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明後日の空模様 長遐編  作者: こく
第十五話 文字占い
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「お前は、一体何なんだい」


「……え?」



 帰り際、骸骨を思わせる痩せた背を椅子に預けた女巫が、俺に人差し指を突きつけた。低い声が地面を這う。


「神仙の御霊がここに留まるのを拒んだのはお前のせいだ」生気のない目は僅かな光を灯していた。俺は何と答えていいか分からない。


「場の空気の乱れを察して、すぐお帰りになられた」


 空気が乱れると、霊はすぐに立ち去る。どうやら俺は、通信霊にすら嫌われたらしい。

 君は敵意を煽りやすい体質だ、と若者の言葉が過ぎる。頭を掻いた。そんなことを言われても困る。


「確かに、機嫌が悪くてすぐに引き上げたようだね」情報屋の若者も同調した。その顎に指をあてている。「君を警戒していた」


 まさかとは思うが、また、人違いってことはないよなと俺は半笑いになる。が、「それはない」と断定口調できっぱり言い切られ、少し瞬いた。

 彼は唇を舐め、かと思えば両腰に手を当ててこちらに立ちはだかる。身長のため、若干見下される格好になった。「残念ながら、彼らの目は人間みたいに節穴じゃない」



「こればかりはコウキも関係ないさ。……自然霊が君を見てピリピリするのには全く違う理由があるんだ。人間の目は誤魔化せても、霊はちゃんと見ているよ」



 突き放すような台詞だった。俺も女も思わず訝る。「お前は何を知っているんだ」と。


 若者は僅かに口角を持ち上げたまま微動だにしない。「ただの情報屋だよ」


 その割に随分と色々気前よく教えてくれるんだな、と相手を窺う。彼は、情報に価値を見出す職業にしては致命的と思えるほど饒舌な男だった。あとで高額請求されたらどうしよう、という一抹の不安がある。若者はそんな俺の心を見透かしたようだ。


「金のない人に吹っかけても仕方ないじゃないか」


「殊勝な情報屋だ」


 恐らく、それは余計な一言だった。若者は表情を一変させてきらりと瞳を煌めかせると「ツケにしておくよ。今度会ったときに払ってくれ」と笑って手を振る。

 ああ、変なことを言わなければ良かった。俺は何やら頬のあたりがひんやりと冷えていくのを感じ、無意識に手でさする。


 若者は夏の陽射しのような晴れやかさで、乾かした薄紙をこちらに差し出す。例の不吉な詩を書いたものだ。丁寧に折りたたまれたそれを拒否する理由もなく、俺は黙って受け取った。


「……じゃあ、俺はこれで」


「陽人には気をつけてね」俺の心を見透かした訳でもないだろうが、若者の呼びかけは褐色肌の筋肉の悪夢を蘇らせた。


「陽人に用心?」


「君のそういうセンスは嫌いじゃない」


「どうも」


 出入り口の幕を押し上げる。そこから覗く外は、一瞬夜と見紛うほどの青い宵闇が立ちこめていた。穹廬に流れ込む外気もすっかり涼しく、ぬくもりが薄れている。

 都市の四つの門は日没の時刻に閉まるのだ。思わず立ち尽くす。



「ほら、急いで! 今ならまだ間に合うよ」



 若者のその一言に励まされ、俺は左手の薄紙を握り締めて走り出した。頬を切る夜の冷気。遠ざかる背後から、若者が「また会おう」と手を振っていたような気がした。


 考え事をしている暇はない。紺碧と黒の景色が次々後ろに消えていく。もう店じまいなのだろう。闇に沈み、活気を失う自由市を横切り、市門目がけて走りに走った。

 西の空、暗澹たる暮れの雲の奥に、熾火のような落陽の橙が僅かに残っている。まだ、辛うじて消えずに燃えていた。あと少し。あと少しで完全に沈んでしまう。日没を知らせる太鼓の音がぼおんと響いた。

 石段を駆け上り、都市の衛士と思しき門番の横をあっという間にすり抜ける。今、まさに扉を閉じんとする。そんな格好だった男は、髪を乱した少年が死に物狂いの形相で全力疾走する様を怪訝そうに見送り、仕事に戻った。

 息を切らし、見上げるほど大きな鼓楼正面の大路に飛び込む。市門から繁華街に伸びる三叉路のすぐ手前だ。セーフ、と独りガッツポーズ。街灯の炎が涙目に滲んだ。


「皓輝!」と非難に近い声で名を呼ばれたのは膝に手をついて数秒後。その声の主は、待ち合わせに遅れた相手を責める口調をしていた。


「門の外に出るなって言っただろ」


「ごめん」三叉路の右から駆け寄ってくる翔に謝る。どうやら待たされたことより、俺が言いつけを破ったことが不服らしい。


 顔を上げれば炎の暗がりの下、疲れと不思議を混ぜ合わせた面持ちの相棒がいた。当然ながら、質問が飛んでくる。


「自由市に何か気になるものでも? その墨だらけの紙は何だ?」


「ちょっと、あの、猫を追い掛けてさ」


「猫?」


「後で詳しく話すよ」


 力なく手を振った俺はどうにかそれだけ伝え、くしゃくしゃによれた紙を懐に仕舞った。




 男二人で泊まるにはあまりに手狭な安宿の客室、夕餉の後の気怠さに浸る翔は外着も脱ぎ、甘ったるい酒を呑みながらすっかり寛いでいる。俺は例の詩を書いた紙を見せながら、事の経緯を説明した。

 まず港で陽人に追いかけられたことから始まり、仔猫との出会い。そしてその猫の正体が、あの奴隷市で出会った情報屋だったこと――。


「文字占いかぁ」


 中年の女巫と扶鸞の話を終えたところで、翔は喉から声を出した。いいな、俺も見たかったよ、と。


「占い、珍しいのか?」


「あまりやらないね。自分じゃ出来ないし」


 翔が言うには、降霊術を使った占術はネクロ・エグロには向かないのだという。

 何故なら、ネクロ・エグロには既にスコノスという生来の精霊が宿っているため、別の霊を身体に憑依させるのが難しいのだ。一人の肉体には一匹の霊。そういう自然の制限があるらしい。


「それにしても、次の手を神仙に伺い立てるっていうのはいい考えだな。肝心の“詩”が意味不明だけど」


 膝の上で広げた一枚の紙には、俺が書き殴った漢字の列がある。あまりの汚さに翔も眉根を寄せていたので、後で清書しようと心に誓った。

 “朝、未だ来ず。死んだ子の口なり”……。確かに意味不明だ。この世界の人である翔ならぴんとくるものがあるかと期待したが、あっさり首を横に振られてしまった。


「文字占いは知っていたけれど、実際に見たのは初めてだ。謎々でもなさそうだし、解き明かすのに何かコツがあるのかも」


 白狐さんなら知っているかなぁと漏らす翔は自信なさげだ。足下から穴に吸い込まれるよう、俺も頼りない心地になる。若者の口車に乗せられて、胡散臭い占術なんかやるんじゃなかったかもしれない。そんな後悔すら込み上げる。

 考えてみれば、今日一日はただひたすらに骨折り損の草臥れ儲けだった。得たものと言えば妹が見つからない失望と、救世主を自称する分身との出会いと、こんなペラ紙一枚だけ……。

 落ち込んでいても仕方がない。薄っぺらな布団に寝そべった翔の励まし文句に、ようやく面を上げた。あの若者からコウキの話も聞けた。扶鸞もまあ、この先役に立たなくとも特に失うものはなかった。前向きに今後のことを考えよう。

 西大陸の”救世主”たるコウキから協力を得られたのは悪くない収穫かもしれない。


 そして俺は、ついでのようにあの情報屋の若者のことを考えた。また会おう、と再び会う日を確信して手を振った彼のことを。

 あの気まぐれそうな彼ともう一度会えるとも思えなかったが、もし再会する日があれば今回の情報代を請求されるのだろうか。そんな日が来てほしくないな、と思う反面、あの若者がいきなり日常を切り裂いて現れるような確信じみたものもある。

 そう、やはり彼は三光鳥と似ている。俺の先行きを予測しているのに、口には出さない。喋る小鳥と道案内する仔猫の間にどれほどの共通点が見出せるのか、疲労した頭では考えるのも億劫だったが。




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