九話 魔の仕業
ウィザリムが出て行った後、室内には重たい空気が流れていた。
四人の子ども達がククゥの元に近寄ってきて、そっと裾をつかむ。
不安そうな彼らの眼差しは部屋のなかにいるもう一人に注がれていた。
部屋の片隅に佇む、男。
まだ若いように見えるが、同時にひどく老成した雰囲気もある人物は、一言も話さず、ただ棒のようにその場に在った。
「あ、あの――!」
意を決して、ククゥは口をひらく。
危害を加えるような相手でないことはわかっていたが、四人の不安を晴らさなければと思っていた。
男がちらりと視線だけを向けてくる。
「ガロンさん、ですよね。この間は、ありがとうございました。……この子達を助けてくださって」
ククゥが言うと、目の前にいる人物が恩人であることを思い出したらしい四人の子ども達が、「あっ」と声をあげた。
『ありがとうございましたっ』
声を揃えた三人が頭を下げる。
残ったもう一人を、一番年長の少女が慌てて頭を下げさせるのを見て、ガロンがわずかに微笑んだ。
そうすると、近寄りがたい雰囲気がなくなってひどく親しみやすくなることにほっとしながら、ククゥは会話を続けた。
「本当にありがとうございます。ガロンさん、とっても強いんですね」
ガロンは照れたように顔の前で手を振ってみせる。
素朴な謙遜の動作に、ククゥは相手へ好感を覚えるのと同時、不思議にも思った。さっきから、どうして一言も喋らないのだろう。
「あの、……ガロンさんは魔法使い、ですよね?」
男はこくりと頷く。
それで?というように首を傾げてみせる相手に、ククゥは唾を呑んだ。意を決して訊ねる。
「――あの。魔法っていうのは、ある日、いきなり使えるようになるものなんですか?」
眉をひそめ、ガロンがゆっくりと頭を振る。
「そうですか……。やっぱり大変な修行とか、そういうのが必要なんですね」
ガロンは左右に頭を振ってみせた。
顔には、肯定とも否定ともとれそうな微妙な表情が浮かんでいる。
「違うんですか?」
頷く。
「それじゃあ、なにが――」
言いながら、ククゥは相手の瞳の内部に訝しむような光が浮かんでいることに気づいた。
自分が質問の理由を話していなかったことを思い出して、
「……この子達のことなんです。この子達、全員が魔法の素養があるって、遠くから連れてこられたみたいで。それで、ウィザリム様が、親のところに帰そうとされていたんですけど……なんだか、そういうわけにもいかないみたいで」
ウィザリムが彼らに聞いたところ、四人は親元から無理やりに浚われてきたわけではないようだった。
むしろ、その逆だ。
魔道の素養を持つ子どもは稀少な存在として重宝される。
彼らはそのために、実の親から人買い相手に売られたようなのだ。幾ばくかの金と引き換えにして。
そのことをはっきりと自覚していたのは年長者の少女だけで、他の三人は幼すぎて自分の身になにが起こったのかさえよくわかっていなかった。
だが、恐らく他の三人も似たような境遇なのだろう、とククゥはウィザリムから聞かされていた。
ガロンは黙ったまま、それで、と先を促してくる。
「それで。私は魔法なんて使えないんですけど。この子達がもしも魔法を使えるのなら。それって、この子達が自分達で生きていく力になるだろうなって思うんです」
ククゥは言葉を切った。
この先の言葉を続けるのはひどく図々しいことだった。躊躇って、それでもと続ける。
「だから、ガロンさんに魔法を教えてもらえたり、出来ないかなあって。……ごめんなさい。勝手なお願いなんですけど、魔法を使える人なんて、そんな知り合いいなくて。そういうことって難しいんでしょうか?」
寡黙な魔法使いは渋面をつくった。
その反応を見て、ククゥは否定されたと思って肩を落とす。
「そうですよね……。ガロンさん、お忙しいのに。勝手なお願いをしちゃって、すみません」
ククゥが謝ると、ガロンは悲しそうな表情を浮かべた。
ゆっくりと男の首が左右に振られる。
「違う、んですか?」
頷いたガロンが、なにか悩むような素振りを見せてから、ククゥに近づいた。
顎を軽く持ち上げ、子ども達からは見えないような角度で大きく口を開けてみせる。
ククゥは怪訝に思いながら男の口内を覗き込んで――息を呑んだ。
そこには舌がなかった。
ほとんど根元で千切れた傷痕が、生々しい切断面を蠢かせている。
顔を青ざめさせるククゥに、ガロンが困ったように笑った。
「喋れない、んですか……?」
男は頷く。
「どうして。こんな――。……魔法使い、だからですか?」
ガロンはまた肯定とも否定ともとれる表情を浮かべた。
そして、手を見せる。
ククゥはまた言葉を失った。
男の手――大きく、ごつごつとして節くれだった手の、指と指のあいだに薄い膜のようなものがあった。
半透明の皮膚が広がっている。
自分にはない、その奇妙な形状とその用途とを考えて、
「……水かき?」
ククゥの脳裏に閃くものがあった。
この世界には、人間種族以外にもたくさんの種族が在る。
そのなかでも特に一部の生命には、人間よりはるかに強い魔力をもつ種族も存在していた。
そうした一部の種族のことを、総称として魔物と呼ぶ。
彼らは独自の文化を持ち、それぞれの生態圏を築いていた。
魔物は往々にして人間種族より強靭であり、また魔道の素養も高い。
そして、そうした魔物達とのあいだにも子どもを成すことは可能だった。
ほとんど人間と変わらない形質を持った種族に限らず、まるで人間と異なる外見を持つ種族とのあいだにさえ子どもを成すことがあるという。
マナというこの世界に満ちる“力”は、そんなことまで可能にしてしまう――
ククゥは、船着場で働きながら、ふと耳にしたことがある恐ろしい噂を思い出した。
異種族間での繁殖行為はほとんどの種族で禁忌とされている。
それは、自分達が自分達でなくなってしまうからだ。
『種の形』が失われてしまうからだ。
だが――一部の界隈では、あえてそうした行為が行われているらしいという、そんな噂だった。
人間と、他の種族とを意図的に掛け合わせる。
そうして出来た“魔物まじり”。異形の者を囲い、あるいは好事家に売りつける商売が秘密裏に行われているという話は、あくまで薄気味の悪い噂でしかないはずだった。
だが今、目の前にそのことを連想させる人物の存在を知って、ククゥの内心に怖気立つような心地が湧きあがった。
ガロンを見る。
男はわずかに微笑んでいる。疲れ、暗い眼差しはなにかを悟り、また諦めていた。
ククゥは呆然と立ち尽くす。
唇から、放心したような呟きが漏れて落ちた。
「――どうして。“魔法”なんて、あるんだろう……」
「あいつに、この世界を憎ませろ」
ラナハルが口にした言葉に、ウィザリムは眉をひそめた。
「言い方が悪いか? なら、こうだ。あいつを決してこの世界に馴染ませるな」
「馴染ませるな、だと?」
「ああ、そうだ」
ラナハルは行儀悪く樫机の上にどかりと腰を下ろすと、手にした紙片を叩いた。
「あいつが見る夢がいったいどういう理屈によるかはしらんが、その『マナのない世界』とやらを見ることは、あいつにこの世界の在り方に対する強烈な違和感を生じさせるはずだ。思うに、それこそがあいつの正体だ」
ウィザリムは相手の言葉の意味を考えた。
「……ククゥがこの世界に対して感じる不満や不安。自分の境遇や周囲の在り方とのズレが、妄想という形をとって発現している。ククゥはそれを、夢という形で認識しているに過ぎない、ということか」
「そういうことだ。もちろん可能性の話だがな。だが、可能性である以上は大切にするべきだ。それを失くさせるな」
「……気に入らないな」
吐き捨てるように、己の感想を口にする。
「それはつまり、ククゥの境遇をあえて現状のままに留めておけ、ということだろう。貧しく、哀れな浮浪者として。その中で生まれる狂気を育てるためにあえてそうしろというのは、どう考えても人道にもとる」
「狂気と才能のなにが違うんだ?」
ラナハルは平然と言い放つ。
「狂気とは才能の表れ方の形態に過ぎないし、才能というものはそもそもが狂気に満ちたものだ。それが有用か否か、あるいは周囲がどう捉えるかだけだ」
「それはそうかもしれないが、しかし」
「そうだろう。なら、それをスポイルすることがあいつの為になるか? ああ、お前が住むところと食うものを恵んでやれば、幸せにはなれるかもしれないな。だが、ウィザリム。それこそただの偽善じゃないのか?」
皮肉っぽく言われ、ウィザリムは渋面で沈黙した。
確かに、と相手の言い分に納得しかけている。
理屈の上ではそうだ。
ウィザリムが四人の子どもを保護したのは、彼らに稀少な魔道の素養があるからだった。目の前の相手に、彼はそう告げた。
一旦、それを名目として口にした以上、おなじようにククゥに目をかけるのならば、四人の子ども達と同等の理由があるべきだった。
個性や稀少性。
あるいは狂気という名の、才能。
「……だがそれは、ククゥを不幸にする」
「才能と幸福に相関などあるものか。いいや、むしろそれは不幸の側にこそ寄りそうものだろう。才能というのはまず、他者と異なる志向性を指すのだからな」
ラナハルが口にする言葉には、一般論というだけでは終わらなかった。
確かな実感が粘着している。……乾いた泥のように。
相手の瞳の奥に宿るものを見ながらウィザリムは言葉を探す。だが、見つからなかった。
言葉に詰まる彼を見て、ラナハルはふんと鼻を鳴らす。
「まあいい。お前があいつを愛玩物として愛でたいというのなら、好きにすればいいさ。だが、少しでもあいつをあいつ自身として生かしてやりたいなら――よく考えろ。狂人は、狂気を持ってこそ狂人だ」
断言して、立ち上がると扉に向かって歩き始めた。
「どこへ行くのだ?」
「呼ばれている。先日の一件について、事情を聞かせろとな」
「――皇帝陛下が? おい、それは」
ウィザリムの感じた不安を笑い飛ばすように、振り返ったラナハルは大袈裟に肩をすくめて、
「さすがに派手に動きすぎたな。あの野盗どもと繋がっていた貴族から文句でも入ったのかもしれん。まあとにかく、行ってくるさ。お前は帰って、あの連中の身の振り方でも考えておいてやれ。ああ、ガロンには戻るように伝えろ」
「わかった。そうしよう」
頷いて、相手が部屋から出て行こうとした背中に、ウィザリムはさらに声をかけた。
「ラナハル。もう一度、確認しておきたい。――お前はククゥを信じていないんだな?」
粗暴な皇子は立ち止まり、視線を返す。
冷たく、乾いた眼差しで、彼は言った。
「前にも言っただろう。信じる理由はないな」




