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メイドの知らない彼の奮闘。 9

 =====



 チェイス達がイザドールの書斎に呼ばれたのは、食後の後の儀礼的な歓談を終えた深夜近くの事だった。

 チェイスとグレンがリリアを連れて書斎に入ると、中では既にレイバン公とオリバーがラルフと対峙している所だった。

 チェイスはラルフを見た瞬間、イザドール達への挨拶も疎かに、無言で彼の胸ぐらに掴みかかった。


「呼び出すのが遅くなってすまないね。明日にしようかとも思ったん……だけど……」

「きゃあ!」

「ちょ、ちょっとチェイス!」


 目の前を素通りしたチェイスに、イザドールは驚いた顔で言葉を失い、レイバン公とオリバーは無意識に下がり、突然の出来事に驚いたリリアが悲鳴をあげる。

 チェイスが拳を振りあげた途端、不味いと感じたグレンが、がっしりとチェイスを押さえ込んだ。


「離せ!」

「落ち着けって! 殿下達の御前だよ?! オリバー! 君もぼっとしてないで、止めるの手伝ってよ!」

「待って待って、チェイス君。気持ちは解るけど、ここでそんなことをしたら、お兄ちゃんも流石にチェイス君を庇ってあげられないよ?!」

「しるかっ! 事情を聞く前にこいつだけは殴っておかないと気がすむわけがないだろう!! リリアがどれだけ怖い思いをして傷付いたと思ってるんだ!! 散々俺達をコケにして、ふざけやがって……!!」

「あ、あの……私は大丈夫、ですから……あの……や、やめて……」

「ほらチェイス、リリアちゃんが泣きそうだよ。君が怖がらせてどうするの」

「っ……くそっ!!」


 グレンの指摘で振り返ると、リリアが怯えた顔でチェイスを見ているのが目に映り、チェイスは葛藤の末ラルフの胸ぐらとを振り払う。

 そのまま踵を返し、部屋の壁を力一杯殴りつければ、ものの見事に書斎の壁が陥没した。

 それを見て真っ青になったのは、兄のオリバーだ。


「チェイス君?! なんっ、なんてことをっ!! すみません、すみません!! 弁償は必ずしますから、どうか不敬をお許し下さい!!」


 リリアとは初対面になる稀代の色男は、顔の造形と反比例して、情けない様子でペコペコとイザドールに頭を下げ始める。弟馬鹿の彼のこんな姿を、彼の信奉者が見ようものなら、間違いなく方々から悲鳴が上がっていただろう。

 そんな彼をフォローする様にグレンもイサドールに頭を下げた。


「あー……僕からもお願いします。今まで溜まってたものもありますし、気持ちの上では僕もオリバーもチェイスと変わりないです。寛大な慈悲を頂ければと」

「ええっと、私は構わないけれど……」


 慌てて頭を下げるグレンとオリバーに、イザドールが困惑しつつ、チラリとラルフへ視線を送れば、ラルフは苦笑してイザドールに向かって頷く。


「その壁の弁償費は私が出しますよ。子爵の気が済まないのでしたら、後で幾らでも殴られましょう。それだけの事をした自覚はありますからね」

「ふむ……まぁ、バーグ伯もこう言っているのだし、その辺の遺恨は後で当人同士で解決するということでどうかね? 今はとにかく一連の事件に関しての説明を聞かせて頂きたい」

「勿論ですよレイバン閣下。だけどその前に、改めてご挨拶を。ケツァラー大公より伯爵位を拝命し、この度のケツァラー公国と貴国の橋渡しの任を仰せつかりました、ランドルフ・ディーツ・バーグと申します。皆様には多大なご迷惑をお掛けしたこと、改めてお詫び致します」


 そう言ってラルフは皆に向かって深々と頭を下げる。

 ケツァラー公国といえば、フィランジのすぐ南西にある半島の国だが、バーグ伯爵という名はこの場にいる誰もが認識していなかった。


「身元が確かだという証拠は?」

「チェイス君、殿下だってそれくらいはちゃんと確認しているよ。そうじゃなきゃ今頃彼は牢獄にいるさ。もう少し冷静に、ね? 弟が度々すみません」

「ははは。いいよいいよ。まぁ、私も驚いたからね。無理はない。だが、彼の身元は保証できるよ。少なくとも、同席していたエオーネ姫は間違いなく本人だからね。彼が身元で嘘をついているのであれば、姫の方が何らかの反応を示してただろう」

「私の実家は代々大公閣下に使える騎士の家系でね。本来ならこのような位を頂く様な家柄ではなかったんですが、貴方方の協力(・・)によりこうして伯爵位を頂いた次第です」

「協力だと?」

「あーもー。チェイス! 落ち着けって。えーっと、バーグ伯爵? チェイスを代弁する訳じゃないけど、僕も貴方に協力なんてした覚えはないんですがねぇ?」


 さもありなんと頷くラルフに、チェイスはまたイライラと彼を睨みつけていたが、グレンとオリバーに事情を聞くべきだと視線で諭され、舌打ちを打つ。

 最近はずっと穏やかに過ごしていたのに、豹変してしまったチェイスの様子に、リリアはハラハラと立ち尽くすばかりだ。


「覚えがないなんて、つれないじゃないですか。私は貴方方にとって目障りであっただろうヘストン伯を陽動し、その見返りに親書をちょこっとお借りしましたが、ちゃんとお返ししましたでしょう? 子爵のユリノス勲章もね。お陰で文字通りケツァラーと貴国の橋渡しが実現する訳です」

「その橋渡しと言うのが要領を得ないのだが、陛下が仰っていた認識不足とやらと関係があるのかね?」

「そこは私が説明しよう。ただその前に、ケツァラー公国と我が国フィランジの以前よりの関係は、皆、理解しているだろうか?」


 イザドールの指摘に一同、困惑がちに顔を見合わせる。

 山と川を隔てた場所にある半島の国という認識はあるが、それ以上でもそれ以下でもなく、とりたてて仲が良いとはいえないし、だからと言って悪いという印象もない。


「ええっと……僕の認識では特出した関係とか、そういったものはなかった様に思えるんですが……何か問題でもあったんですか?」

 おずおずと答えたのはオリバーで、イザドールは苦笑して軽く頷き返した。

「いや、トラステン伯。君の認識であっているよ。良くも悪くもない関係。それがフィランジとケツァラーの関係だった。だからこそバーグ伯が動くこととなった。そうだね?」

「えぇ。おっしゃる通りです」


 良くも悪くも悪くもない関係。

 それは言い換えれば、互いに興味のない関係だったとも言い換えることが出来るとイザドールは話す。


「私は親書を送るに当たって、特に各国の事情を考えることなく周辺諸国へと使者を出したが、此度の話を聞いて、ケツァラーに関してはそれが間違いであったのではと思わされてね。皆も彼の国が陸の孤島となっているのは知っているだろう。我が国とケツァラー。陸続きでありながら、かの国へ行くには海を越えて定期船に乗るより安全な方法はない。それが意味するところが君達に判るかい?」

「ふむ? まぁ、不便ではありますな。そこに何か問題があるという事ですかな?」

「うーん? あ、定期船の本数が足りないとか? だったら増やせば良いと思うけど、でもあの船、利用者ってそんなに居ないよね?」

「あ、あの……」


 皆が首を捻る中、小さな声でリリアがおずおずと声を上げる。

 思わずといった様子で、話して良いのかどうか迷っていると、どうぞ、と、イザドールが苦笑しながらリリアを促した。


「その……船に、乗れない人が……困ります……」

「うん? それって、リリアちゃんみたいに船が苦手なって事? 滅多に居ないと思うけど……」

「あの……そうじゃ、なくて……お金、ない人とか、大きな荷物がある人、とか……えっと…………ケツァラーとは、貿易、してないから……」

「そうか。富裕層以外は滅多に定期船が利用出来ないんじゃないですか? 加えてフィランジがケツァラーと貿易を行うメリットも特に無いから、もしかしてケツァラー側で物資が滞っているのでは?」


 真っ赤になってポツポツと答えたリリアの指摘に、オリバーがハッとしてリリアの言葉を補足する。

 するとリリアはしきりに頷き、恥ずかしそうに俯いた。

 その答えに、イザドールも満足そうに二人に頷く。


「リリア嬢は確かウォーレンス商会の所のお嬢さんだったか。流石と言うべきかな? 更に付け加えるなら、あちらが必要な物がこちらには多くあるのに、貿易船の運行もないから欲しいものが手に入りにくい状態らしい。例えば医療に関する物資や人手なんかね」

「えぇ。その通りです。帝国とのやりとりがある貴国と違って、我が国の領土は限られているだけでなく、実質陸の孤島となっているんです。ただ日々を暮らすだけなら支障がないとも言えますが、病気や怪我と言った突発的な問題に対しての対処が行き届いていない状態なんです。建国当初は自給自足で賄えていた部分も人口増加に伴い今ではかなり貧困に差が有ります。貴国の様に優れた教育機関もありませんし、色々なものが不足している。だから私はトラステン家の最初の事件の話を聞いた時、フィランジとケツァラーを結ぶ、またとないチャンスだと思ったんです」

「それがどうしてうちから親書やら勲章やらを盗む事に繋がるんだ。話し合えば済む問題じゃないか!」

「それが出来る身分であったならそうしてましたよ。でも生憎私は古くから続く騎士の家系に生まれはしましたが、騎士の道へは進みませんでしたし、フィランジの皇太子殿下に話をするどころか、大公閣下と直接話せるような身分も持ち合わせていませんでした。まぁ、たとえ騎士の位を継いでいたとしてもそこは変わらないでしょうね。他の貴族のツテを頼ろうにも本当に下から数えたほうが早い身分でしたので、訴える相手も居なかった。少し郊外から離れれば、少し熱を出しただけで命を落とす人が居たり、無理やり山や川を渡ろうとして命を落とす人も居たりするのに、都市部に暮らす人はその事実にすら気付いていない。だから私はまず、ケツァラー大公かフィランジ国王直接会える手段がないかとずっと考えていたんです」


 そこで降って湧いて出たのが、件のトラステン家の親書盗難騒動だった。

 トラステン伯爵の噂はモトム公国との関係も含めて有名なものだったし、もし仮に、次に模倣犯が現れても不思議ではないだろうとラルフは思い至る。

 トラステン伯爵の周囲の人間関係を調べ上げ、髪を染めた上でフィランジへ乗り込むのは難しくはなかった。

 結果として親書を手に入れ、偽造文の作成は、なるべく足が付かないように自らの手で行った。


「もともと手先は器用な方でして、文章を作るのにはそれほど苦労はしませんでしたが、やはり殿下の名代となると心許ないものがありまして。最後の最後で子爵のユリノス勲章が必要になったんですよ。伯爵の物でも良かったのですが、確実に手に入れやすいという点で子爵の物を選ばせて頂きました。トラステン家の身辺を調べる上で子爵の身の回りにいる人物とはある程度接触を図っていましたし、実際リリアちゃんに近付くのは、ヘストン伯に近付くよりも簡単でしたから。帰りの便がタダになったことと、子爵の書斎であのご婦人に鉢合わせてしまった事は流石に誤算でしたが、見つけられなかった時の考慮も含め、他は概ね予定通りにコトを進められました」


 そう言ってラルフはにこりと、リリアに微笑みかける。

 リリアはキョトンとしていたが、チェイス以外の誰もが納得したように微妙な顔で頷いた。


「確かに。子爵の弱みを握るなら、お嬢さんが一番かもしれんなぁ」

「うーん。僕が彼の立場でも同じことを考えるかも知れませんねぇ……」

「わ、私の所為……ご、ごめんなさい」

「グ、グレン先輩も閣下もそれ位で。お嬢さん、弟が未熟なだけでお嬢さんの所為じゃないですから。どうか顔をあげて下さい。そんなに哀しそうな顔をしていては、可愛い顔が台無しに……痛っ!」

「誰が未熟だ! あんたにだけは言われたくない!」


 オロオロと駆け寄って、リリアの手を取ろうとしたオリバーの後頭部に、チェイスの靴が直撃する。

 弟に靴を投げられたショックで、リリアよりもオリバーの方が泣き出しそうな顔で振り返ったが、チェイスはそれを無視して、再びラルフに向き直る。


「概ねの経緯は理解した。だがあんた、具体的にどんな文章を大公に渡したんだ。伯爵位を賜る程なんだから、ただの仲介人って訳ではないんだろ?」


 ただの陳情書であったなら晩餐会など開かれるわけがない。

 そもそも文字自体は偽とはいえ、フィランジの皇太子の筆跡なのだから、打開策となる何かがそこに書かれていたはずだ。

 依然ムスッとした顔で聞いてきたチェイスに、ラルフの方が嬉しそうに頷く。


「さっきも言いましたが、文字通り、橋渡し(・・・)ですよ。二国の間に阻んでいるディヤス河。あの激流の大河に、ハトック橋の様なしっかりとした鉄橋を架け、いずれは鉄道も通す事が出来ればと思っています。大公に渡した書状には、子爵の進言とフィランジ皇太子の認可有りとして鉄橋を渡す提案を書かせて頂きました」

「それは……随分と思い切った事をしたんだねぇ。大公もだけど、イザドール殿下が偽の文書だと訴えたらどうするつもりだったんだい?」

「わざわざ他国から使節団を呼び寄せようとなさる方が、民を無下にはしないだろうと信じてましたから。それで私が捕まるようなら、事件のあらましを聞いた誰かが私の代わりに橋を架けたでしょう。それとも今からでも私を捕まえますか?」


 肩を竦めるラルフに、誰もが答えられずに押し黙る。

 同席していたエオーネ姫の手前、そんなことが出来ないというのもあるが、ここでラルフを捕まえてしまえば、彼が実現させようとしていた事が、全て水の泡になる可能性が出てきてしまうだろう。

 こと貴族というのは、民衆の生活よりも対面を重視したがるものだから。


「正しい方法で正しい事をしたとは言いません。殿下の名を勝手に使用しました上に、一歩間違えればトラステン伯爵家を潰すところでしたし、リリアちゃんだってあのまま見知らぬ地へ行っていたかもしれない。でも私は何度歴史を繰り返しても同じ道を選ぶでしょう」


 ごめんね。と最後にラルフはリリアに力無く笑いかける。

 それを見たチェイスが、再び壁に向かって拳を振り上げた。

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