クソッタレな世界よ、さらば(ママ、ごめんなさい)
今回、初めて異世界ファンタジー物を投稿させて頂きます!
まだ他の小説は完結していませんが、なるべくペースよく投稿出来ればと思っています。
これからもよろしくお願いします!
窓を覆った白いカーテンのわずかな隙間から漏れる陽光で、中島戦徒は目を覚ました。
(はぁ……今日もか……)
戦徒は羽毛布団と毛布を名残惜しく脱ぎ捨て、四つのステンレス製の支柱に支えられただけの簡素なベッドから起き上がり、少し神経質な感じに整頓された学習机に置いてある時計を見ると、時刻はすでに朝の八時を過ぎていた。
(学校、行きたくないな……)
しかし、学校に遅刻しそうだというのに、戦徒に焦りの様子はない。
彼はカーテンを開けて寒空の上に燦々(さんさん)と輝く太陽を眺めて一息つき、ゆっくりとした動作でベッドの横にあるクローゼットから学校の制服一式を取り出し、これ以上ないほど気怠そうに着替えた。
着替えを終えると、戦徒は二階にある自分の部屋を出て、一階のリビングまでトボトボと歩いていった。戦徒の足取りは重く、一歩一歩進むたびに彼の胸には悲壮感が漂っていく。
「あら。おはよう、せんちゃん」
「……うん」
戦徒が扉を開けてリビングに入ると、そこから左斜め前に見えるキッチンには彼の母親がおり、優しい口調で戦徒に朝の挨拶をし、戦徒がイスに座るのを見て手早く卵焼きの盛り付けられた皿や白米、味噌汁などが入った茶碗を彼の前に置いた。
母親の方も、この時間に戦徒が家にいるということは確実に学校に遅刻することを意味していることを知っているはずだが、それを咎めるような様子はない。むしろ、それが当たり前であるかのように振る舞っている。
「……頂きます」
「はい、召し上がれ」
戦徒が卵焼きや白米なんかを食べていると、リビングの扉がゆっくりと開いた。
「なんだ、戦徒……学校はどうした?」
「……ごめん、遅刻する」
「何っ!? またかっ!?」
戦徒の次にリビングに入ってきたのは戦徒の父親であり、戦徒の無気力な返事を聞いて苛立ちを隠せずにいた。
父親の苛立ちの声を聞いて戦徒が体をビクビク震わせていると、母親がキッチンで父親の分の朝食を作りながら口を開いた。
「あら? あなただって、このままじゃ遅刻になるんじゃありません? 人の事が言えるのかしら?」
「なんだとっ!?」
戦徒はリビング内に流れる不穏な空気を察知すると、急いで食事を終えてリビングから出ていこうとした。
「おい、待て戦徒っ!」
しかし、父親がそう叫ぶと戦徒の身体は否が応でも硬直し、ほぼ強制的に父親の方に身体を向けざるを得なくなる。
戦徒が父親の怒声を覚悟していると、キッチンにいる母親が家事の手を止めて父親を睨みつけて声を荒げる。
「あなただって、早くしなさいよっ! 今日は『大事な会議』があるんでしょうっ!?」
「な、なんだ、その態度はっ!? 何か不満でもあるのかっ!?」
そうして父と母が言い争っている隙をつき、戦徒はリビングから逃げるように立ち去っていった。彼の去ったリビングでは、父と母の激しく言い争う声が響き渡っている。
戦徒は二階の自分の部屋から通学カバンを取って、ふと自分の部屋を見渡す。
(……)
特に何かあるわけではない。しいて言えば、『今日もこの部屋に帰って来れるだろうか?』という、不穏な気持ちになっただけだ。
そして、チラリと机に置いてある時計を見て玄関に行くと、後ろから口論を終えた母親が声をかけてきた。その表情は先程リビングで見た険しいものとは違って、慈愛に満ち溢れた優しい表情に変わっている。
「せんちゃん、せんちゃんっ! コレ、今月のお小遣い」
「うん……ありがとう……」
戦徒はぎこちなく微笑んで、母親から五万円の現金を受け取った。
間違いなく、戦徒がこの世で一番安心できる相手は自分の母親だろう。だが、母親から現金を受け取った戦徒の胸中は、自分が今だに親から自立できない苦悩で満たされていた……しかし、家を出て働くほどの度胸もない。
戦徒が靴を履いて出て行こうとすると、リビングの開かれた扉から父親がイスに座ったまま体を半身だけ出して、戦徒に向かって怒鳴り散らした。
「戦徒っ! 帰ってきたら話があるっ! 父さんの部屋で待っていなさいっ!」
父親の威厳のある声に戦徒がまた体を震わせていると、母親が戦徒の耳元で小声でささやいた。
「気にしないで。ママがなんとかするから……」
「……うん」
母親の聖母のような微笑みと父親の仁王のような睨みを後に、戦徒は自宅を出た。
戦徒は今年で高校二年生になり、彼の通う学校はここから自転車で五分ほどで着く場所にある。
普通なら遅刻しそうになると急いで学校に行くものだが、戦徒は自転車で学校とは反対の道を進み、自宅のある市街地を進んで坂を下り、坂を下り切った先にある十字路を右に進んだ。十字路を右に進んだ先には田園地帯が広がり、しばらく進むと両脇の近代的な住宅群は樹木が鬱蒼と茂る森林に、アスファルトの道路は砂利道に変わっていった。
しばらくその道を進むと、戦徒は左側にそびえる丘の手前に自転車を止めて、目の前の丘を登っていく。
丘の頂上に着くと、そこには朽ち果てた神社が建立されていた。
神社は神木と思われる木々に覆われ、半ば同化しているように見えるし、この神社がある一帯はほとんど手入れがされていないのか、今日は快晴であるにも関わらず、戦徒の立つ地表付近は伸びきった木々に覆われて少し暗かった。
戦徒は神社の境内まで行くと、賽銭箱と襖に遮られた向こう側にいるであろう御神体に向かって必死に祈った。
(神様、お願いしますっ! 僕にチート能力を授けて下さいっ!)
現実的に考えれば、とても叶いそうにない願いだったが、今の戦徒にとっては関係ない。
戦徒は祈りを捧げ終えると、丘を降りて自転車に乗り、学校へと続く道をノロノロと進んだ。途中、このまま書店やマンガ喫茶で時間を潰そうかと思ったのだが、そのようなことをすれば登校していないことに気付いた学校から両親の方に連絡が入るため、すぐに諦めた。
やがて高校の自転車置き場まで来て自転車を置いてカバンを持ち、トボトボと教室に向かって行った。
そして、とうとう教室の前まで来ると、戦徒は教室の扉をゆっくりと開く……教室の中にいる生徒や先生は、戦徒の姿を見るなり様々な反応を見せた。
「中島っ! おまえ今まで何をしていたんだっ!」
「……すみません、寝坊しました」
厳めしい顔面を誇る担任の先生に怒鳴られて体を震わせる戦徒を見て、他の生徒はクスクスと笑い始めた。
「もういいっ! この時間は職員室で自習していろっ!」
「……はい」
ツバをまき散らしながら怒鳴り散らす先生と、そんな人間にビビって縮こまる自分を見てあざ笑う生徒達を尻目に、戦徒は職員室へ向かっていった。
「……中島君、またかね?」
「……すみません」
教室のすぐ傍にある職員室に入ってさっそく、陰険な表情をした数学の先生が自分の机の引き出しからプリントを取り出しながら、嫌味な口調で注意をする。
その注意に形だけのお詫びを言いながら、戦徒は職員室の隅に置いてある机に備え付けられたイスに座った。
「まったく……どうして私が……」
数学の先生は戦徒の目の前にプリントを置き、戦徒に聞こえるような声で愚痴を言いながら自分の席に戻った。
戦徒が渡されたプリントに示されていた問題を黙々と解いていると、いつの間にか、一時間目の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴っていた。
戦徒がプリントを数学の先生に渡して職員室を出ると、三人の女子生徒に出くわした。
「戦徒く~んっ! ちょっと来て~っ!」
「あ、うん……」
彼女達に誘われるがままに、戦徒は校舎の裏側まで来た。
「金」
「え?」
「金出せっつってんだろうがっ!」
先ほどとは比べ物にならないほどドスの利いた声で、女子生徒のリーダー格が戦徒の胸倉を掴む。
体格面では女子に負けていない戦徒であるが、恐怖のあまりに動けないでいる。息苦しさを感じながらも、戦徒は懐から財布を取り出して五万円を抜き取ってその女子生徒に渡した。
「ふん、最初っからそうすればいいんだよ」
「来月もよろしく~」
恐怖から解放されて地べたに尻餅を着く戦徒を見下ろしながら、女子生徒達は去っていった。
「うぅ……あそこに行こう……」
これが、戦徒が学校を遅刻する理由である……学校の教師も生徒も、彼にとっては危害を加える相手だ。
戦徒はこの学校どころか、母親が受けさせた全国模試でも初回から三位の成績をとるほど頭が良いのだが、根暗な性格が災いして中学でイジメを受け、引きこもりになってしまった。
なんとか受かったこの高校でもう一度やり直そうと決心していたが、例の三人組が中心となってクラスの性格が歪んだ者達などからノートをゴミ箱に入れられるなどの古典的、しかし確実に人の心を傷つける行為によって、高校生になった今でもスクールカーストの最底辺の位置にいる。
両親に相談しようかとも思ったが、戦徒は中学生時代の頃のように再び母親に心配をかけることがどうしても嫌でなかなか言い出せずにいたし、父親は大手企業の役員を務めているため、中学生の時のようにイジメのことを話しても『おまえの気のせいだ』と戦徒の悩みを一蹴して仕事に没頭する日々である。
しかし、戦徒は知らないことだが、戦徒の父親はこの数年、母親に隠れて社内の人間と不倫関係にある。それを母親は知っているが、戦徒の事を考えて離婚しようとは思っていない……だが、確実に頭にきている。
それが、今朝見たような夫婦喧嘩の要因にもなっているのだが、父親は自分の浮気がバレていることに気がついていない。息子は学校を遅刻しがち、伴侶は最近怒りっぽい……その程度の認識だ。
そんな辛い日々を繰り返す戦徒だが、彼にも趣味はある……ローマ帝国研究だ。もっとも、本物の研究者と比べれば児戯のようなものだが、戦徒はローマ帝国が好きだった。
ローマ帝国にもイジメはあったのだろうか……最近はそんな風に考えることもあるが、今日も戦徒は学校の図書室に蔵書されているローマ帝国関連の本を漁って、研究に勤しむ毎日を送ることになった。司書の人も、注意はしない……学校側としても、生徒が学校に来てくれればそれでいいので、戦徒の行為は黙認されている。
そもそも戦徒は、ほぼ自習だけでテストの点数においてこの学校で一位になるほどの実力を持っている。その証拠に、戦徒はこの学校で順風満帆とは言えない学校生活を送っているにも関わらず、毎回テスト期間は時間内に出席してテストを受けている。その期間だけは、例の三人組も他の生徒達も自分の事で頭が一杯になっているため、戦徒をイジメたりはしない。
そして、戦徒はそのまま昼休みも午後の授業の時間も図書室で過ごし、下校時間を知らせる放送が流れると司書に挨拶をして図書室を後にした。
クラスの人間に会わないように慎重に歩を進め、自転車置き場に置いてある自転車にまたがり、再び神社のある丘に来て神社の境内で祈ろうとした。
(ん?)
戦徒が名もなき神に祈りを捧げようとすると、足元に一匹のアリがいた。よく見ると、アリは自身にとって巨大なパンくずを巣に持ち帰ろうとしている。
「君も大変なんだなぁ~……まぁ、僕も毎日嫌な目に遭ってるから、君も頑張ろうよ」
そう言いながら戦徒はパンくずをアリから取って、適度なサイズにちぎって近くの穴の傍に置いた。
アリは一瞬動きを止めてパンくずの方へ向かい、戦徒が置いたパンくずを持って穴の中に消えてしまった。
(さて……)
小さな同志が穴の中に入ったのを確認すると、再び境内で祈りを捧げた。
(神様、お願いしますっ! 僕にチート能力を授けて下さいっ!)
戦徒が毎日この叶いそうにない願いを祈るのは、今の状況から逃げ出したいがための必死の現実逃避だった。
毎日、ただ家と学校を往復するだけの毎日……家では父親と母親の喧嘩を目の当たりにし、学校ではイジメに遭う。学校を卒業した後の進路も決まっていない……一度、その事で父親と話したことがあるが、父親は自分のコネを使って戦徒を大学に入れ、ゆくゆくは自分の会社に就職させたいそうだ。
戦徒も特にやりたいことなどはないので、その提案を受け入れようとしたら普段は優しい母親に叱られた。
『せんちゃんは、自分のやりたいことをやればいいのよっ!』
母親は険しい表情でそう言っていたが、戦徒としては早くお金を稼げるようになって自立し、母に恩返しがしたいという思いもあったので、母のその発言はかなりショックだった。
結局、自分の人生を決めることも出来ずに今日まで生きている。
このまま何も起こらなければ、また家に帰って明日から同じ日々を繰り返す……戦徒はそう思った時、とてつもなく嫌な気分になった。
このまま生きていても、自分は幸せになれるのだろうか?
神社の境内の奥を見るように戦徒が顔を上げると、境内の中から紫色の光が溢れ、襖が勢いよく開け放たれ――戦徒は強い力で引き寄せられた。
「うわぁっ!?」
そして、戦徒は紫色の光と共にこの世から消え去ってしまった……。