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メイドの知らない約束事。 2

 =====



 リリアはナナリーが戻ってきた後、自分は本当に何も出来ないのだと改めて実感させられることとなった。


「いい? 雑草を抜く時は必ず厚手の手袋で手を保護するの。それと、どんなに短い葉の雑草でも地中深くまで根が張ってる事があるから、こういう小さなスコップを使うのよ。雑草を抜いたら必ず地面を掘り返して解して。そうそう、そんな感じね。後は肥料を撒いて花の種か球根を植えるだけよ。って、どっちも用意してないのね。いいわ、どうせ芝生も誰かに頼まないといけないだろうから、後でお花屋さんに声を掛けておいてあげる。エンゲルスさんご夫妻。丸顔でちょっとふくよかで、まぁ、兄妹みたいにそっくりだからすぐにわかるわ。うちの向かいなの。ついでに御用聞きやってる常連さんがいるから、その人にもこのお屋敷の事を伝えておくわね。ラルフっていう、私と同じ位の年頃の青年よ。黒髪で長身だけど、人懐っこい顔をしているわ。この辺りじゃ一番誠実で信頼のおける人よ。掃除に洗濯にお庭の管理までやって、食事の買い出しなんて一人で行ってたら時間がいくらあっても足りないでしょ? 頼めるところは人に頼んだ方がいいわ。私も時々お手伝いに来てあげる」


 テキパキとリリアに指示を出しながら、ナナリーは手早く作業を済ませていく。

 その手際もさることながらまるで思いもよらなかった提案に、リリアは恐縮するばかりだ。


 主人がなかなか帰ってこない事と、経費の問題を思い切って打ち明けてみれば、

「お花や芝生はどうしてもお金が掛かるから相談してから決めれば良いわ。でも、こういう場合、必要最低限の出費なんて事後報告で良いのよ。どんな方だか知らないけど、そもそもこの規模のお屋敷に貴女一人でっていうのが無理難題ですもの。これ位でクビにするようなケチなご主人様なら、こっちから願い下げすれば良いんだわ。もしそうなったらうちで雇ってあげる。可愛い子は大歓迎。いつでも言ってね」

 と、あっさりした返答が返される。


 更に、ナナリーへの手間賃の事について尋ねれば、「時々うちでパンを買ってくれればそれで構わないわ」 と、強かにも遠回しに断られてしまい、リリアはその日、恐縮しっぱなしでとても恥ずかしい一日を過ごしたのだった。


 夕飯の支度を終え、リリアはいつもの様に二階の居住区エリアにある台所で今日一日の事を日誌にまとめる。

 花壇の花と芝生の件、御用聞きの件に、ナナリーの訪問。

 いつもと違う事が沢山あった所為か、ページ半分にも満たなかった報告が今日は丸々1ページを使っても足りないくらい充実した報告となった。

 トレイに乗せた食事の隣に日誌を添えると、リリアは主人の使う食堂へとそれを運ぶ。


 まだ陽は傾き始めたばかりだが、顔を合わせない事が絶対条件なので、こればかりは仕方がない。

 今日は帰ってくるだろうか?

 もちろん直接会うわけではないが、今日はとことん自分の甘さを思い知ってしまった所為か、リリアはいつも以上に心細さを感じる。

 お城で働いていた時は周りから邪険にされて辛い事も多かったが、それでも必要最低限の仕事は先輩方から教わっていたし、伯爵の別邸で働いていた時も、いつも何かと忙しかったが、言われた事をこなすだけで済んでいた。

 今は誰かから疎まれる様な事はないが、その分自分で考えなければならないし、責任も重大だ。


(私、何も考えてなかったんだ……)


 侍女頭や先輩達が厳しかったのは、きっとリリアの甘い考えを見抜いていたからに違いない。

 色々と疎まれていたのは確かだが、それ以前に自分の心構えにも問題があったのだ。

 指示を受け、淡々と仕事をこなしてさえいれば、いつか自分の居場所が見つかるだろうと思っていたし、そこに自分の背負うべき責任があるなんて全く考えていなかった。


 伯爵様の御使いを頼まれた時、メイドの立場では断る事なんて出来なかったのかもしれないが、もし自分が仕事に責任を感じて、もっとしっかり説明できていたのなら、チェイスと言ったあの若い子爵様にあんな風に疑われたり怒られたりしないで済んだのかもしれない。


「しっかりしなきゃ……」


 この屋敷に頼れる人は居ないし、たとえここを辞めるて、別の仕事に就く事になったとしても、このままでは同じ事の繰り返しに違いない。


 リリアは自分を戒める様に小さく首を振ると、静かに食堂を後にする。

 帰りがけに、玄関先に置いてあるランプの蝋の量を確認して、主人が帰宅した時の為に、マッチを添えて下階へと戻った。


 使用人用のキッチンで、自分の夕食の準備を始める。

 まず当面の目標は、料理のレパートリーをなんとかしてもう少し増やす事だろう。

 パン屋をやっているというナナリーなら、きっと料理の事にも詳しいはずだ。

 フライパンに乗せたニシンのオイル漬けをフォークで突きながら、リリアはケホケホと煙たそうに咳き込む。

 また頼ってしまうのは心苦しいが、明日思い切って聞いてみよう。

 リリアは身が崩れ、黒くなってしまったニシンに眉を顰めながら、堅く心に誓ったのだった。



 =====



 月明かりも消え、街灯の灯火だけが頼りとなった夜更け過ぎ。

 リリアが働き始めてから一度も帰宅していなかった屋敷の主人ーーチェイスが、その日になって漸く久方ぶりに家路を踏む。


 あれから事件のあったヘストン伯爵の住む東地区から、更に南地区へと移動して、チェイスは漸くそれらしい目撃情報を得る事が出来た。

 その男が目撃された最も古い証言は、今より約三ヶ月近く前、およそ皇太子殿下が留学より帰国した前後辺りまで遡る。

 どこから来たのかは不明だが、少なくとも男は海路を使って港から王都バルメースへと入ったらしい事が判明した。

 漁港付近ではそう珍しくない明るい栗色の髪をした長身の男という事もあり、やはり此処でも目撃情報を手に入れるのは難航したが、幸い条件に合う人間が、船に乗ってバルメースを離れた形跡は見つからなかった。

 これだけ日数が開いてしまった為、陸路を使って何処かへ離れてしまった可能性は否定はできない。

 しかしリリアを誤認逮捕して二日後にも人相書きに似た人物を見かけたという証言があった為、何らかの理由で未だこの近辺に居る可能性も無いわけではない。


 そこから更に足跡を辿り、辿り着いたのがチェイスの邸がある西地区だ。

 その日は海岸沿いから北上する形で聞き込みをしたのだが、残念ながら収穫は得られなかった。

 明日は北地区まで足を延ばす事にして、チェイスは溜まりに溜まった疲労を抱えながら聞き込みを切り上げる。


 前進している様で、本当は犯人に踊らされているだけなのではと疑いたくなる。

 背が高い事以外に特徴らしい特徴がないのも、もしかしたら意図的にそう装っているのかもしれない。

 誤認逮捕からもうだいぶ日は経ってしまっている。

 西地区でも海を越えた形跡は見られなかったが、もし国境を越えていたら、長期戦は免れない。

 そうなれば前回以上の醜聞がトラステン家を襲う事となるだろう。

 その時は本当に爵位を返上しなければならないかもしれない。


 林の中に溶けるように闇の中に深く沈んだ自宅の階段を上り、チェイスは溜息を吐きながら正面玄関の扉を開ける。


 上着を脱ぎ、何気なく手近にあったランプへと手を伸ばしたところで、チェイスはいつもと違う家の中の雰囲気に気づきピタリとその動きを止めた。


(……焦げ臭い?)


 家を空ける前に、火元をそのままにしていただろうか?

 だが家を不在にしてひと月前近く経っているし、火事になっていないのはおかしい。

 それになんだか魚を焼いた様な生臭さが混じっている気がする。


 チェイスは息を飲んでランプに火をつけ、辺りを探るように照らし出す。

 何か盗まれたり荒らされたりした形跡はない。

 この臭いは一体どこから来るのだろうか?


 臭いのキツい方を辿って、地下へと続く折り返しの階段を半分まで来た所で、チェイスは漸くリリアが家にいる事を思い出してその足を止めた。


 事件の事で頭がいっぱいになっていた所為で、リリアの存在をすっかり忘れていた。

 幸い自室で休んでいるのか、うっかり鉢合わせするような失態だけは免れた。


 彼女を起こさない様に、チェイスは内心焦りつつも、そっとその場を後にする。

 その足で二階の食堂まで足を伸ばせば、肉料理に被せる様な大きなクロッシュが、ワインと寄り添う形で食卓の上にちょこんと鎮座していた。


 クロッシュをそっと開けてみると、山盛りのニシンの酢漬けとパンが三つ、それぞれ大小の皿に盛られていた。

 ニシンの方は恐らく大きめの瓶詰め一つ半くらいの量はある。


 食事の内容に頓着はしないが、まさか彼女は自分がいない間も、これだけの量の食事を用意していたのだろうか?

 いくらなんでも一度にこの量を一人で食べるには無理がある。


 そう思いながらも、チェイスは無言で席に着き、パンを一つ、無造作に掴む。

 リリアの事をすっかり忘れて夕食は外で食べてきてしまった故に、すでに腹は満たされている。

 ニシンとパンを睨みつけながら黙々とそれらをワインで流し込んでいると、テーブルの隅に控えめに置かれた薄い冊子が目に入る。

 一体なんだろうと手を伸ばし、何気なくパラパラと捲ってみると、中には丁寧な字でチェイスに宛てたリリアの日々の報告が詳細に記されていた。


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