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七話 異郷の調べ

 長剣の血を拭ったラナハルが、手下の一人から布袋を受け取って放り投げる。

 袋は放物線を描いて、目の前の凶行に呆然と立ち尽くしていたククゥはあわててそれを受け取った。


「わ、あの。これは……?」

「お前の取り分だ」

「取り分、って――」

「なんだ。足りないのか? お前に半分、俺の手下連中に半分。それ以上欲しいっていうのは少しばかり欲張りすぎじゃないか?」

「そうじゃありませんっ。だって私、こんなのは。それにあなた達の分は、」

「俺達?」


 目を瞬かせたラナハルが、貴公子然とした若者を見やって訊ねる。


「ウィザリム、お前、要るか?」

「訊くな。要るものか」

「だそうだ。俺も要らん、お前らで好きに使え」


 ラナハルの手下達から歓声が上がった。

 彼らが口々に感謝の言葉を述べるのを聞きながら、ククゥは途方にくれて袋に視線を落とす。

 中にたくさんの硬貨が詰まっていると思われるそれは、ずしりと重かった。


「気をつけろよ。その重みには、七人ばかりの命が染み込んでいるからな。いや、連中が手にかけてきた人数を含めれば、もっとか。まったく軽いのやら、重いのやらだな」


 からかうような言葉に、手の中の重みがさらに増す。

 袋の前面に、べったりと赤いものがついていることに気づいて、ククゥは震えた。


「わ、私――こんな、」

「勘違いするなよ」


 機先を制するように、温度を下げた声が告げる。


「別にお前がこれから何月もの間、腹を空かせることがないようにと渡してやるわけじゃない。金があれば、お前はお前の頭の中にある妄想を形に出来ると言った。だから、その金を用意してやっただけだ」

「そんなっ。出来るかどうかなんて私、一言も……!」

「――わからない? 今さら、そんな言い訳が通じると思うのか?」


 歯を剥いて凄まれ、ククゥは息を呑む。


「止めないか」


 呆れたようにウィザリムが口を挟んだ。


「ラナハル、お前は自分の為にやるとさっき言ったではないか。それなら、お前の行いの対価をククゥに求めるのは道理が違うぞ」

「屁理屈を言うな」

「それはお前だ。ククゥ、気にするな。その金は好きに使ってくれていい。こんな馬鹿げたことに巻き込んだお詫びだとでも思ってくれ」

「おい、勝手に――」

「それより、こちらはどうする?」


 ラナハルになにも言わせないまま、ウィザリムは四人の子ども達に目をやった。

 縄を切られた彼らは、どうすればよいかわからずその場に立ち尽くしたままだった。

 目線で問われたラナハルが肩をすくめて、


「俺はさっき、こいつらに勝手にしろと言った。なら、後はどうなろうとこいつら次第だろう。俺の知ったことじゃないな」

「そんな!」


 思わず、ククゥは声に出してしまっていた。


「こんな小さい子達を、このまま放っておくんですかっ?」

「うるさいな。なら、どうする。お前が引き取るか? 今朝まで自分がひもじくしていた癖に、ちょっと金が手に入ったらもう他人の心配か。それともまさか、俺やウィザリムにどうにかして欲しいなどと縋っているわけじゃないだろうな」

「ラナハル」

「黙ってろ、ウィザリム。俺はこういう、自分ではなにもしないくせに相手に慈悲を求めるような輩が一番嫌いなんだ」


 突き刺すような視線に射すくめられ、ククゥの全身が強張る。

 庇うように、その前に誰かが立った。

 ククゥが驚いて目線を上げると、ひどく大きな背中が目の前にあった。


「どうした、ガロン。お前も文句があるのか?」

「…………」

「なんだ。なにか言いたいことがあるなら言ってみろ」


 微動だにしない寡黙な魔法使いに向かって、ラナハルが毒のある言葉を向ける。

 ガロンは静かに暗い視線を返してなにも応えない。


「止めろ、ラナハル」


 永遠に続くのかと思われた両者の睨み合いを終わらせたウィザリムが、やれやれと頭を振った。


「わかった。この子達は私が引き取る」

「……ウィザリム、自分の言っていることがわかっているんだろうな」


 ラナハルが剣呑な唸り声を上げた。


「たった何人かの孤児を救ってどうなる。似たようなことは国中で行われているし、同じようなガキもいくらでもいるだろう。そうした境遇の連中を全員、お前は救うつもりか?」

「確かに全員には手が届かないだろう。だからと言って、それは目の前の誰かを救わない理由にはならない」


 ウィザリムは言った。


「この子ども達はユェンフォート家で保護する。親元が分かれば帰すし、それが不可能ならどこか養い先を見つけよう」

「それが偽善だと言っているんだ!」

「いいや、違う。……この子ども達は魔道の素養に目をつけられたのだろう。そうした貴重な才能が失われるのは我が国にとっても損失だ。そうではないか、ラナハルト」


 冷静に反論するウィザリムに、ラナハルはしばらく憎々しげな眼差しを浮かべてから、音を立てて舌打ちしてみせた。


「……勝手にしろ」


 吐き捨て、手にしていた長剣をその場に放り捨てる。


「クソ、胸糞が悪い。俺は帰るぞ」

「ああ。後のことはこちらでやっておく」

「当たり前だ。お前らもとっとと荷をまとめて撤収しろ。渡した金で騒ぐのはいいが、羽目を外しすぎるなよ」


 手下たちに荒く命じると、地面を踏み鳴らして去っていく男の後ろ姿を見送って、ククゥはほっと息を吐いた。


「……あの、ありがとうございます」

「ああ、気にしないでくれ。あいつのことも。自分の思う通りに進まなくて、不貞腐れているだけだ」


 苦笑してみせる優しげな表情に、全身を縛っていた緊張が解けていく心地を覚え、それからククゥはもう一人に向かって頭を下げる。


「あの、――ガロンさんも。ありがとうございました」


 魔法使いは黙って頭を振る。


「なにをしている、ガロン! 帰るぞ!」


 遠くから呼びかけられたガロンが主人の元に歩き出す。

 去り際、男はちらとククゥを振り返り、こくりと頷いてみせた。

 その表情が、ほんのわずかに優しげに微笑んでみせたようにも見えたが、微妙な変化過ぎてよくわからない。


「さて、ククゥ。君は私が送ろうと思うが、こちらの後片付けがもう少しかかる。ちょっと待っておいてもらえるだろうか」

「あ、はい。あの、――お願いが、あるんですけれど……」

「お願い?」

「はい、このお金、なんですけど」


 ククゥは手にした重い皮袋を見おろして、


「預かっては、いただけませんでしょうか」

「預かる?」


 不思議そうにウィザリムが首を傾げる。


「はい。あの――私、あまりちゃんとしたところに住んでなくて……。そんなところにこんなものを持って帰ったりしたら、酷い目に遭いそうで」

「ああ、なるほど。そうか。それは考えてなかった。わかった。では、私が預かろう。もし必要になったら私の屋敷に来てくれれば――ううむ、それはちょっと難しいかもしれないな」


 ククゥの格好をちらと眺めてから、むう、と腕を組む。


「――まあ、そのあたりは後で考えることにしよう。この子達のこともあるからね。とりあえず、そうだな。今夜は君もこの子達と一緒に私の家に泊まるといい」

「……よ、よろしいんですか?」

「もちろん、かまわないよ。けれどなんの連絡もないと家の人が心配するかもしれないな。誰か、こちらから使いの者を出そう」

「い、いえ! あの、私一人なので、大丈夫です」

「一人?」


 訝しむようにウィザリムが眉を寄せた。

 ククゥは視線を俯かせる。そうか、と気の毒そうな声が聞こえて、


「すまない。余計なことを聞いてしまったようだ、許してくれ」

「とんでもないです。気にしないでくださいっ」

「しかし――いや、わかった。それでは、改めて我が家に招待しよう。受けてもらえるかい?」

「はいっ。あの、本当にありがとうございます」


 ククゥは改めて、目の前の相手に頭を下げた。


「よしてくれ。君には本当に悪いと思っているんだ。ああ、そう言えば名前を言っていなかった。ウィザリム・セヴラ・ユェンフォートだ。ウィザリムでいい」

「はい。あの……ウィザリム様」

「うん、よろしく。ククゥ」


 にこりと微笑む表情はどこまでも貴公子然としていて、思わずククゥは頬を赤らめてまた顔を俯かせる。

 いつの間にか近くまでやってきていた四人の子ども達の視線と目が合って、不安そうな彼らを安心させようと、ククゥは小さくはにかんでみせた。



 しばらくして、馬車で連れて行かれた先にあったのは豪邸だった。

 そうとしか、ククゥには表現する言葉を持たなかった。


 門の先の道を通り、首が痛くなる程に見上げなければならない大きな屋敷の前で降ろされる。

 お城のような建物の正面には大きな扉があって、男が立っていた。


「お帰りなさいませ、ウィザリム様」

「うん。今戻った」


 ほとんど老人といって差し支えない年齢の男が、ちらりとククゥとその腰にしがみつくような四人に視線を落とした。

 わずかに片眉を持ち上げて、


「……そちらの方々は?」

「ラナハルの気まぐれで、少し縁があってな。我が家で保護することになった」

「なるほど」


 応える言葉は短いが、そこには幾分か冷ややかなものが含まれているように聞こえた。

 ククゥは自分の格好を見おろす。

 土と垢に汚れ、ほとんど擦り切れた襤褸は、いかにも不釣合いにしか思えなかった。


「食事と、風呂に入れてやれ。それと、服もな」

「かしこまりました」


 深々と頭を下げる相手からウィザリムが視線を向けてくる。


「疲れただろう。とりあえず、今日はゆっくりと休むといい。これからのことは、また明日話そう」

「は、はい……っ。あの、本当にありがとうございました!」


 うん、と優しげに頷いてウィザリムは去っていった。


「――どうぞこちらへ」


 それからククゥと子ども達は男に案内され、屋敷の中に通された。

 最初に風呂へ放り込まれ、垢をこそぎ落として上がると新しい服を用意されていた。

 折り目正しく畳まれた、染み一つない布地にほとんど恐怖を覚えながらそれに袖を通すと、食事を用意された。

 柔らかいパンと、たくさんの野菜が入ったスープ。

 ぞんざいに用意されたそれらを、ククゥと四人は餓鬼のように貪り尽くした。

 そうして、最後に案内されたのは大きな部屋で、その調度品の豪華さにククゥは目をくらくらとさせた。天蓋つきの寝台は、ほとんどククゥの家ほどの広さがあった。

 食事を終えると、うつらうつらとしている子ども達をベッドに寝かせる。そこに敷かれた布団は信じられないほどに柔らかかった。


 四人はすぐに眠りについた――わけではなかった。

 安堵したのか、それともなにかを思い出したのか。

 一番、年長と思われる女の子が目に涙を溜めたかと思うと、しゃくり声をあげて泣き始めたのだ。

 つられるように、他の子ども達も泣きだしてしまう。

 ククゥは慌てて彼女達の口をふさぎ、その背中をさすって泣き止ませようとした。

 今、自分達が受けている幸運の全てが「貴族様の気まぐれ」であることに彼女は気づいていた。

 うるさくしてしまうと、怒って放り出されてしまうかもしれない。


 大丈夫、大丈夫だよと言いながら、ククゥは必死になって彼女達をあやし続けた。

 やがて、泣き疲れた四人が眠りについた頃には、ククゥの意識もつられるように奈落へと落ちていた。


 ◇


 その日、夢を見た。

 いつか――あるいはいつも。いつからか、夢に見る夢だった。


 ククゥはどこかに立っていた。

 周囲には、天を衝く建物が無数に並び、こちらを押しつぶすように圧迫してくる。

 隙間からわずかに見える空は青かった。

 絵が浮かび、瞬く間に別のものへと切り替わって、大音声が鳴り響く。

 音はそこから聞こえるのではなかった。

 周囲を無数の人々が歩いている。

 奇怪な衣装に身を包んだ、人間達。

 奇妙なのは格好だけではなかった。

 肌の色が違う。目の色も。話す言葉さえ違った。


 洪水のような人の群れと、音の氾濫に意識が揺らぐ。

 喘ぐようにククゥは空を見上げようとして――目を見開いた。

 建物が、土砂のように崩れ落ちてくる。

 土砂は瓦礫にならず、その代わりなにか奇妙な形をした記号に変化してククゥの全身に降り注いだ。

 助けを求める間もなく、巻き込まれた。

 洪水はなお止まらず、全身が曝される。

 身動きできない。

 やがて、圧倒的な光が目の前に現れて――



 ククゥは目を覚ました。

 息が荒い。

 びっしょりと、全身に汗をかいていることに気づく。


「今の、は……?」


 声が震えていた。

 唇を噛み締め、ククゥは早鐘を打って収まらない鼓動を抑えながら、上半身を起き上がらせる。周囲を見渡した。

 周囲では四人が身を添うようにして、くうくうと寝息を立てている。

 近くに置かれた小さな机の上に、自分が探しているものがないことを確かめると――随分と迷ってから、ククゥはそこにあった小さな鐘を手にとった。

 恐る恐る降ると、思った以上に大きな、そして澄んだ音が鳴る。寝ていた一人がううん、と身をよじった。


「――御用でしょうか」


 すぐに部屋の扉が開き、綺麗な衣装に身を包んだ若い女性が現れた。

 自分より年上で、立場も上にしか思えない相手に丁寧な言葉を使われることに激しい違和感を覚えながら、ククゥは訊ねた。


「あの。なにか、書くものを……いただけませんか」

「かしこまりました」


 女性はすぐに紙と筆を持って来てくれた。

 相手に礼を言って、その相手から変な顔をされたがそのことにはかまわず、ククゥは紙に書きつけていく。


 そこには今しがた夢の中で巻き込まれた洪水。そこで見たものが書かれている。

 それはククゥ自身にもまるで意味の知れない、数字と記号の羅列だった。



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