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八話 記号の変性

 ◇◆


「それじゃあ、ウィザリム様と、ラナハルト殿下は幼い頃からのお付き合い……なんですか?」

「ああ。ほとんど赤ん坊の頃からのね」


 目を丸めた相手からの問いかけに、ウィザリムは穏やかに頷いた。

 帝都の一画にあるユエンフォート邸で、四人の孤児とその保護者とみなされている人物に宛がわれた部屋をウィザリムは訪れていた。

 客間としては決して上等ではないが、それでも五人が生活するのには十分な広さがある。

 部屋の向こうでは三人の子ども達がきゃあきゃあとはしゃいでいて、それを年長者の少女がたしなめていた。


「……あの、」


 ゆったりとした造りの寝椅子に、緊張した様子で背筋を張って座った相手が、おずおずと訊ねてくる。

 目の前の相手をはじめ、四人ともがすでに風呂で垢を落とし、着ている服も真新しいものに変わっているために汚れた印象はない。

 ただし、髪が長く伸び過ぎているせいで表情がわかりづらかった。

 他の四人の子ども達もおなじように頭髪が見苦しい状況であることに気づいて、近いうちに家の者に言って彼らの頭を整えさせようとウィザリムは心に留めた。


「なんだい、ククゥ」

「あの、……こういうことって失礼なのかもしれないんですけど、殿下は。その、昔から――」


 もごもごと聞きづらそうに言葉を濁すククゥの態度から察して、


「まあ、概ねは想像通りかな。あいつは昔からああなんだ」


 ウィザリムはここ数日、顔を合わしていない相手について言った。


「我儘で、怒りっぽくて、自分の思い通りにいかないとすぐにヘソを曲げる。子どもがそのまま大きくなったような奴さ。もう十四なのだから、そろそろ落ち着いて欲しいのだが」

「十四歳。……私とおなじ」

「そうなのかい? なら、私とも同じ歳だ」

「あっ、そうなんですか……」


 恥ずかしそうに顔を俯かせる相手の態度を不思議に思いながら、それにしても、とウィザリムは考える。

 ここ数日、暇を見つけてはこの部屋を訪れて目の前の相手と話をする機会をつくっていたウィザリムだが、その度に強い違和感を覚えた。

 ククゥと名乗ったこの浮浪者は、決して聡明な人物ではない。

 当然だった。

 この国では、一般的な平民階級の者は教育を受けられない。

 単純な数をかぞえる程度ならともかく、読み書きの出来ない者も少なくなかった。

 であれば、そうした機会のなかったはずのククゥが無知であることはむしろ自然な結果だ。


 だが、ククゥにはおかしなところがあった。

 聡明ではない。

 物を知っているのでもない。

 上流階級にあれば自然と備えている作法や常識など、持ち合わせているはずもない。

 ただし、自分が知らない知識や新しい常識に触れた時、ククゥは奇妙な理解力を示した。

 まるで、埃を被っていた知識をどこかから思い出して、改めてそれを身に着けるような。

 思考の柔軟性。あるいは地頭の良さ。

 そうしたものを指して、一言で才というのかもしれなかったが、ウィザリムが感じているものはそうした違和感とも違った。

 そして――ククゥが度々、口にする「夢で見る世界」。

 マナがなく、魔法のないまま高度に発達した世界は、恐らくは妄想だろう。証明する手段がない以上、そうとしか言いようがない。


 ただし――


「……なんだ?」


 物思いに耽っていたウィザリムは、部屋の外から扉を叩く音に意識を戻した。

 音なく扉が開かれ、そこに姿を見せた家仕えの使用人が一礼して、


「ラナハルト殿下より使いの方がいらっしゃいました」

「ラナハルから? わかった、通してくれ」

「はい」


 一礼して使用人が去る。

 ウィザリムはククゥの顔色が青ざめていることに気づいた。


「どうしたんだ?」

「いえ、あの。殿下、怒っていらっしゃるんじゃないでしょうか」

「怒る?」


 訝しんでから、ああ、と思い至る。


「この間のことでかい? それなら大丈夫だよ」

「そうでしょうか……」


 まだ安心できない様子のククゥに、ウィザリムは笑いかけてみせた。


「大丈夫だ。あいつは確かに、我儘で、怒りっぽくて、ヘソ曲がりだが、それよりもっと変わってる部分がある。――ヒネくれてるんだ」

「捻くれて……?」


 ククゥが不思議そうに首を傾げるが、それにウィザリムが説明を足す前に扉が再びノックされた。


「どうぞ」


 現れたのは、ひどく暗い目つきをした男だった。


「ガロン? どうして君が?」


 ラナハルの護衛を務める魔法使いは、無言のまま手紙を差し出す。

 ウィザリムはそれを受け取り、開いた先に踊った短文に苦笑を浮かべた。「来い」とだけ書かれてあった。


「すまない、ククゥ。少し出てくるよ。……ガロン。私がいない間、ここにいてもらえるかい」


 ラナハルからの無言の意図を了解して訊ねると、主人からその旨を受け取っていたのだろう。ガロンはこくりと頷いた。


「それじゃあ、よろしく頼む」

「あ、はいっ。あの、いってらっしゃいませ!」

『いってらっしゃいませっ』


 ククゥが頭を下げると、それに続いて遠くの四人が口をあわせる。


「ありがとう。行ってくる」


 にこりと微笑んで、ウィザリムは部屋を出た。



 昼下がりの帝宮は穏やかな気配に包まれていた。

 硝子窓の向こうには小鳥達が木々に止まり、安穏とした午睡を楽しんでいる様が窺える。

 塵一つないように清掃された廊下を歩き、ウィザリムは目的の部屋の前で足を止めた。周囲に人がいないことを確認して、扉を叩く。


「私だ」


 豪華な樫の扉が軽やかな音を響かせるが、返事はない。

 もう一度、手の甲で扉を叩き、それでも反応がないのを確かめて、ウィザリムは息を吐いた。


「……入るぞ」


 扉を開ける。

 次の瞬間、ウィザリムの視界に入ったのは大量の本だった。

 正面、左右。

 そればかりか入って来たそちらの壁にすらぴたりと貼り付けるようにして置かれた無数の書棚に、溢れんばかりの本が並んでいる。

 ほとんど圧迫せんばかりのそれらの中央、黒光りする樫机に、ラナハルが行儀悪く腰を下ろしていた。

 なにかを読み込んでいるのか、熱心に机に目を落としていた帝国の皇子は、そこでようやく気配に気づいたらしく顔を上げて、


「ああ、もう来たのか。早かったな」


 まるで不機嫌さの名残もない表情と口調で、ラナハルは言った。

 ウィザリムは肩をすくめて、


「連絡をもらってすぐに来たからな。もう少し遅れた方が良かったか?」

「どうだっていいさ。そんなことより」


 ラナハルは立ち上がり、一枚の紙片を突き出した。


「お前も見たか?」

「もちろんだ」


 受け取ったものには覚えがあった。

 というのもウィザリムがラナハルに宛てたものだったからだ。


 その紙面には、ククゥが夢に見る「マナのない世界」のことが書かれていた。そこで見たものについて記されている。

 より正確には、それは数字だった。数字と記号の羅列。

 数字の方はウィザリムもよく慣れ親しんだものだ。1から始まり、9まで続く連続数。

 そして、「0」。

 この世界を創造したとされる精霊達を表す九つの属性と最後の「十番目」から来たとされる、広く一般的に普及した概念だった。


 問題はその数字と一緒に綴られている記号だ。

 算術で使われる足し引きかと思われるが、その種類は膨大だった。

 この世界で使われている精霊文字に近い形もあるが、同じかどうかはわからない。

 読み方さえわからなかった。

 当然、用途などわかろうはずもない。


「どう思う?」


 訊ねるラナハルの瞳は子どものように輝いている。

 改めて紙面に目を落とし、ウィザリムは顎に手を当てて考え込んだ。


「……適当に書いているだけではないか?」

「つまらない回答だなぁ」


 一気に瞳の内部の温度を下げて、ラナハルが言う。


「だが、そうとしか思えないぞ。ここに書かれている数字が、我々が知っているそれとおなじものだとしたら、左右の式が合わないものばかりだ。適当な記号をつけて、それらしく数字を並べて、でたらめに書いているだけだろう」

「もしも、その“適当な記号”が、正しくその式を成立させるためのものだとしたらどうだ?」


 ウィザリムは顔をしかめた。


「……ククゥが、私やお前が聞いたこともないような高度な術理を知っているということか? 見たこともない記号でそれを簡潔に表していると? 世に潜んでいた大賢者だとでも言うつもりか?」

「さあ、どうだかな。どちらかと言えば、俺にはあいつは愚者の類に見えるが。あいつは自分が書いたものの意味もわかっていないんだろう?」


 ラナハルは唇を吊り上げて、


「だが、あいつの語る『妄想』にはもう少し興味が出て来たな。ウィザリム、あいつは夢の中で出てくる連中の言葉はよく聞き取れない、と言っているんだな?」

「ああ、そうだ。なにかを大勢が話してはいるが、なんと言っているかはまるでわからないらしい。だが、たくさんの種類の言葉があることは確かだと聞いた。我々の世界とは違うな」

「フン、どうだかな。確かに俺達にとっては精霊語こそが基準だが、精霊の祝福を受けていないゴブリンやそういった魔物連中にだって、それぞれ意思伝達語はあるはずだろう。……ああ、認められているものが一つか否か、という違いはあるな。……そうか、そこが重要なのかもな。いや、その通りだ」


 一人で納得するように呟いてから、快活に笑う。


「ははっ。面白いな。なあ、もしもここに書かれているものがデタラメなら、どうしてあいつは数字だけ俺達も知っているものを使って、記号は適当なんだろうな」

「……ククゥの妄想が、あくまでククゥ自身の知識に基づいているからだろう。なにかを基にしなければそれがどんな形だったかは表現できない」

「なら、どうして同じように“言葉”もそうしないんだ? 適当な言語をでっちあげればいいだけじゃないか。この世界の言葉を基にして」

「私が知るものか。そんなことはククゥに訊け」

「そうだな。本人に訊くのが一番だ。あいつ自身にもそれがわかっていればな」


 なにかの確信を込めた呟きを漏らすと、また紙面に食い入るように目線を落とす。

 幼くから付き合いのあるウィザリムだが、ラナハルがこうまで喜色を表すのは珍しいことだった。それ程までに面白いだろうかと首を捻りながら、


「そんなに気になるなら、算術学士にでも見せてみればいいのではないか? 数の専門家ならそれがただのデタラメか、あるいは法則性がありそうかくらい検討がつきそうだが」

「もう見せたさ。連中、それから部屋に籠もりっぱなしだ。部屋から出ず、碌に食事もとっていないんだと」

「なんだと?」


 思いもがけない言葉に、ウィザリムは眉をひそめる。

 算術というのは決して主流な学問ではない。

 この世界には、それより遥かに強大で意味があるものがもっと他にあるからだった。

 だが、だからといって数という概念が便利であることは間違いなく、それらについて研究する学者は存在する。

 その彼らがそうした反応を見せるということは。


 不意に、ラナハルが持つ紙片の上に踊る数字と記号の羅列がなにかおどろおどろしい不吉なもののように思われて、ウィザリムはぞくりとした。


「……どういうことだ」

「さあな。だが、“言葉”ではなく“数字”で共通する、というのは面白い」

「だから、なにが面白いのだ。もっとわかりやすく言え」

「つまりだな」


 ラナハルはほとんど裂けるように頬を吊り上げて、


「俺達の世界と、ククゥの妄想で語られる世界。両者に共通する“数字”という概念があり、あるいはその数字こそが『マナのない世界』とやらの根本を構成するものだったとしたならば、だ。その数字と数式を理解することは、その“妄想の世界”をこの現実に構築できることに繋がると思わないか?」



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