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メイドの知らない彼の奮闘。 8

 =====



 王都バルメースの中心地に当る時計塔から、やや北西の位置に、チェイス達がよく知るフィランジ王城がそびえ立っている。

 城を囲う夕焼け色をした防壁の奥には、同じ色をした十二角形の大小、高さがまちまちな塔が見え隠れしており、それぞれの塔をつなぐ形で大きな館が作られている。

 Jの字型で構成された城の中庭からは、宮廷管弦楽団による荘厳な音色が日暮れ前より周囲に響き渡っていた。

 伝統的に則り、客人達の入場を促す規則正しい長太鼓の音は、一歩一歩進む度に、腹の底へと染み渡っていく。

 玄関口まで辿り着くと、天空を突き破る様な角笛の音が、奥で待ち構えているであろう、主人へと賓客の到着を高らかに告げる。

 普段オペラハウスから流れてくるようなオーケストラとはまるで違う宮廷楽団の音色は、とても古風で、何処か粗野で原始的な雰囲気を醸し出していて、まるでこれから自分達が食べられるのではないかという錯覚を覚えてしまう。


 真っ青な顔で半ばチェイスの胸に縋り付きながら、リリアは誰が見ても可哀想なくらいガクガクと脚を震わせ歩を進めていた。

 何とか玄関まで辿り着いたのは、単にチェイスがリリアの腰を支えてくれていたお陰としか言いようがない。


 リリアは気丈にもグレンの奥方から教わった事を必死で守ろうとして、ぎこちない笑みを口端に浮かべている。

 ただ綺麗なセピア色の瞳は、今にも溢れてきそうな水滴の丘が見え隠れしており、チェイスでなくとも、もう無理しなくて良いからと言いたくなるような痛ましさだ。

 角笛の音を聞いた時に、リリアが失神しなかったのは、まさに奇跡としか思いようがない。


「あともう少しで着くが……少し休むか?」

「だ、だい、大丈夫です」


 途中で止まる事など許されないのは重々承知ではあったが、チェイスは思わず小声で話しかける。

 こちらを見上げて微笑む姿はやはり可哀想なくらい青ざめていて、このままではとても晩餐会どころでは無いだろう。


 どうしたものかとチェイスが考えていると、丁度廊下の奥で夫婦揃って食堂へと入っていくグレンの姿が視界に映る。

 グレンはグレンでこちらに気付いたらしく、夫人を中へと誘導しながらも、パチリとチェイスに向かってウインクをしてきた。

 それを受けてチェイスは微妙な顔で思わず立ち止まってしまう。


「あ、あの……?」


 廊下の真ん中で立ち止まるとは思ってなかったリリアは当然狼狽えたが、チェイスはジッとリリアを見つめて暫く何か思案する。

 あれの真似をするのは些か抵抗があるが、最近少しばかり気付いたこともあるし駄目元で試してみるかと、ほんの少し悪戯心が顔を覗かせた。

 チェイスは口端を緩く持ち上げ、徐にリリアの頬を指の腹で撫でると、眩しそうに眼を細める。


「そういえば言ってなかったな。そのドレス、凄く良く似合ってる……綺麗だ」

「えっ?! あ……あ、あのっ……えっと……あの、その……あ、ありがとう……ござ………ぃます」


 チェイスの突然の褒め言葉を聞いて、リリアは紅色のドレスを戸惑いに揺らす。

 ベタでお決まりの口説き文句だが効果は絶大だったようで、リリアは白雪のように真っ白くなっていた頬に、一瞬で朱を散らしていた。


 リリアと顔を合わせて生活する様になった最初の頃こそ、怖がられていると落ち込むばかりだったが、暫く一緒に過ごすうちに、ふとした瞬間に、その頬がパッと色付くことがあると気が付いた。

 この手のセリフはガラじゃないし、その辺の警備兵に聞かれていると思えば、口にするのはそれなりに抵抗が生じる。

 だが恥ずかしそうに目を泳がせるリリアの顔を見てしまえば、そんな気持ちは簡単に吹き飛んでしまう。

 男として少しは意識して貰えているのだと思えば、心の奥底が歓喜に震える。

 グレンが胸焼けするような台詞で女性を口説現場に居合わせる度に、砂を吐きたくなる気分しか味わってこなかったが、今更ながらグレンが気持ちがほんの少しわかった気がした。

 同時に、こんな事ならもっと早く言ってやれば良かったと少々後悔が過る。

 チェイスはその内心を必死に隠しながら、リリアのこめかみにそっと頬を寄せる。

 精一杯高く纏めた桃色の髪からは、薔薇よりも濃厚で、ここがどこだか忘れてしまいそうなくらい蠱惑的で甘い香りが漂ってきている。

 周りに人さえいなければ、このままリリアを抱き寄せて、一晩中彼女の耳元で甘い言葉を囁いてその反応を飽きずに見ていたい。

 可能ならばそれ以上先へとリリアを誘い、正体を失うまで蕩けさせてしまいたい。

 激しい葛藤の末、何とか理性が決壊せずに済んだのは、戸惑った様なリリアのチェイスを呼ぶ声が耳元で聞こえたからだ。


「あ、の……トラブル、様?」

「……判るか? 俺もこんなことははじめてだから、これでも緊張してるんだ。君とは違う意味でかもしれないけど、君ばかりが怖いわけじゃない。どうしても逃げたくなったら一緒に逃げよう。でも頑張れそうなら君も俺を支えてくれるか?」


 名残惜しげに唇を軽くリリアのこめかみに掠めてから、彼女の小さく柔らかな手を、そっと引き寄せ自分の胸へと軽く当てる。

 端で見れば平然としている様にしか見えないのに、その手のひらに感じた鼓動の大きさと速さに、心底驚いた顔でリリアはジッとチェイスを仰ぎ見てきた。

 駄目か?と、チェイスが苦笑して肩を竦めれば、リリアはハッとした顔をした後、何かを決心した顔でブンブンと大きく首を振る。


「わ、わかり、ましたっ。私……私、精一杯、お、お助けします!」

「ありがとう。君がいてくれれば、心強いよ」


 ギュッと柳眉を寄せて、たどたどしくも宣言したリリアは、ほんの少し頼もしげに口端を上げる。

 ぎこちなさはまだ残るものの、赤く染まった目尻に萎縮の色はもう伺えず、チェイスは後ろめたい気持ちをひた隠して、リリアの手を取り歩き始めた。


 廊下と同じくらい広い食堂に入ると、侍従がチェイス達を案内し、各々席へ着席する。

 チェイス達以外の賓客は概ね揃っているらしく、グレン夫妻、レイバン公夫妻と兄のオリバー、それから何故か外務大臣の姿があった。

 チェイス達が席に着いて程なくすると、最後の賓客が姿を表す。


 淡い空色のドレスを身に付けた年若い少女と共に現れたのは、やはりあのラルフだった。

 以前とラルフの印象が違うのは、彼が身に付けている服装の所為だけではないだろう。

 ラルフに恭しくエスコートされている少女のほうは、リリアと然程年が変わらない印象だが、堂々とした立ち居振る舞いから見ても、やんごとなき身分の人間である事が伺える。


 リリアの戸惑った視線と、チェイスの獲物を睨みつける様な鋭い視線をラルフが捉えると、彼は困った様な笑みを浮かべて静かに黙礼を返してきた。

 最上位の貴賓席に少女が腰を下ろした後、王妃とイザドール皇太子を従えた国王が入室し、席に着く。

 国王は皆の着席を確認すると、グラスを手にして口上を述べた。


「皆、忙しい中、今日は無理を言ったにも関わらず招致に応じてくれた事、とても感謝している。突然の事で驚いたであろう。だが此度の騒動は余を含め、王室全体の力不足、そして認識不足から来るものだったと認め、改めて皆に謝罪しよう。また此度の宴は、ケツァラー公国の寛大な計らいにより実現したものだ。代表としてお越し頂いたエオーネ姫並びにバーク伯爵には、改めて感謝を述べよう」


 国王はニコリと、正面に見える少女と、彼女に臨席するラルフに視線を送る。

 二人が国王に軽く黙礼で返すと、国王は満足そうに頷いた。


「では、挨拶はこれくらいにして、皆も腹を空かせて待ちくたびれたであろう。最後に、親愛なるケツァラー公国と我がフィランジ王国の繁栄とより良い親交を願って。乾杯!」


 国王の音頭に合わせ、皆、一様に貼り付けた笑みを浮かべてグラスを掲げる。

 ただ一人、この異常な事態に慣れていないリリアだけが、あたふたと困惑交じりにグラスを掲げていたが、チェイスもグレンも内心では彼女と同じくらい動揺していた。

 チェイスはリリアの背中を軽くたたいてやりながら、隣に座るグレンにひそひそと耳打ちをする。


「おい、どういう事だ?」

「僕だって知りたいよ。でも、あの様子だとレイバン公達もよくわかってないみたいだよ?」


 グレンに言われてチラリとレイバン公へ視線を送れば、奥方と笑みを浮かべて食事を始めていた公爵がこちらに気付いて、ヒョイっと肩を竦めてみせる。

 更に向かいに座っていたオリバーに視線を送ると、久しぶりに顔を合わせた弟に嬉しくなったのか、へらへらと情けない顔で満面の笑みを寄越してきたので、チェイスは彼がうっかり手を振りだす前に無視を決めた。

 外務大臣の様子はここからでは見えなかったが、おそらく王室と、ケツァラー公国から招待された姫君やラルフ以外の人間は今の状況が全く理解できていないと考えて良さそうだ。


「チェイスー……オリバーが泣きそうな顔をしてる。君はもうちょっとお兄さんに優しくしてあげた方がいいと思うよ? まぁ、それはそれとして、下手な事は言わない方が無難そうな空気ではあるね」

「馬鹿言え。つけあがって醜態晒すのはあいつだけじゃ済まないのに付き合ってられるか。説明が無いようなら、あんた後でちゃんと公爵達に取り次げよ?」

「……君ってなんでそう、いつも偉そうなの?」


 まぁ、良いけど。と、呆れ交じりに言ってから、グレンは食事を再開する。

 微妙な空気が漂う中、チェイスはリリアのフォローをしつつ、晩餐会の間中、ジッとラルフの様子を伺い続けた。

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