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第三幕 「『火』恋愛体質」2

 おやすめない。

 そんな風に言われて、ああそうですかって聞き流して、すぐにおやすめるような余裕のある女じゃない、私は。不意をつかれてうろたえまくった私の目は、これでもう完全に覚めてしまった。


「ひっ……、日野っ」

「ふぁい」

 人をそんな風に動揺させておきながら、早々と寝とぼけていた日野に苛立った私は、寝袋ごと彼を掴んでがんがんに揺さぶった。

「あんたのせいで、私ぜんっぜんおやすめなくなったんだけど! あんた何でそーゆーこと、こういう状況でさらっと言えるわけ?」

「そーゆーことって?」

「えーとだから……、私のことをすっ、好きだとか……」

 頭の側から反対向きに覗き込んでいた私の顔を、日野はびっくりするくらいの真顔で見つめてきた。どうしよう……。今頭に、ケトルを乗っけられたらお湯を沸かせる自信ある。心臓なんてもうばっくばくで、それっくらいに熱いんですけど。


「好きだから、好きって言いました。俺颯夏さん好きだから。ほんと好きだから。大好きだから。言わないと伝わらないから。本気だってわかってもらえてなさそうだから。そんな話はヤメヤメ、ナシナシって逃げるんじゃなくて、俺のこと気にして、頭ん中俺で一杯にして、俺のことむちゃくちゃ考えて、それから答えを出して欲しいから……。

 てことで颯夏さん、颯夏さんがおやすめなくなった訳を、白状してくれる気になったら起こして下さい。おやすみなさい……」


「ちょっと待ちなさいよっ、そんなこと言うだけ言って、人に投げっぱなしにして、あんた先に寝ちゃうわけー?」

「いやだって寝ないと、せっかく寝かせたやつが、またうっかり起き出しそうだし……」

「そっ、それは気合いで寝かせときなさいよ!」

「颯夏さん、無茶ばっかり……」

 日野は駄々っ子を見るような目つきをして、呆れたように私に言った。


「俺にも起きてろって言うんだったら、颯夏さんちゃんと話して下さいよ。俺に大好きだって言われたくらいで、颯夏さんは何でおやすめないんですか?」

「何でって……」

「俺のこと好きだから、違いますか?」

「な……に言って……」

「片想いの相手が、同じタイミングで自分のことを好きになってくれるって、一生に一回、あるかないかってくらいすごいことだって俺は思います。だから俺は、本気で好きな人の彼女にはなれないっていう、意味不明な理由で颯夏さんを諦めたくない」

 私が、日野の好意を受け取れないでいるその事由を、真っ直ぐに言い当てられて愕然とした。違うって否定をしようとして、けれど、日野があんまりにも真剣だから、ごまかしちゃ駄目だと思った。



「日野あんた……、汀子と私の話聞いてたの?」

「聞いたっていうか、聞こえたっていうか、好きな人が、泣きながら訴えてることってやっぱ気になりますよ。そのまま立ち聞きしてんのはよくないなって思ったから、ユニットバスに行きましたけど」

「……」


「あのさ、颯夏さん。俺は家庭環境単純だし、親のことで傷ついて、臆病になってる颯夏さんの気持ち、わかるかっていったらわからないから上手く言えないけど……。俺の父方のじいちゃんとばあちゃんは、もう二人とも七十近いんだけどすっげー仲良し。ばあちゃんちょっと足が悪くって、どこへ行くにもじいちゃんと手を繋いで行くんです。世の中には、こんな夫婦もいるんだって、颯夏さんに会わせてやりたいよ」

「くだらない。何で私が、日野のおじいさんとおばあさんに会わなきゃならないの?」

 天の邪鬼な返答をしてしまったけれど、日野が一生懸命、伝えようとしてくれていることは胸に沁みた。ああそうか、そうなんだって……、ひねた私を解きほぐそうとしてくれる、思いやりに溢れていた。


「理由がいりますか?」

「当たり前でしょ」

「じゃあ、俺の彼女になって下さい、颯夏さん。そうしていつか家族になって、俺と一緒に俺のじいちゃんとばあちゃんに会いに行こう」

「日野あんた……、一体何、言ってくれちゃってんの……」

「何って、何が?」

「何って今の、プッ、プロポーズみたいだったじゃない!!」

「うーん……、るさぁい……」

 もぞもぞと寝返りを打ちながら、汀子がむにゃむにゃ文句を言った。私は上げてしまったボルテージを焦りまくって下げながら、規則正しい汀子の寝息が、すうすうと聞こえ始めるのを、日野と一緒になんとなく待った。


「プロポーズはプロポーズでちゃんとしますよ。そういう将来も見据えて、颯夏さん、俺とお付き合いをして下さい」

「やめて。無責任なこと言わないで」

「無責任って……、いい加減な気持ちで付き合いたいんじゃないんだって、俺は言ったつもりなんですけど」

「だって怖い。日野の言葉が、日野の気持ちが、いつか嘘になってしまうのが怖い……」

 それが日野の本心なんだと思えば思うだけ、きゅうっと身体の中身を引き絞られるような心地がした。 冷たくなってしまった手指でパジャマの裾を掴みながら、私はそのまま動けずにいた。



「そんなに俺のこと好きなんだ、颯夏さん」

「……そうだよ。悪い?」

「悪くない、すっげえ嬉しい! 颯夏さんは、俺の告白が嘘になるのを怯えるくらい、一途に俺を想ってくれるってことでしょう? だから……。颯夏さんが、自分がさ、この先心変わりをしないんだって思い込んでいるのと同じくらいには、俺のことだって信用して下さい。そういうめんどくさいとこもひっくるめて、俺は颯夏さんを受け止めてゆくから、ぐだぐだ言わずにこの寝袋緊縛を解いてくれませんか?」


「どうしてそこでふざけるわけ?」

「いやだって、俺の胸に飛び込んでこいってカッコつけたいとこだったんですけど、こんなミイラみたいな状態で、どーんとこられたらぐえってなるなあと」

「どっちにしたってカッコついてない、クサイ」

「う、颯夏さんひどい、こんな時にも駄目出しとか……」

「でもきゅんとした、クサイ台詞にぐらってきちゃった、どうしてくれるの……。私今、自分からどーんとなんて行けないけれど、日野にはどーんと来て欲しい――」

 夜は人の口を滑らせる。素直さや可愛げというものを、欠いて久しい私の口さえも。そう口に出してしまった次の瞬間には、私は寝袋から飛び出した、日野の腕の中に引き込まれていた。


「日野」

「はい」

「怖い……、やっぱり、怖いよう……。どこにもいなくならないで……」

 日野の胸が広いだけ、日野の腕が強いだけ、日野の全部が温かいだけ、失くしたくなくて怖かった。嫌われたくなくて怖かった。恋しくて切なくて、いつか来る別れを思って泣きそうになった。


「怖くない。俺は颯夏さんを置いてなんか行かないし、不安に思うことはないんだって、これからじっくり時間をかけて、颯夏さんにわからせてあげるから。

 とりあえず今は、疲労回復と栄養補給。溜めに溜めてきた俺の愛を、めいっぱい颯夏さんに注いでおきます。ごめんなさい俺は……、滋養強壮にもなっちゃってますけど」

 それは確かに、日野と触れ合っている全ての面から、じわじわじわじわ染みてくるハグの効能だ。日野の側だけに効いている、三つ目が恥ずかしくて、思わず突き放してしまったけれど。


「馬鹿っ……!」

「俺、颯夏さんに、『馬鹿』って罵られるのも嫌いじゃないですよ」

「ほんと馬鹿」

「言ったそばから、繰り返してくれるんだから優しいなあ」



*****



 それから、それから、それから。

 部屋と廊下に元通り分かれて、寝た子を起こしてしまった日野を寝袋放置して、少しは眠ろうと横になったけれど、意識が日野に向いてしまって、私はまんじりともできなかった。

 始発電車の走る音が耳に届く時間になると、私同様に一睡もできなかったという日野は、就寝中の汀子を残してそろそろと帰っていった。


 朝が夜の続きであることを教えてくれるように、

「午後からでも明日でもいいですから、休んでそれから、デートしましょう。後で連絡します、颯夏さん」

 という誘いと一緒に、はむりと一口、唇を食べるようなキスを落として。

「据え膳ごちそうさまでした」



*****



 夜明け時からしとしとと降り始めていた雨は、目覚まし時計が鳴る頃には本降りになっていた。

 日野が使っていた寝袋に潜り込んで、今自分がしちゃっている恥ずかしいことにも、日野との間に起こったアレコレにも、寝袋ごと転がりそうになるくらい身悶えていた私だけれど、いつの間にかうつらうつらはしていたらしい。自分の身支度を終えてから汀子を叩き起こして、彼女がシャワーを使っている間に、簡単な朝食を整えた。


「日野くん先に帰っちゃったんだ」

 ラグの上に戻したテーブルを挟んで、濃い目がいいと頼まれたコーヒーをブラックで飲みながら、二日酔いでアンニュイな汀子は残念そうにそう言った。

「うん。うちこんなワンルームだし、自分がいると、あんたも私も着替えとかしづらいだろうからって、気を使ってくれたんだよ」

「ふうん……。ねえ颯夏、昨夜はさ」

「何?」

「ううん。何も覚えてないんだけど、あたしいい仕事しちゃったかなあ、って」

「かもね」

 あり合わせの野菜を切って混ぜただけのサラダをつつきながら答えると、汀子は目を丸くした。


「うっそ……! 颯夏、あたしが寝ている横で、日野君となるようになったわけ?」

「ご想像にお任せします」

「いいなあいいなあ。あたしなんて、彼との付き合い、考え直そうかなあって思ってるところなのに。昨日の今日で羨ましいから、らっぶらぶな想像してやるー」


 この、嘘つきめ。

 何も覚えてないなんて嘘。私の無様で感情的な願いは、痛手を負った汀子の心にしっかり響いていたらしい。汀子がもしも、既婚の彼氏ときっぱり別れることができたなら、思いっきり慰めてやる。


 私は小さくない感激とこそばゆい気持ちをはぐらかし、テーブルの端っこに置いていたレシートを取り上げた。

「そんな想像はいいからさ、汀子、これ、昨日日野が汀子の分まで買い物してくれたレシート。歯ブラシとパンとパンツのお金、立て替えてくれているから早く返してやってよね」



*****



 土曜日夕方の乗換駅。大きな駅ビルと接続する、中央改札出てすぐのところは定番の待ち合わせスポットだ。

 立ち止まる人、行き交う人のざわついた波の中、改札を抜けた私はきょろきょろとしながら、もう着いているはずの日野を捜した。

「颯夏さん」

 そんな私を目ざとく見つけて、家に帰ってから十二分に睡眠を取ったらしい、元気溌剌な日野がにこにこと近付いてくる。


「お待たせ、日野」

「全然待ってないですよ。俺が先に来て待ちたかっただけで。颯夏さん、ちゃんと寝ました?」

「うん。これから美味しいもの食べに行くのに、体調は万全じゃないとね」

「そうですね。つやつやしてて颯夏さんも美味そうです。じゃ、行きましょうか」

 隣を並んで歩くのは、仕事仲間としてこれまでにもやってきた。けれど昨日までと違うことに、日野は私の手を握る。私の心を、びっくりどっきり跳ね上がらせてくれながら、照れ臭そうに嬉しそうに。



「好き」は「さよなら」のはじまり――。そう思う気持ちは今も変わらない。この先変えられるかもわからない。

 だけど、そんな悲観が消し飛ぶくらい、日野の押しの強さに甘えて、流されてみたいと思っている私がいる。

 もう後戻りのできない恋愛というものを、なかったことにできない彼氏彼女の関係を、私は誰より好きな人と、今日から始めてしまったのだから。

ご読了ありがとうございました。

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