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第二幕 「『悲』恋愛体質」

 一人暮らしをしている私のマンションは、職場から二駅、繁華街のある大きな乗換駅から一駅離れた場所にある。広さを捨てて立地で選んだワンルーム。バスとトイレが一緒なのが残念だけど、キッチンはまあまあ使いやすくて、すっかりと住み慣れた居心地のいい私の巣だ。


 ベッドに入ってだらだらと、これといった目的も無くスマホをいじっていると、玄関のチャイムが鳴った。

 時間を確かめると深夜一時前。こんな夜中に……、怖いんですけど。

 もう寝てまーす。寝てますよーと、布団にもぐって無視していると、もう一回、チャイムが鳴った。やだやだやだーっ!!


 ぎゅうっと枕を抱き締めてガタガタしていると、手元にあったスマホが震えた。暗闇に光るその名前は――。

「……はい?」

「さーつかちゃーん、開ーけーてー」

 電話越しと玄関の向こうから、二重に汀子のハイテンションな声がした。




*****




 便利な場所に住んでいて困るのは、たまーにこうして、時計を見れないお馬鹿さんが、夜中に突撃してくることだと思う。

 なんだ、汀子かって、呆れ返って腹立てて、だけど一気に気が抜けて、ドアスコープを確かめなかったのが間違いだった。

「あ、颯夏、さん……っ!」

「ひっ、日野っ!?」

 玄関開けたら汀子に縋りつかれた日野がいて、私の顔をまじまじと見つめた日野の目は、それからすうっと胸元に下りた。


 ぎゃー!!

 私今、スッピンですよ、パジャマですよ、ノーブラですよおおお!! 私は大慌てで、羽織ってきたロングカーデの前を合わせた。そんな隠すほどのモノは無いんだけど、無ければ無いなりに、ほんと無いんだ……、いつものあれは精一杯に寄せて上げて盛ってるんだって憐れまれるのも悲しいわけで。


「……何であんたたち、ここにいるの?」

 痛いほど感じる日野の視線に、落ち着きを無くしながら私は訪ねた。

 特に汀子、あんただ。お誕生日のデートはどうしたおデートは。

「はーい、終電が行っちゃったからでーす」

 いつもの実用重視のトートとは違う、小振りな可愛いバッグを振り回して、汀子はご陽気に答えた。いや、そんなこと、聞くまでも無くわかりきっているんだけどね。

「じゃあ二人で、そこらへんの、ネオンきらきらのホテルにでも泊まってこい」

「それはさっき日野くんに断られましたー」

 むーと汀子は不満げに、唇を尖らせた。誘った後って……。危険な女だな、汀子。


「颯夏さんっ! 笑えない冗談言ってないで、このタチの悪い酔っぱらいを早く引き取って下さいよっ。待ち合わせの時間を三十分も過ぎてから、彼氏にドタキャンされたとかで、バーに呼び出された時からずっとこんなで……」

「そー。フラれ者同士で楽しく飲んでたのー」

 ああ、それでこんな組み合わせなのか……。汀子のやつは、『颯夏のパシリはあたしのパシリ』って、ジャイアンみたいな女だしな。



「しょうがないなあ……」

「うっふふー。愛してるわよー、颯夏あ」

 ぐでんぐでんの汀子は、お酒と煙草と香水の入り混じった、ひどい臭いを撒き散らして、パンプスを脱ぎ落しながら私の首にかじり付いてきた。ずいぶん安っぽい愛だな、あんたの愛は。


「私はちっとも愛してないよ、汀子。全くあんた、お酒入ると時々記憶が飛ぶんだから、こんなぐだぐだになるまで飲むんじゃないの。日野、あんたも、こんな遅くに近所迷惑になるからさっさと上がって」

「いいんですか? 俺も」

「いいに決まってんでしょ。なに遠慮してんの。もう電車ないんだし、あんた自分の家までタクシー乗ってけるようなお金ないでしょ?」

「あ、だから、会社戻って泊まろうかって……。月曜鍵開け当番で、俺ちょうど事務所の鍵持ってるし」

「これからまた、二駅歩いて……? よしなさいよ馬鹿らしい。据え膳食わなかった男は入っていいよ」

 私が寛大に許しをやると、日野は日野のくせに、生意気にも大きな溜め息をついた。


「俺、汀子さんだから食わなかっただけで、颯夏さんならおかわりだっていってますよ? スッピン見れただけでもやばいのに、颯夏さん寝る時パジャマとか……、オカズ山盛りなんですけど」

「ちょっ……! 変なことでうまいこと言わないでよっ」

「あ、今のは残念じゃなかったですか?」

「褒めてないんだから喜ばないの」

「そうだそうだー、食わず嫌いはよくないぞー」

「ああもう汀子も、何言ってるんだか……。日野っ、日野が上がっていいのは廊下までだから。それから日野、あんた靴履いているうちに、朝用のパンと歯ブラシ買ってきてよ、あんたと汀子の二人分。駅の方から来たんなら、すぐそこにコンビニあったでしょ?」

「颯夏さんのは?」

「自分の朝ごはんはちゃんと用意があるから。シャワー貸してあげるからパンツもね」

「……汀子さんのは?」

「買えるもんなら買ってこい。家の鍵開けとくから、戻ったら勝手に入ってきていいよ」




*****




 日野を一旦コンビニに追いやって、私は酩酊状態の汀子を抱えて部屋の中に入れた。クッションを枕がわりにさせて、フニャフニャしたナイスバディをひとまずベッドとテーブルとの間に転がしておく。日野がいない今の内にささっとブラを付けて、私は汀子に声をかけた。

「水飲む? それとも、あったかいお茶とかコーヒーがいい?」

「……お水で」

 私がグラスに注いでやったミネラルウォーターを、のそのそと起き上がった汀子は両手に包んで大人しく飲み干した。右目の目尻にある色っぽい泣きぼくろが、今日はやけに悲しげに見える。


「……もうやめなよ、不倫なんて」

 ずっと、口出しするのは控えてきたけれど、思わずぽろりと言ってしまった。

 汀子の彼は、左手の薬指にマリッジリングを嵌めていた。早くに結婚して、子供だっているくせに、自分に気のある感じの汀子を飲みに連れ出して、記憶を飛ばした彼女を送ってその場で押し倒した……。そういう類いの酷い男だ。

「うー……」

 空になったグラスを置いた、テーブルに突っ伏して汀子は呻いた。私の言っていること、聞いているんだかいないんだか。堰を切ったように、私の小言は止まらなくなる。


「あんたの誕生日だっていうのに、平気でドタキャンしてくるような男でしょ? なーにが『年に一度のわがままデー』なんだか。またどうせ、急に子供が熱出したとかそんな理由でしょ?」

 仕事で彼に会った私が、あれは既婚者じゃないかと問い詰めてから、汀子はお酒が入ると不倫の恋の苦しさを、ぽつぽつ私に吐き出すようになっていた。休日に会えなくて寂しいとか。一度でいいから手を繋いで街を歩いてみたいとか。最近汀子の部屋で逢ってやるだけになっちゃってるとか。そーゆーことしてる最中でも、子供が……って連絡が入ればすぐに帰っちゃうとか……。どれもこれも、予想できたことだろうが大馬鹿者。

 誕生日の約束を破られた、汀子は可哀想だと思うけど、それはそれで、その方がいいんだって私もいる。既婚の男は、いるのがおかしい彼女の誕生日なんて祝ってないで、家庭に真っ直ぐ戻るべきなんだ。


「素敵に見える既婚者が、カッコいいのは当然だよ。幸せな家庭で奥さんが、一生懸命旦那さんの世話を焼いているんだから……。あんたの彼みたいに小奇麗にしてる男が、奥さんとうまくいってないとか絶対嘘。汀子あんたさ、いいように騙されているんだよ」

「颯夏に何がわかるのよ!」

 がばりと汀子は顔を上げた。ああ、恋にとち狂った女の常套句だな――。

「わかんないよ。わかるもんか。あんたたちのことなんてわかりたくもない! だけど私は知ってる。不倫するような父親を持った子供の気持ちは……!」

 私が睨むと汀子は怯んだ。見知らぬ父の愛人。……今は後妻か。子供だった私から、当たり前の幸せを奪い去っていった女。その女の影に汀子が重なる――。


「母親にだって、良くないところはあったんだって今ではわかるよ。だけど私は、父親が出て行ったせいで歪んじゃったって思ってる。汀子、私さ……、好きでも嫌いでもない人とは付き合ってみたことあるけど、自分が本気で好きな人の彼女になんて怖くてなれない」

「……何で?」

「捨てられる時がきっと来るから。今はどれだけ大好きな人でも、嫌われて、嫌いになって、最後には罵り合って別れることになるから」

 それが大恋愛をして結ばれたはずの両親の、離婚間際の姿だった。私は一人、自分の部屋で耳に両手で蓋をして、二人の口論を聞かないようにしていた。


「相手の気持ちを信じないの? ずっとずっと、お互い好きでいられるかもしれないじゃない?」

 不倫なんてしている汀子に、どうしてそれが言えるんだろう? 結婚しながら恋をする男の心に、疑問を持たずにいられるんだろう?

「どうやって……? 人の気持ちなんて移ろいやすいもの、どうやったら信じられるの? 恋人は……、父親だって……、いつか誰かに、横取りされてしまうものなら最初からいらない」



「……ごめんね」

 はっとするような切ない声で、ぽつりと汀子は謝罪した。知らぬ間に零れ落ちていた私の涙を拭って、汀子は私の髪を梳く。

「颯夏をこんなにも、傷つけた女の代わりに颯夏に謝る。だけど颯夏、あたしどうしても彼が好きなの。大好きなの。簡単にはやめられないの」

「やめなよ……。簡単じゃなくてももうやめなよ……。苛々して、美味しくなさそうに吸っている、煙草だってもうやめな……。あいつの話してる時、汀子全然幸せそうに見えないよ……」

「あたし幸せ……じゃない、のかなあ……?」

 ずるい男に、囚われているにはもったいない美人な顔を、汀子は泣き笑いでくしゃりとさせた。そうして汀子は私のベッドに上がり込み、そのままそこで寝入ってしまった。


 私はお酒も煙草も香水の臭いだって好きじゃない。父のスーツに付いていた、嫌な臭いを思い出すから……。そして明日の降水確率は七十パーセントだ、馬鹿たれが。

 クレンジングシートで化粧を落としてやって、私は眠る汀子の額に軽くデコピンする。


 今夜の会話を、覚えていてもいなくても、朝になって目覚めた汀子は、お酒のせいで記憶が無いと言うだろう。

 だけどきっと、それでいいのだ私たちは。恋愛なんて人の身勝手だ。まともにできなかろうと不幸だろうと、お互いに、深入りできるようなものではないのだから――。

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