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第三幕 「『火』恋愛体質」1

「――で」

 汀子の寝顔をしばらく見守ってから、私はユニットバスの扉を叩きに行った。

「日野、あんたいつまで、そこに閉じ籠っているつもり?」

「いやなんか、出るに出られなくなって……」


 お遣いを終えて家に入ってきてすぐ、私と汀子の間に流れる異様な空気を読んだ日野は、コンビニの袋を流し台の上に置き、我が家のユニットバスに直行していた。

 そこには、あんまり他人には、特に日野みたいな私を好きだなんて言う男には、じろじろ見られたくない弄られたくない女の秘密のあれやこれやもあるわけで……。あんたはそこで何をしていたコラと小一時間は問い詰めたい――、しないけど。


「まあいいや……。日野、そこにいるんだったら、あんたそのまま服脱いで、さっさとシャワー浴びちゃいなさいよ。ちゃんと買って来たんでしょ?」

「えっ、なっ……、何をっ!?」

「替えのパンツ。バスタオル用意しといてあげるから」

「パンツ……パンツか……、そうですよね、ははは……。颯夏さんだし、汀子さんいるし、んなわけないか……。あー駄目だ俺、颯夏さんのせいでマズいことになってる……。ほんとごめん、颯夏さん。自分でも最低だと思うけど、後でもっと最悪なことやらかさないように、頭とか冷やさせてもらいます……」


 頭とかって、『とか』って何だ。あれやこれやがある他人んちのお風呂で、あんたは一体ナニをどうしてクールダウンするつもりだあっ!?

 ……いや確かにね、後でもっと最悪なことやらかされるよりは、ずーっとずーっとましだけど、頼むからそういうことは、わざわざ断りなんて入れないで、ひっそりこっそりやっちゃってよ、日野……。



*****



 頭『とか』を『冷やす』と言いながら、日野は何ともほやんとした顔で、全身ほかほかして出てきた。 湯上がりの日野が着替え終えた格好は、ボクサーパンツの上にVネックの白シャツで、目のやり場にスゴく困る。


「日野はこれで寝てね。寝袋貸してあげる」

 普段からドライヤーなんて使わない、という短い髪を、バスタオルでさばさばと拭きながら、流し台にもたれて座り、スポーツドリンクのペットボトルを咥えていた日野に、私は物置にしているロフトから降ろしてきた、来客用布団代わりの寝袋を差し出した。


「ありがとうございます――て、汀子さんにベッド取られて、俺に寝袋貸してくれて、颯夏さんはどうやって寝るんですか?」

 寝袋を受け取りながら、日野は私にそう聞いてきた。

「私? 私は毛布とクッションで適当に寝るよ。ラグの上だし大丈夫」

「だったら、俺そっちでいいですよ。ああそっちって言っても、ラグに寝かせて下さいって意味じゃ無くて、ちゃんと廊下で寝ますから、毛布とクッションだけ貸してもらえたら――」


「あのね、日野」

「はい」

「わかんないかなあ? 朝までそれで両手両足拘束されとけって言ってんの。私寝心地どうこうよりも、気持ちの上で安心して寝たいのよね」

 日野は寝袋を傍らに置いてから、なんだかもじもじとして上目使いに私を見上げた。


「颯夏さんてばいきなり高度だなあ……、緊縛放置ってそういうプレイですか?」

「あんたがそのつもりなら上から縛るよ。雑誌くくるビニール紐で」

「うっ……、それもいいかもしれないとか、目覚めてしまいそうなんでやめて下さい」

「変な方向に目覚めてないで夜は寝なさいよ! ……馬鹿ばっかり言ってないで、信用させて、日野」

 ちょっと真面目になって私が言うと、日野は飲み掛けのペットボトルのキャップを締めて、立てて開いて肘をかけていた、膝の間に顔を伏せた。


「……しょうがないじゃないですか」

「何が?」

「馬鹿言ってないと、緊張する。俺今日颯夏さん()で、颯夏さんと寝れるんだ……」

 田舎の家でおばあちゃんと寝る――と同じ意味の『寝る』を、違う『寝る』に聞いてしまう私だって最低だ――。


「……どうってことないでしょ、あんたは廊下、私はお部屋、あっちとこっちでぐうぐう眠るだけなんだから。ほら、日野、それもう飲まないんだったら冷蔵庫に入れといてあげるから、こっちに寄越して歯磨きしておいでよ。早くしないと電気消しちゃうよ」

「じゃ、お願いします」

「うん」

 日野は照れた顔をちょっとだけ上げて、私にバトンパスするみたいにしてペットボトルを渡して、コンビニの袋から取り出した使い捨て歯ブラシを片手にユニットバスに向かった。


 シャコシャコと日野が歯磨きする音を聞きながら、汗をかいたペットボトルを両手で握り締め、私はぺたんと冷蔵庫の前に座り込む。

 嘘だ。嘘嘘。好きな人を部屋に泊めるのなんて初めてで、それ以前に男の人が家にいるっていうのが慣れなくて、私だってめちゃくちゃに緊張してる。日野が先に眠りに落ちてくれるまで、私はきっと眠れないだろう。



*****



 日野が歯磨きを終えて、廊下に広げておいてあげた寝袋に潜り込むのを待ってから、私は手元に置いたリモコンで部屋の照明を小さくした。物の正体を曖昧にする、ぼんやりとしたオレンジ色の光の中で、汀子が眠るベッドサイドから取ってきた、アナログの目覚まし時計を引き寄せる。


「日野は明日――っていうか、もう今日っていうか、何時に起きる?」

 どっち向きで寝ようかってしばらく悩んだけど、人様の頭に足向けるのはどうかなってことで、私はテーブルを退かしたラグの上に、日野と頭と頭を突き合わせて寝っ転がっている。

 手を伸ばせば互いの髪に届きそうだけれど、私は手を伸ばさないし、日野は手を伸ばせない。そんな距離。


「別に予定は無いんで、颯夏さんに合わせます」

 寝袋でゆるーく拘束されてくれながら、日野は首から上だけ動かして、うつ伏せでアラームをセットする私の方を向いた。

「それじゃ目覚まし、八時でいい? 汀子もまあ、文句言わないでしょ」

 汀子は今夜、お泊りデートの予定だったんだから、それでも別に大丈夫だろう。時計の針はもう、午前二時を回っている。七十パーセントの雨予報じゃ、洗濯したってどうせ外干しできないし、早起きをする気力は無い。


「それでいいです。もー俺八時半でも九時でもいいぐらい……」

 そう返事をしながら日野は、ふわーと大きな欠伸をした。

「あー、あんた、お酒飲んできたんだっけ?」

「そんな量は飲んでないですけど、汀子さんの飲みの相手してすっげ疲れました……」

「そっか」

 その汀子は、目下私のベッドで爆睡中だ。ワンルームの狭い室内で、昼間より声は潜めているけれど、私と日野が会話をしていても、シャワーの水音やドアの開け閉めなんかの生活音が響いていても、全然起きやしない。


「電気なんだけど、日野は真っ暗にして寝る派? それとも小さいのだけ点けとく派?」

「真っ暗派ですけど、今日はよかったら点けといて下さい」

「何で?」

「点けといてもらえると、颯夏さんがよく見えるから」

「じゃあ全部消す」

 言いながらリモコンをピッと押すと、暗がりに沈んだ日野は、あははと笑った。


「颯夏さんの家なんだから、最初っから颯夏さんの好きにすればいいのに、颯夏さんだなあ……」

 日野の声はやけにしみじみと、勝手に私のことをわかってるみたいにそう言って、それから囁くようにこう続けた。

「おやすみ、颯夏さん――、大好きです」

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