のオークがいかにも偉そうな態度で座っていた。


『新しき王よ。どうか我らをお導き下さい』


 階下かいかでその外見とは似ても似つかない言葉を話す臣下しんかのオークの言葉を聞いて、玉座に座るオークの王は深く頷いた。

 彼の前には、大きなボウル状の器に注がれたオークだけが飲む酒と、大量の肉の塊が置いてあった。

 彼はその肉の塊を食べて酒で流し込み、やがて完食すると、玉座に見えるように成型された石から立ち上がる。


『これからは、俺がお前達の王だっ! 俺の言う事にはすべて従えっ! まずは山岳の向こう、あの憎々(にくにく)しいスキティア人共を根絶やしにするぞっ!』


 彼の宣言に答えるように、洞窟内はオーク達の雄叫おたけびで満たされた……彼はその光景を見て、確信したように笑みを浮かべた。


(待ってろよ……すぐに舞い戻って可愛がってやる……クククッ……)


 彼は胸の中でそう誓うと、新しく持ってこられた酒を一気に飲み干した。

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