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ラーレ・ムンドゥス ~異世界で戦闘民族と国作り!~  作者: 印西たかゆき
第一部:第一章 適当な処置と希望の芽生え
2/80

目覚めた世界は自分にとって、どのような場所なのか?

(ん……)


戦徒が目を覚ますと、辺りはまったく光の無い暗闇くらやみに包まれていた。

戦徒は起き上がりながら床と思われる部分を触ってみるが、少し不思議な、例えようのない感触がした。


(どこだろう、ここ……?)


この空間にはまったく音や光がなく、両手から伝わってくる感触も手伝って、戦徒はしだいに恐怖を感じ始めた。

 立ち上がって周りを見渡しても、何も見えない……戦徒が泣き出しそうになると突然、目の前の空間に轟音ごうおんと共に紫色の閃光が走った。


「うわぁっ!? おぶぅっ!?」


 戦徒は恐怖のあまりに言葉にならない叫び声を上げ、目を閉じて後ろに倒れてしまった。


(な、なに……? 何が起こったの……?)


 突然の事態に、戦徒は戸惑とまどいを隠せない……そして、戦徒は自分の前方に強大な気配を感じた。幽霊的な気配だ……戦徒は膝立ちになって目に見えるほど全身を震わせ、無意識に両手で祈りのポーズをとって目を閉じた。

 そんな戦徒の両肩に、大きな手がポンと置かれる。


「ひぃっ!?」

「うわっ!?」


 戦徒が悲鳴を上げると、彼の前方から女性の悲鳴が聞こえた。


「……だ、大丈夫か?」


 落ち着いた、柔らかな声色だった。


「あ……は、はい……大丈夫です……」


 その声を聞いて戦徒は安心したのか、ゆっくりと目を開けた……先程まで完全な暗闇だった空間は、少しだけ明るくなっていた。

 明かりの光源を探してみるがどこにもそれらしき物はなく、戦徒のすぐ目の前には一人の女性が立っていた。

 その女性は長身で、上半身は毛皮を加工して作られた胸当てで隠し、下半身には腰から膝までの長さがある毛皮の腰当てを着けている。


「ふぅ……ま、目覚めざめてなによりだ……」

「へ?」


 戦徒が女性の姿に驚いていると、女性は静かに話し始めた。その声は威厳いげんあふれ、聞く者に不思議と安心感を与える。


「とにかく、願いは叶えてやった……」

「あ、あの……」


 戦徒の話しかける声を無視して、女性はさらに言葉をつむいでいく。


「しかし、問題が起きた。お前の願い……チート能力を授けて下さい……だったか? それは出来たのだが、お前のいた世界の場所が分からなくなってしまった」

「すみません、どういう――」

「というわけで、お前は今日からこの世界で界皇になれ。はい、さよなら~」


 そう言い残して、笑みを浮かべた女性は紫色の光に包まれて消え去ってしまった。


「ま、まっ……て……」


 それと同時に、戦徒の意識も徐々に遠くなっていった……。


                  ※


「……あれ?」


 戦徒が意識を取り戻して再び目を開けると、自分の身に起きた事態に混乱してしまった。


(確か神社で祈ってたら変な光に吸い込まれて、女の人と話して……どうしたんだっけ?)


 普通の人間が聞けば首をかしげる話だが、実際に戦徒の身に起こってしまったものはそういったたぐいのものなのだから仕方ない。


(どこだろう、ここ?)


 いつの間にか、自分の体を預けていたベッドから戦徒は起き上がり、周りを見渡した。


(……え?)


 戦徒の目の前に広がる光景は、さっきまで自分がいたはずの神社の境内けいだいや謎の空間ではなく、まったく別のものに変わっていた。


(ここって……)


 この状況に驚きつつもよく周りを観察していると、この場所が寝室であることは理解できた。

 しかし、それは戦徒が普段から寝ている自分の部屋ではなく、木材を多用した広い寝室だった。部屋中が木の香りであふれかえっており、自身の体を預けているベッドはキングサイズ程の大きさがある。だが驚いたことに、ベッドは戦徒が知っているようなものとは違っていた。

 高さは戦徒の太ももくらいあり、外枠そとわくは木材の板で形成され、戦徒が体を預けていたベッドの中には、良くなめされた一枚の大きな厚みのある革がかれ、その下には大量のわらが詰め込まれており、戦徒の体を包んでいたのは何か大きな動物の毛皮だった。

 枕はなめし革の袋の中にわら綿わたが詰め込まれているものであり、それなりに寝心地が良かったように思える。

 部屋の中は戦徒から見て右側にある石造りの壁にもうけられた隙間すきまかられてくる光で少しだけ明るかった。


(ひょっとして……)


 明らかに、自分が知っている場所ではない……眠りから覚めて徐々に自分の意識が覚醒かくせいするにつれて、戦徒の疑問は確信に変わった。


(ここって……ひょっとして異世界っ!?)


 普通に考えればバカげた考えであるが、さっきの女性の件といい、そうと思わなければこの状況を理解することは今の戦徒にはできなかった。彼自身は読もうとは思わなかったが、学校の図書室でそのような異世界モノの本を見かけたことがある。

 戦徒はベッドの中で毛皮をかぶってうずくまり、心の叫びをあげた。


(やったーっ! もう誰にもいじめられないっ! ははっ、こんな、こんな事が自分の身に起こるなんてっ!)


 毛皮の中でありたっけの思いをぶちまけた戦徒は冷静になるにつれて、その心中に様々な思いがこみ上げてきた。深呼吸した際の鼻腔びくうからは、わらの香りが心地よく、ふんわりとただってくる。


(ママ……どうしよう……)


 そう、かつて自分がいた世界で唯一自分の味方だった存在……自分の母親は、この世界にはいない。

 それに、まだここがどのような場所なのかもわからないし、本当に自分が異世界に来たという根拠もなかった。


(……ジッとしてるワケにもいかないか……)


 そう決心し、戦徒はベッドから降りて、自分がいる場所についてさらに情報を集めようとした。

 度重なるイジメと両親の不仲によってすっかり変わってしまったが、こう見えても戦徒は意外と行動的な人物である。

 周りを見渡すと寝室の内装や家具もほとんどが木製であるが、寝室の広さとは対照的で無駄な装飾が一切なく、実用的で非常に頑丈な作りになっているように思える。

 ふと自分の手足を見ると、戦徒は驚いた。


「何これっ!?」


 戦徒の手足は、雪のように白くなっていた。しかも、戦徒は本来メタボ体型だったのだが、今はスッキリとした女性のような体つきで、少し背が小さくなっているように感じる。

 しかし、そっと毛皮のパジャマの下半身部分をたくし上げて見てみると、男性の象徴はしっかりとあるべき位置についている……ということは、性別は変わってはいないのだろう。

 戦徒は自身の体型の変化に戸惑いつつも、寝室の観察を続けた。

 ベッドから見て右側には木製の扉があり、戦徒は裸足はだしでその扉の前まで行くと、扉の取っ手を掴んで慎重しんちょうに開けた。

 開ける途中で扉の隙間からまばゆい光がれ、そのまま扉を開け放つと外から太陽の光が入り、まぶしく感じた戦徒は一瞬、ひるんで目をつぶった。

 しばらくして光に慣れると、戦徒は目を開けて外の様子を見る……そこは、小さなバルコニーのようだった。

 バルコニーの床には、石を均一きんいつに切って成形された石畳いしだたみめられていたが、その石畳の均一さに戦徒は疑問を持った。

 ここが異世界だとして、部屋の中のほとんどの物品が木材を使って製作されていたことから考えると、この時代は古代か、良くても中世だと思われる。

 問題は、そのような時代背景の中で、この成形された石畳の工作精度が非常に高いことだ……ほぼ正方形になっている。それこそ、何かの工作機械を使わなければ作れないような代物のように思えた。

 だが、戦徒が考えるようにこの時代が古代や中世レベルの文明を持った世界なら、そのような工作機械など存在しないだろう。これほど精密な作りの石畳を作るのは、不可能なはずだ。


(魔法かな?)


 バルコニーに出て、床にしゃがんで石畳をでながら、戦徒はそのように考えた。

 少なくともここが異世界であり、なおかつ異世界小説のお約束に従えば、文明全体では古代や中世レベルでも、『魔法』という戦徒の世界には無かった存在が介入することによって、このような石畳を作ることは可能だと思える。


(ま、いっか!)


 そのように戦徒は楽天的に考えて、バルコニーの別の場所に視点を向けた。

 バルコニーの右側は、この住居の物と思われるレンガのように形作られた石で出来た壁があり、中央と左側には城壁を挟んで広大な森林や海洋が広がっており、人工物などの類は一切見えない。

 バルコニーの石の柵から身を乗り出して下と上を観察してみたが、どうやらこの建物は現代の建物と比べればかなりの高さがあるように思われる。

 戦徒は室内に戻って正面、ベッドから見て左側の大きな木製扉を発見し、その扉に近づく……すると突然、扉からノックの音が聞こえた。


「は、はいっ!」


 突然のノックに驚いて声が裏返った戦徒は、扉の前で直立不動になってしまった。


「陛下、アスナです。失礼します」


 扉の向こうからりんとした女性の声が聞こえ、扉が開いた。


(うわぁ……)


 扉から入ってきた女性の美貌に、戦徒は息を飲んだ。

 女性の年齢は二十代半ばといったところで、つややかな黒髪は後ろの方は首筋までの長さがあり、両目に少しかかる前髪はどこか色気がある。

 女性的なボディラインをたもちながらも、全身の筋肉の筋が浮かび上がったそのたくましい肉体には、腰から下はよく手入れされた毛皮の腰当て、胸部にはその体型にフィットするように成形された毛皮の胸当てをしていて、下着のようなものは付けていないようだった。

 その毛皮の胸当てから見える乳房は、戦徒に良からぬ妄想を抱かせるには充分であり、筋肉の筋がうっすらと浮かぶ足には、茶色い編みサンダルを履いている。

 その姿は、戦徒が謎の空間で出会った女性の服装を洗練させた装いのようにも思えた。

 戦徒が女性に見とれていると、女性は戦徒に向かって、胸に右手を当てて一礼した。女性のその仕草に驚きつつも、戦徒は自分が気になる事を聞いてみた。


「あの……アスナ、さん? ここはどこですか?」


 戦徒がそのように聞くと、女性は頭を上げて眉間みけんにシワを寄せて厳しい表情を見せた。


「は?  陛下の寝室ですが……なにか御不満でもございましたか、陛下?」


 自身をアスナと呼んだ女性の深い青色の瞳に見つめられ、戦徒の身体は思わず硬直してしまう――もちろん、その厳しい表情にも恐怖している。


「あ、いえ、なんでもないです……」


 学校でのイジメのせいか生まれついてのものなのか、女性が苦手な戦徒は百九十センチ以上ある背丈を誇るアスナに見つめられて、目を逸らしてしまった。

 それに、目の前にいるアスナという女性が自分のことを『陛下』と呼んでいることも、戦徒には理解できなかった。


「はぁ?……それでは」


 アスナは戦徒に近づいて、おもむろに戦徒の着ていた毛皮のパジャマを荒っぽく脱がし始めた。


「はっ!? 何をっ!?」


 戦徒が驚いている間に、アスナはさっさと戦徒の着ていたパジャマを脱がしてしまい、戦徒はアスナと同じような腰当てと胸当てを着けられて、アスナと同じようなサンダルを履いた後は黒い毛皮のマントを着せられた。


「それでは、朝食のお時間です。こちらへ」


 辱めを受けた戦徒の思いも知らずに、アスナは無愛想にさっさと部屋を出てしまった。


(どうなってんの、コレ……)


 ここでジッとしていても何も始まらないと思い、戦徒は勇気を出して部屋の外に出た。

 廊下の床や壁も木製で造られており、床は幅が広く、壁はかなり高い。その壁には、あわく白く光る石のようなものを中に入れた松明たいまつが、等間隔とうかんかくに掲げられていた。

 戦徒はアスナと一緒に廊下を歩いていき、二人は階段を降りて一階にたどり着くと、目の前に見える玄関の方まで行って左に曲がり、少し進んだ――すると、左側の壁に扉があった。

 アスナは扉の前に立って戦徒の方に向き直り、扉を開けた。


「どうぞ、陛下」

「あ、どうも」


 仏頂面ぶっちょうずらのアスナを後に、戦徒は扉の先に進んだ。

 部屋の中に入ると、中央に長方形の木製テーブルが置かれており、テーブルの上には様々な種類の料理が並んでいた。しかも部屋の中には、アスナと同じような格好をした数人の女性達がおり、各々(おのおの)が食事の準備をしていた。

 しばらく戦徒が呆然としていると、アスナが後ろから話しかけてきた。


「陛下? いかがなさいましたか?」

「あ、いや……なんでもないです……」


 しかし、戦徒はある疑問を胸に抱いていた。


(どこに座ればいいんだろう……?)


 普段、戦徒の食事の席はリビングのテレビに近い席と決まっていたが、ここにはテレビはない……この状況では、自分が座るべき場所がまったくわからなかった。


「あの……」

「はい、なんでしょう?」


 戦徒の横に立つアスナに、戦徒は恐る恐る質問した。


「どこに座ればいいんですか?」

「はい?」


 戦徒の質問を聞いたアスナは完全に意表を突かれたような表情をしており、食堂に控える女性達も作業の手を止めて、訳が分からないといった表情をしていた。


「あ、いや、その……忘れちゃって……」

「はぁ……そうですか。どうぞこちらへ」


 そう言ってアスナは、戦徒を食堂の左奥にある独特な紋章が描かれた大きな旗が掛けられた壁の前の席に案内し、イスを引いた。

 戦徒がそこに着くと、アスナは女性達にアイコンタクトで『さっさと仕事に戻れ』と合図を送り、女性達もそれに気づき、急いで食事の準備を済ませる。


「あ、ありがとうございます……」

「いえ、どういたしまして」


 アスナは事務的にそう言うと、戦徒のすぐ右隣に下がって微動だにしない……戦徒がテーブルの方を見ると、料理の盛られた皿などが置いてあったが、ナイフやフォークなどの食器が置いてなかった。


(ひょっとして、素手で食べるのかな?)


 戦徒は多少驚いたが、さほど嫌悪感は感じなかった。というのも、学校の図書室で本を読み漁っている途中、イスラム圏などの一部地域では素手で直接料理を取って食事をすることを戦徒は知っていたのだ。


(まずは……)


 戦徒は迷うことなく素手で食事をすることを選び、目の前に並べられた料理の中からまずは目の前の肉の塊を手でほぐして少し取り、そのまま口の中に放り込んだ。


「っ! おいしいっ!」

「ありがとうございます。料理人に伝えておきます」


 戦徒が心の底からそのように言っても、アスナは無表情にそう言って他の女性達と共に給仕をしていた。結局、そのまま満腹になるまで、戦徒は食事を満喫してしまった。


「それでは陛下、こちらへ」

「あ、はい」


 テーブルに並べられた料理の大半を平らげ、もうすっかりこの世界になじんでしまったかのような様子の戦徒は、アスナに言われるがままに食堂を後にした。

 食堂から出た戦徒は、アスナの後ろを上機嫌で付いて行く。

 初めてこの世界に来た時はどうなることかと思ったが、自分が目覚めたこの建物やあの豪勢な食事から考えて、自分は貴族か王族に当たる人物に転生したと考えられる。だとすれば、今後何があっても自分がいじめられることは無いだろう……王族や貴族に転生してもいじめられるようなら、自殺も視野にいれなければなるまい。

 ただ、注意は必要だと考えている。以前、図書室で読んだことがあるが、古代や中世の貴族や王族の中には贅沢ぜいたくな暮らしを享受きょうじゅしていた一方、裏切りや謀略ぼうりゃくに巻き込まれて悲惨ひさんな最後を辿たどった者もいる。

 まだこの世界には慣れていないが、いずれはそういった部分もこの世界で勉強しなければならないだろう……戦徒はそんなことを考えながら玄関から建物を出て、整地された石畳の道をある程度進んでから、なんとなく後ろを振り向いた。


(うわぁ、大きい……)


 戦徒の後ろには灰色の石材で作られた巨大な、城塞といっても過言ではないほどの建造物が建てられていた。

 この城の中は木材を多用していたが、外側の方は石材を多用しているようだった。

 しかも、玄関を出た際に少し建物の壁を見たが、どうやらこの建物を構成している石材はレンガ状に成型されており、その石を積み上げる際にセメントのようなもので補強されているようだった。

 実際にセメントかどうかは分からないが、この世界の建築技術はかなり進んでいると思われる。

 建物の中には、あわく光る石が入れられた松明たいまつが立てかけられていた。 

 戦徒はあの松明が気になって近くで観察してみたが、熱さを感じなかったことから考えてあの松明の中にある石が室内の木造壁に火を点けるという事態は起こらないと思う。

 だが……あくまで戦徒の想像だが、中世や古代の王族や貴族が住む場所ならば、床や壁などには大理石を用いて所々に金細工きんざいくなどをあしらうと思うのだが……そのような物質や価値観などは、この世界には無いのだろうか?

 戦徒がそんな考えを胸の奥にしまい込んで改めて建物を見ると、あることに気づいた。

 どうやら、今までいた建物は城内関係者が生活する建物らしく、その右側……中央の部分には、戦徒が先程までいた建物よりもさらに大きな建造物が、生活拠点となっている建物の二階と一階の渡り廊下で繋がっている。

 そのさらに右側には、先程自分達が出てきた建物と外見の似た建物がある。ここからでは良く見えないが、おそらくあの建物も中央の建物と渡り廊下で繋がっているのだろう。

 戦徒達は城の正面にある城壁に設けられた木製の巨大な扉から外に出ると、バルコニーで見た正方形に成型された石が敷き詰められた下り坂を歩いて行き、城下町と思われるエリアのすぐ右の道をしばらく歩く。

 城下町の道路も、自分が歩いているこの道も、石材によってよく整備されている。驚いたことに、この道も城壁と同じような作りで、石と石の隙間をセメントのような物質で固められていた。


(賑やかだなぁ……)


 戦徒は城下町の方を見て、ほのぼのとした気持ちになった。

 一番手前に見える木造の酒場と思われる店の奥では、アスナと同じくらいの背丈の女性達が、木製のジョッキを片手に談笑している。店の奥には明かりが見え、そこには多くのタルや木箱が置いてあった。その向かい側の建物では、様々な形状の生肉を店先にぶら下げている。おそらく、精肉店だろう。

 町にいる人々も、アスナや城塞で見かけた女性達と同じように、大柄で筋肉質な肉体をしていた。

 城下町のエリアを出てしばらく進むと、戦徒の目の前には古代ローマに出てくるコロシアムのような建物が見えた。

 その建物の近くまで行くと、アスナは正面の出入り口には向かわずに、そのままコロシアムのような建物を回り込むように進み、ちょうど建物の裏側にある出入り口の前に来た。

 戦徒もアスナの後ろを付いてきたが、どうやらこちらの出入り口は特権階級の人間しか入れない所なのか、さっき見た出入り口と違って上の壁に細やかな装飾が施されており、見張りと思われる二人の女性達が立っていた。


(ここは……)


 呆然ぼうぜんとする戦徒に向かって、アスナは左手で入り口を示しながら礼をした。


「どうぞ、陛下。お入りください」

「は、はい……」


 戦徒は見張りと思われる二人の女性達になんとなく頭を下げながら入り口の中に入り、勾配こうばいのある廊下を進んで行く――戦徒が静かな廊下を抜けて辺りを見回すと、そこは観覧席のようだった。同時に、コロシアムの観客席から聞こえてくる熱狂的な声援が戦徒の頭の中でこだまする。

 戦徒の隣には動物の革のような物を張った太鼓が置かれており、傍には女性が立っている。

 驚きながらも先に進むと、観覧席の中央に他よりも遥かに豪華なイスが置かれているのが見えた。豪華と言っても、普通のイスに色とりどりの毛皮が巻かれているようなものだ。


「あら陛下。本日もご機嫌よろしいようで、なによりですわ」


 戦徒の姿を見るなり、豪華なイスの手前の席に座っていた二十代半ばの年齢と思われる金髪の女性が歩み寄り、微笑みながらひざまづき、頭を下げた。一見いっけんうやうやしい仕草しぐさではあるが、テオにはその女性が本心からそうしているようには見えなかった。

 立ち上がった女性はアスナと負けず劣らずの長身と美貌を誇り、胸当てはアスナと変わらない代物のようだが、腰当ては膝の少し下まで長くなっている。きらめく金髪は後ろでかきあげて植物のツルで纏めており、編みサンダルを履いている。


「あ、どうも……」


 そう言いながら戦徒がしばらく女性の美しさに見とれていると、後ろからアスナの声が聞こえた。


「相変わらず、泥臭い体臭がするな」


 アスナの方から敵意を剥き出しにした声が聞こえると、金髪の女性はまゆをピクリと動かした後にテオの後ろを見た。


「あら……アスナ? もう結構よ、下がってちょうだい」

「えっ? なんだって? 良く聞こえなかった――」


 アスナがその先の言葉を言おうとすると、アスナの鼻先数センチ手前までアデーレが一瞬で迫った。


(うわっ!)


 突然の風圧に心の中で悲鳴を上げる戦徒とは別に、アスナとアデーレは向かい合ったまま微動だにしない。


「それ以上くだらないことをおっしゃるなら、たとえ陛下の御前ごぜんといえども容赦致ようしゃいたしませんわよ?」

「ほう……どういう意味だ?」


 鼻先がぶつかりそうな距離でアデーレに脅されても、アスナはまったく怯まない。


「っ! いい度胸ですわっ!」


 アスナの言葉を聞いて、アデーレの右手から金色に輝く球体が現れた――アスナの全身からも青色のオーラが現れる――。


「待ってっ!」


――戦徒の叫びにより、二人はそのまま微動だにしていないが、オーラや殺気はまったく消えていない。観覧席の近くにある観客席にいる女性達も、何事かと観覧席の方を見る。


「と、とりあえずやめてもらえませんか? これから、何か始まるんですよね?」


……戦徒の言葉を聞いて、二人はゆっくりとオーラや殺気を消していき、アデーレは何事もなかったかのように席に戻って不機嫌な様子で頬杖ほおづえをつく。その様子を見て、アスナは戦徒の方へ向き直って礼をした。


「……失礼しました。どうぞ、こちらへ」

「はいっ!」


 自分の目の前で殺人事件の現場を見なくて済んだ戦徒は、内心ホッとしながらアスナに導かれるままに観覧席の一番前、中央の豪華なイスに座った。

 改めて周囲を見回してみるが、ここはまさしく古代ローマのコロシアムのようであり、自分が座っている観覧席の下や周りには多くの座席が配置されている。

 コロシアムの中心、一番下の客席から四メートルほど下には、焦げ茶色の地面がむき出しになっており、対面には長大で重厚な作りの木製扉が設置され、その扉が設けられた部分の一直線上には客席はなく、焦げ茶色の壁が建物の外まで続いていた。

 戦徒が席についてからしばらくすると、徐々に他の観覧席にも人が集まり始め、やがてコロシアム内は大きな熱気とざわめきに包まれる……そして、後ろに置かれた太鼓の傍に控えていた女性が勢いよく太鼓を鳴らすと、大きな歓声が上がった。

 周りが興奮した様子のなか、戦徒は一つ気になることがあった。


(女の人ばかりだ……)


 戦徒は自分の周りを見渡しながら、素直にそう思った……このコロシアムには、女性しかいないように見える。女性達はそれぞれ肌の色や人種が違うようで、アスナのように筋肉質な女性もいれば、アデーレのようにしなやかな体型をした女性もいるし、今の自分のように、少し背が小さい女性もいる。

 戦徒は何気なく自分の股間に手を当てるが、しっかりと男のモノが付いている。


(男の人は……)


 急に、男は自分しかいないのではないかという、得体のしれない不安に襲われた。

 戦徒がこの状況に恐怖していると、いつのまにかコロシアム内は静まり返り、アスナが困った表情で自分を見ているのに気付いた。


「えっと……どうかしましたか?」


 戦徒が自分の心の内をさとられないように聞くと、アスナは顔を近づけてささやいた。


「陛下、『死合い』の開会宣言をお願いします」

「は……?」

「ですから……死合いの開会宣言をお願いしますっ!」


 アスナが何を言っているのかわからなかったが、『開会宣言』を自分がしなければならないことは理解した。

 戦徒は慌てて席から立ち上がったが、そこからどうすればいいのか分からない。


「え~と……」


 戦徒の頭の中はパニックになり、まったく言葉が思い浮かばない。


「……開会を、宣言します……」


 やっとひねり出した言葉をボソボソとした声で話す戦徒だったが、コロシアムの中は相変わらず静まり返っていた。


(……あれ?)


 戦徒が徐々に焦り始めた時、戦徒の隣の席にいたアスナは太鼓の脇に立つ女性の所まで言って耳打ちすると、その女性は木の棒を腰当てから取り出して、太鼓の横に吊るされた鐘を全力で叩いた。


「うおおおっ!」

「いいぞーっ!」

「やれ、やれーっ!」


 鐘の音が聞こえると、コロシアムの中にいる女性達が一斉に歓声をあげる。

 しかし、戦徒が知っているような、学校のクラスにいた女子達のようなかわいらしい声ではなく、非常に野性的で魂の底から吐き出したかのような野太い声色だった。

 戦徒がコロシアム内の熱気や歓声にたじろいでいると、コロシアムの左右に設置された扉が開き、中から人影が現れた。


(……なんだろう、あの人達?)


 扉からコロシアムの中央に歩いていく二人を見て、戦徒は興味を示した……一方は黒髪を腰まで伸ばした女性で、見た目や服装はアスナとそう大差ない。

 もう一方は長身で褐色の肌をしており、筋骨隆々な肉体と燃え盛る炎のような真紅の髪が特徴的だった。

 やがて二人は闘技場の中央で止まり、しばしの時が過ぎた。


(……ひょっとして……)


 戦徒には、この光景に見覚えがあった……もっとも、直接見たわけではなく、あくまで歴史の教科書であるが……それは、古代ローマの剣闘士試合である。

 ただ、剣闘士の試合は一対一の決闘方式や猛獣との戦い、模擬的な海戦など、その内容は多岐にわたり、興行的な意味合いもあった。

 見たところ、戦徒が目撃しているこの光景は一対一の決闘方式のようだが、武器ではなく素手による闘いらしい。

 しかし、あくまで戦徒個人の感想であるが、周りの観客は興行こうぎょうの如く熱気に包まれているが、コロシアムの中央で睨み合う二人からは殺気のようなものを感じる……。

 戦徒がそんなことを考えていると、後ろから再びアスナの囁き声と鐘の音が聞こえ、コロシアム中にまた歓声があがり、中央の二人は互いに相手へ突撃していった。


(やっぱりそうだっ!)


 この光景を見て、戦徒の疑問は確信に変わった……この状況は古代ローマで行われていた剣闘士試合、あるいはそれに近いものである。


「あの……」


 戦徒は恐る恐る、いつの間にか自分の右隣に座るアスナに話しかけた。


「はい。なんでしょう、陛下?」

「あそこで戦っている二人ってどういう人達なんですか?」

「あぁ……アレは奴隷達です」

「……え?」


 アスナの言葉に、戦徒は耳を疑った。


「ど、奴隷? あの二人、奴隷なんですかっ!?」


 戦徒が興奮気味に問いただすと、アスナは少しだけ驚愕の表情を浮かべた。


「はぁ……左様ですが……何か御不満がございましたでしょうか、陛下?」

「あ、いや、別に……なんでもないです」


 戦徒はそう言って、目の前の二人の戦いを沈痛な面持ちで見ようとした。


「あれ?」


 しかし中央に二人の姿はなく、代わりに何かが激しくぶつかるような鈍い音が何度も聞こえてきた。


「あ、あの、二人はどこに?」

「……上ですが?」


 上を見ながらそう言うアスナにつられて戦徒が上を見ると、空中を飛び回る二人の人影が見えた。


(ひ、人が飛んでるっ!?)


 戦徒がベタな感想を心の中で叫んでいると、やがて人影は互いに激しくぶつかり合った後、そのまま急降下して地面に激突した。

 ほぼ同時にコロシアムの中央付近で轟音ごうおん土煙つちけむりがあがり、一際大きな歓声があがってしばらくして煙が消え失せた中央の地面には、ひざまづく黒髪の女性と左胸を押さえてそこから血を流す褐色の女性が立っていた。


「……陛下、審判を」

「は、はい……」


 もはや戦徒が何をすればいいのかわからない雰囲気を察したのか、アスナが戦徒の耳元でそうささやいたが、戦徒は迷っていた。


(どうしよう……)


 もしこれがローマの剣闘士試合のようなものならば、どちらかに勝敗を分ければどちらかが死ぬ場合もある……しかし状況を見れば、どちらの方も深手を負っているように見える……悩んている戦徒の様子を、アスナやアデーレをはじめ、闘技場のすべての人間が見守っていた。

 そして、戦徒は決断を下した。


「……引き分けっ!」

「はっ!? 陛下、なにを仰るのですかっ!?」


 周りの女性達もアスナと同じ気持ちなのか、コロシアム内にどよめく声が聞こえる。それは中央にいる二人も同じで、お互いに戦徒のまさかの判定にポカンとしている。


「き、今日はこれまでっ!」


 そう言って、戦徒はコロシアムから走り去ってしまった。

 アスナは走り去る戦徒を驚愕の表情でジッと見つめた後、ハッとした表情をしてコロシアムにいる者達に向かって叫んだ。


「聞いただろうっ!? 今日の死合いはこれで終わりだっ! 闘士は宿舎に戻り、他のみんなも今日は帰ってくれっ!」


 アスナの言葉を聞いて、ほとんどの女性達は不満を漏らしながらゾロゾロとコロシアムを後にした。

 アデーレやアスナも、闘技場に人がいないことを確認すると、後始末をそばひかえていた女性達に任せてコロシアムを出て行ってしまった。


「……どういうことかしら?」


 通路を抜けてコロシアムの外に出ると、アデーレはアスナに向かって静かに語りかける――その様子は、テオの前で見せたものとは違う、歴戦の強者つわものの雰囲気をまとっていた。遠くの方では、コロシアムから出てきた女性達の話し声が騒がしく聞こえてくる。


「……分からん……」


 アスナは、コロシアムの出入り口から見える巨大な城を見て、静かにつぶやいた……。

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