十話 諸王の王
謁見の間はひどく暗かった。
それは心象の影響もあったが、それ以上に実際的な理由が大きい。部屋は地下にあった。
権力者としての威厳を示す場である場が、地下に置かれている理由は単純だった。
人間種族の扱う魔法は、概ねにおいて瞬間的に限定される。
だが、その瞬間に生じる現象がもたらす結果は、その身には十分に余るものであり――端的に言えば、城ごと爆砕されることを恐れているのだ。
魔法的な攻撃は、ほとんどが魔法的な防御によってしか防ぎ得ない。
だが、永続する、あるいはそれに近い結界のような防御を得ることも、人間種族には難しかった。
攻撃する側が初動に対する優先権を持つ以上、一人の攻撃に対しては一人の防御では不十分だった。
いついかなる襲撃に即応できるよう、飲まず食わず、休まずに護れる者などいない。
故に、一人の攻撃を予防するためには、最低でも二人、ないし三人の防ぎ手が必要となる。
しかもこれは最低限であって、決して十分ではない。
これが人間種族の抱えるもっとも単純な魔道攻防における費用の増大。その根本的な理由だった。攻めるに易く、守るに難い。
それを解決するためには三つの考えがある。
一つは、魔法的な手段。
人間種族には決定的に苦手とされる、持続的な魔力行使の方策を得ること。
現に、それを実践している国もあった――“人間の国家”かと言えば怪しいところだが。
二つは、建築構造の観点から。
いかなる攻撃魔法の類からも内部を防御できる堅牢さがあればよい。
だが、現実問題としては難しかった。
技術の研鑽は行われているが、魔道という奇怪な能力の破壊性とその突飛さに比較すると、その歩みはいかにも遅々として進んでいない。
三つめが、もっとも効果的ではあった。
それは要するに、狙われないようにすればよいのだろうというだけの話になる。
暗殺の類を恐れて居城を明らかにしない、あるいは度々に替える王というのは歴史的にも多かった。
無論、それでも暗殺は起こる。結局は人の問題だからだった。
それらの現状からすれば、地下の謁見場というのは悪い手ではなかった。
攻撃魔法にも目視を以って行われるのが一般的である以上、やたら目立つ上に壁が薄い場所にふんぞり返っているのはただの阿呆でしかない。
つまりは現実的で、似合いということだ――玉座に至るまでの間、皮肉な考えを思いめぐらせていたラナハルは、自身の中に結論を得るのと同時にその場に傅いた。
玉座との距離は適正なものだった。
それは、彼がこの場に至るまで何度も似たようなことを思索してきたことを意味していた。
「ラナハルト、参りました」
「顔を上げよ」
皺枯れた声が言った。
ラナハルは頭を上げ、玉座の相手を仰ぎ見る。
この国の支配者の姿がそこにあった。
グルジェ皇帝ドレエフ・ラドリウル・ヴェルグ・ガダル・ゾイス・グルジェ。
いくら明かりを灯しても闇を払えきれない周囲の中、まだ壮年の顔つきは影がちなこともあって、その表情はひどく疲れて見える。
白髪交じりの髪は短く、その体躯は十分に筋骨がたくましかった。
往来の戦場務めから潤いを失くした声には力がないが、その眼光は若かりし頃の輝きを失っていない。
だが、やはり――どこか疲れていた。
頭頂に僅かにずれ頂いた帝冠が、ひどく重たげに窺える程に。
皇帝の左には頭の禿げ上がった男が控えており、さらに背後には二名の近衛が、槍の穂先を上にして直立している。
「話を聞いた」
ドレエフが言った。
皇帝の口数が極端に少ないことは広く知られている。
平時にしゃがれて響く己の声を嫌っているとも、単に話すという行為そのものを疎ましく思っているのだとも言われていた。
「はっ」
「無茶をしたものだ」
枯葉の擦れるように、皇帝ドレエフは薄く笑う。
ラナハルは黙って頭を下げた。
「野盗の巣を襲い、皆殺したか。レスルートは、それ程に不快だったか」
「酷い有様でした」
「ほう。それは喜ばしい」
俯いたまま、ラナハルは顔を歪める。
言葉にない僅かな気配の揺れを察したように、ドレエフが再び笑みを漏らした。
「気に入らぬか」
「気に入りませぬ」
「故に皇子、其方を彼の国へやったのだ」
ラナハルは黙って頭を上げた。
「我らは皆、精霊の子。精霊は人同士の戦を好まれぬ。わかっておろう」
「……はい」
「故に、彼の国には自ら滅んでもらわねばならぬ」
不吉を告げる風を響かせるように、ドレエフは告げた。
百年以上昔、大きな災厄があった。
世を超越する絶対的な生物種――すなわち、竜。
その中でもひときわ強大な力を誇った一体の黄金竜が、突如として世界に牙を剥いたのだ。
理由はわかっていない。
理由など必要なかった、とも言われている。
過去に同じ災いを起こした例がなかったとはいえ、竜とはそういうものではあった。
マナに満ち、多くの生き物が在る中で、竜という種の能力は他を圧倒していた。
たちまちに、世界に在った複数の大陸が滅びの道を辿った。そこに生きた無数の生命と共に。
文字通りの世界の危機に、この世界を創り、そして管理する精霊達が自らその討伐にかかったが、一個の生命として極限を誇ったその竜は、精霊達を相手にしてさえまるで歯牙にもかけなかった。
精霊はこの世にマナがある限り、無限に存在すると言われている。
その数をかぞえることは不可能だったが、最低でも万という数で同時に存在することは可能であることが今では知られている。
なぜなら、その万程にも数えられた精霊が、黄金竜との争いで身を散らしたことが知られているからだった。
もちろん実際に数えられた数字ではない。
記録には、空を埋め尽くすほどの、と残されているだけだった。
実際には桁が違った可能性もある。それも、より大きな方へと。
無論、危機を覚えたのは精霊達だけではなかった。
この世界に生きる全ての生物が恐怖した。そして抗った。
そこに種の違いや価値観の差異はなかった。
それは生存闘争だったのだ。この世界における、全ての生命の。
全世界が、たった一体の黄金竜に対して共闘して――幸運なことに、貴重な援軍がそこに加わった。
同族の振る舞いを見かねた(と言われている)竜達が助力したことで、結果的にその黄金竜は打倒された。
“狂竜グゥイリエンによる魔王災”。
後年、そのように呼ばれるその世界的災害は、致命的な影響を各地に及ぼした。
世界に数あった大陸はその悉くが消滅し、残ったのは東西に延び、さらに地峡を経て南まで続く超大陸ただ一つ。
その北方、狂竜との最後の決戦場となった一帯は広く、濃く瘴気が蔓延り、生き物の住めない死の大地と化した。
辛うじて生存の権利を勝ち取った多くの生命種だったが、権利を勝ち取った後に実際に生き延びられるかどうかはまた別のことだった。
それ程までに、全ては疲弊していた。
肥沃だった大地は痩せ衰え、作物の恵みは少ない。
特に、一切が生きることを許されない死地と化した大陸北方はそれ以前の問題だった。
なにしろ、現存する大陸面積の少なく見積もっても十分の一程度に迫る広域が、住めなくなったのだ。
結果、多くの生き物がそこから流れた。
北の大地のように壊滅こそしなかったとはいえ、どこもかしこも似たような状態ではあった。そんな中、余所者を食わす余裕などあるはずもない。
すぐに、生き残った者達による新たな生存闘争が始まった。
その中で、特に人間種族は苦境に陥られた。
元々が、人間というのは彼らが魔物と呼び表す他の種族に比べて、貧弱な身体能力しか持たない。
個に強いそうした他種族に対して、集団という数で対抗するのが人間種族の強みだった。
だが、先の狂竜との戦いでどの国家も衰弱していた。
村や町を襲う魔物の迎撃どころか、国家という体裁さえ瓦解しかけていた国も少なくない。
このままでは自分達が魔物によって滅ぼされてしまう――そのことを危惧した人間種族の国々は、各国と案じて同盟を結んだ。
その同盟を『精霊と、その賢明なる代理者たるエルフによる同盟』と言う。
それは、簡単に言えば人間国家同士の不戦を約したものだった。
そうして背後の憂いを断っておいて、まずは目先の敵である魔物達への対処と自国の立て直しに全力を向けようというわかりやすい意図がそこにはあった。
盟主となったのは、ゼルトラクト神国。
賢人エルフの末を名乗る女王――女王は、その確かな証として代々が長く尖った耳という形質を引き継いでいた――に治められる大国によって、大陸中原を中心としたその同盟は結ばれた。
各国は他国と婚姻関係を結び、結びつきを強固にしながら自国の復興に励んだ。
同盟によって、同盟国同士での戦争は禁じられたが、それは同盟国同士の争いがなくなることを意味しなかった。
程なく、戦場で血が流されない代わり、外交と陰謀の刃が各国同士で火花を散らし始めた。
もっとも大きな問題でいえば、それは婚姻による血統と存続問題だった。
戦争という野蛮な、それだけに単純な問題解決の手段を失った各国は、それに代わってより陰惨な、複雑怪奇な外交戦へと投じることになった。
名分と道理。根回しと数の力に拠って、戦争によらず国が興隆する。
それは例えば、近隣の弱小国を威圧し、共同統治、同君連合という政治的段階を経て「帝国」と化したケースなどがあった。
政治的暴力の権化。
今では同盟諸国から忌々しげにそのように名指しされる国の名は、グルジェと言った。
「其方に命じる」
グルジェ帝国皇帝ドレエフが口を開いた。
「西の河川沿いの程近くに、ゴブリンの群れに住み着かれた洞窟があるという。百の兵をもってこれを駆逐せよ」
「――はッ」
低頭して応じるラナハルの頭に、素早く幾つもの疑問が湧いた。
小鬼族は基本的に自分達の棲家を持たない。
人間にとって未開の地である大陸全土の森林域を塒として、常に獲物を求めて放浪する種族として知られている。
小鬼の群れが人里を襲うことは珍しくなかったが、洞窟に住み着くというのは彼らの習性からすれば奇妙なことに思えた。
近くに余程の旨みがあるのか、あるいは異なる要因か。
そうした事態への対応に、帝族の一人が向かうというのも奇妙ではあった。
ないわけではないが、いささか大袈裟に過ぎる。
「わかっているだろうが、これは其方への罰だ」
ラナハルの抱いた疑問に答えるように、ドレエフが囁いた。
「他の者には、そのように伝える。あとは適当に計らうがよかろう」
「はっ。ウィザリムと準備を用立て次第、すぐに赴きます」
「では下がれ」
「はっ」
ラナハルは立ち上がる。
退出しようと身体を捻り際、玉座の隣に控える男と一瞬、目が合った。
笑みのための笑み。
ラナハルは音をださずに鼻を鳴らすと、後は振り返らずに歩き出した。
扉横に起立していた近衛が開けた扉から、廊下へ出る。
背後で扉が閉まり、軋むような重低音が背中に届くのを感じながら、ラナハルは口の中で呟いた。
「――諸王の王か。……モグラが気取ったところで、虚しいことだがな」




