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メイドの知らない彼の奮闘。 6

 =====



 港の奥から、大きな汽笛の音が響き渡る。

 大きな鎖が引き上げられる様子と、天高く立ち上る灰色の煙を見れば、その船が今まさに陸から離れようとしているのは誰の目から見ても明らかだった。


「止まれ!! 誰か! あの船を今すぐ止めろ!! 人が監禁されてる!!」


 倉庫街を抜け、港へ続くなだらかな坂道を駆け下りながら、チェイスが可能な限り大声を張り上げ、周囲に向けて勧告をする。

 陸をするすると離れ始めた船体の後を追いかけるチェイスの言葉に、一体なんの話だと、港にいた誰もが首を捻っていたが、チェイスの後から遅れて幾人かの警邏官が姿を現せば、鉄橋が封鎖されている通達を聞いていた何人かが異常事態に気がつき、慌てて西の組合本部のある建物へと駆け出していった。


 程なくして本部からけたたましい警告音が港中に響き渡り、出航を始めていた貿易船が緊急停止する。

 後から駆け付けてきた警邏官と共に、チェイスは急いで再び接岸した船へと入っていく。

 捜索は時計塔の鐘の音が再びなる直前まで続き、警邏官の活躍により、船内奥の使われていない倉庫の隅で、過呼吸を起こし、胸を押さえて苦しそうに倒れこんでいるリリアが発見された。


 報告を受けたチェイスがリリアを抱えて船を降りる頃には、グレンも駆け付けていたが、案の定、ラルフは見失ってしまていた。

 その後、チェイスはリリアを待機していた警邏官の一人に預け、再びグレンと二手に分かれて足取りを追ったが、東の港付近の海岸沿いに、ラルフが乗っていたと思われる小型の蒸気船が乗り捨てられているのが発見される。

 彼はそこから東の港へ向かい、いずれかの客船に乗って王都を出たようだと推測する位の痕跡しか残されていなかった。


 結果として、ラルフにユリノス勲章と親書の二つが奪われ、グレンとチェイスは三週間の謹慎処分を言い渡される。

 事の転末はまた議会で持ち出される事となり、矢面に立たされたチェイスの兄オリバーは、方々から非難を浴びて、三日目には体調を崩してしまったとの事だった。

 爵位剥奪にまで至らず軽い処分で済んだのは、先の事件でヘストン伯爵の不正が数数多に発覚する事が出来たお陰だ。

 もちろん上司であるレイバン公爵の口添えやイザドール皇太子の温情ありきではあったが。


 トラブル子爵のユリウノス勲章については各国へ既に通達がなされているが、話が随所に行き渡るにはもう少し時間がかかるだろう。

 二週間近く経過した現在でも、今の所ラルフに関する情報は入ってきていない。


 謹慎中の身で出来ることといえば始末書を纏める位の事しか出来ないが、邸の管理や遠く離れた子爵領に関してはやることは山済みで、親書事件によって滞っていた残務の処理には頭を抱えるばかりだ。

 そして今日は今日で新しく使用人を増やすための面接者が、朝早くから館の門外で行列をなしている。

 大々的に募集をしたわけでもなかったのに、一体どこから聞きつけてくるのか(いや、概ねグレンかオリバー辺りなのだろうが)ここ数日、まだ心身ともに癒えていないリリアには申し訳ない状況が続いている。

 せめて彼女に負担にならないような人選をと思っているのだが、これがなかなか上手くいっていない。


 その最たる人物の面接に、チェイスは今まさにこめかみを抑え、歓談室のソファーで唸り声を上げていた。

 従僕希望の彼は、見るからに従僕の風態とは異なる、肌蹴たワイシャツを一枚着こなしている。

 下衣に至っては、明らかに港でよく見かける作業着だ。


「名前を伺おうか」

「セス・エッケルト、歳は21だ……です。特技は天候予測に、船員の配置管理、後は積荷なら樽八個同時に運べるぞ……ます」

「……あいにくうちは船を持ってないし、船乗りの募集もしていない。申し訳ないがお引き取り頂きたい」

「ま、待て! そこに従僕希望ってちゃんと書いてある……りますでしょ? つまり、そういう事だ……です」


 何がそういう事なのか全く意味が判らないが、彼を中へ誘導した時のリリアの顔色を見れば、深く考えずとも、この男が件の自称婚約者だったのは一目瞭然だろう。

 惚れた娘の側にいたいと思う気持ちは解らなくもないが、それがリリアだというのは面白くない。

 と言っても、私情を挟むとか挟まない以前に、根本的な所で認識に問題がある。


「なら念の為に聞くが、給餌や接客の心得は? その言葉遣いを聞いている限りとてもそうは思えないが」

「うっ……その辺りは勉強中……です。も、物覚えは良い方だから、そう時間は掛からない筈だ……いや、です!」

「追々では困る。今うちに必要なのは即戦力になる使用人だ。それに、その服装は従僕以前の問題だな。使用人の服装はみな自分で見繕わなければならないわけだが、貴殿は用途別の背広を、数日中に各々数着づつ用意する手立てはあるのか?」

「うぅぅ……ひ、人を見た目で判断するのはよくねぇだろ?! 従僕がダメなら下働きでもかまわねぇ! 計算や人を捌くのは得意だし、ゆくゆくは執事になれるように努力する!! 頼む! 俺はどうしてもリリアが怖がらない、それなりの地位のある職に就きてぇんだ。何でもするからここで雇ってくれ!!」

「残念だが、貴族の大半は見た目や家柄、所作を重要視する人間で占められている。初対面でこう言うのもなんだが……執事を今から目指すより、貴殿には今まで積み上げてきたもんを大事にする方があってるんじゃないか? 努力次第で船の船長から独立でもして、一企業立ち上げる事も出来るだろうが、執事を目指したところで、金持ちにも貴族にもなれんぞ? それに使用人同士の恋愛は常識的に禁止事項だ。更に言えばだ、リリアはこれから雇い入れる使用人とは事情が違うから、家で働くのであれば、貴殿との接点は確実に無くなる。それでもまだうちで働きたいと願うなら、まぁ……馭者……いや、厩番あたりが無難か」

「恋愛、き、禁止……?」


 城に行くのも辻馬車で済ませていた為、そうなると馬を購入する必要が出てくるが。

 と、真面目にチェイスが考える中、次々に挙げられた指摘と評価にセスはとうとう言葉を失い絶句する。

 貴族や中流階級の使用人を目指すものであれば、誰でも知っている前知識だというのに、案の定禁止事項について知らなかったらしいセスは、ガックリと肩を落とす。

 お引き取りをと、無言で手のひらを返し、チェイスがセスの背後にある扉へ促せば、流石に自分の無謀さに気付いたのか、セスはそれ以上は何も言わず、項垂れながら歓談室を出て行った。


 実の所、こういった無知な使用人希望者がここ数日後を立たないのだ。

 行列は出来るのに、今のところ採用できそうな人材はほんの数名しかいない。


 チェイスは深々とため息をついて眉間を揉み解す。

「次の人」と、外へ声を掛ける前にセスと入れ替わりで入ってきたのは、次の面接希望者ではなく、チェイスと同じく謹慎中になっていた筈のグレンだった。

 セスが出て行くのを見送って、扉を閉めると、グレンはヒョイっと肩を竦める。


「所作がどうとか君の口から出てくるとは思わなかったね。僕なら君にだけは言われたくないかな?」

「聞いていたのか……俺は身分に限らず、人柄で相手を評価している。敬意を払うべく人間にはキチンとした対応をするし、実害のある人間にはそれ相応の態度で接しているだけだ」

「ふむ。つまり僕は君にとって唯一気の置けない頼れるセンパイって事だね」

「何処をどう解釈したらそうなるんだ! あんたの思考回路は理解に苦しむ。で、何の用だ。俺の記憶が間違ってなければ、あんたも俺と同じで謹慎中だった筈だが? それともあの男の行方でも掴めたのか?」

「うん。それなんだけどね。一時的に謹慎が解かれたからご報告。あ、君もね」

「どういう事だ?」


 まさか理由もなしにいきなり解かれたりはしないだろう。

 グレンが自らここへ赴いたという事は、十中八九ラルフ関連で進展があったか、別の厄介事を持ち込んできたかのどちらかしか考えられない。

 嫌な予感に眉を顰めていると、部屋の外から控えめなノックが落とされ、おずおずとリリアが顔を出す。


「あの、すみません。お茶を……」

「あぁ。いや、気を使う必要は……」

「やー。ありがとう、ありがとう。ごめんねー忙しかっただろうに無理言っちゃって。あ、お茶はチェイスが入れてくれるから、リリアちゃんもここに座って座って」

「おいっ!」


 勝手知ったるとは誰が言い出したのか。

 グレンが図々しいのは今に始まった事ではないが、茶器をチェイスに押し付けた上に、リリアを自分の隣にちゃっかり座れせようとしているのは頂けない。

 飄々としてリリアの肩を抱いて誘導するグレンをギッと睨みつければ、不興を買ってしまったと勘違いしたリリアの方が萎縮してしまった。


「いや、違っ……」

「ほらチェイス。リリアちゃんが怖がってるだろ。好きな子を怯えさせてどうするのさ。リリアちゃんごめんねー。チェイスはオリバーや僕と違ってあまり女性にモテる方じゃなかったから、女の子とどう接していいか判らないんだよ。怒ってるわけじゃないから気にしないであげて」

「なっ……余計な事をうちのメイドに吹き込むな! リリア、こいつに茶なんて出さなくて良いから、次の面接希望者を連れて来てくれ。そしてあんたは用件を済ませてとっとと帰れ!」

「ご、ごめんなさい……」


 さらりとグレンに暴露されてしまい、顔を真っ赤にしてチェイスが怒鳴れば、やはり何故だかリリアの方が萎縮する。

 "好きな子" のくだりは聞いていたのかいなかったのか、リリアに落ち込む以外の反応は見られない。

 幸いと呼ぶべきか……助かった様なむなしい様な、正直かなり複雑な気分だ。

 そしてまたこちらの気も知らずにグレンが図々しくも、「あぁ、外に居た彼らなら帰ってもらったよ」などと、茶葉をポットへ入れながら悪びれもせずに答えるものだから、いよいよ怒りを通り越して、ほとほと呆れ果てるしかない。

 すっかり腰を据えている辺り、これはもう何を言っても帰るつもりはないのだろう。


「ほら、お茶入ったよ。リリアちゃんも立ってないで座りなよ。君にも関係がある話だからさ」

「えっと……」

「はぁぁー……どうせグレンが無理を言ったんだろう。君が気にすることはない。丁度いいし、この辺りで休憩にしよう」


 諦めた苦笑をリリアに向けると、リリアはほんのり目元を染めて小さな声で「はい」と答える。

 視界の端で二人のやりとりにグレンが目を輝かせていたが、ここは見なかったことにする。

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