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明後日の空模様 長遐編  作者: こく
第十五話 文字占い
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 若者の口から飛び出した単語はあまりに突飛で、耳馴染みしないものだった。


 俺はぽかんと呆けて瞬目する。きゅうせいしゅ、と舌の上で反芻。それは何だか大仰で、あの平凡そうな男が背負うには重すぎる肩書きであるように思われた。

 俺は煙の向こうの彼が三光鳥を籠から出している様子を盗み見、訝る。そのまま受け止めるにはいささか腰が引ける単語だ。


「救世主、だよ。知らないかい?」作り物のような眼をきゅっと細めた若者は、椅子に座り直して何かを取り出す。手の先に留まらせた三光鳥に摘まんで食わせているあたり、餌をやっていると見えた。


 考えあぐねた俺は、「知っているといえば知っているが、知らないといえば知らない」とひどく曖昧に濁す。


 実際、その呼称を耳にしたことはあっても、具体的にどんな存在を指すのか俺には分からない。世のため人のために生きる英雄なのか、神話世界の登場人物か、はたまた単なる比喩表現か――。



「そう呼ばれているんだよ。救世主(ソティラ)って」


「呼ばれているって、誰から?」


「彼の愛すべきイダニの国民」



 俺が眉を顰めたのに気付いたのだろう。若者は愉快そうに「イダニ連合国は、彼の国だよ」と付け加えた。

 情報を売買することを生業にしている癖に、“お得意様”であるはずのコウキの情報を漏らすのに何の躊躇いもないらしい。


「西大陸の──」


「そう、西大陸の北方を占める砂漠の共和国だ」うんうん、と彼は一人で頷く。「そこに平和をもたらした救世主ってことで、コウキは英雄扱いされているのさ。……良くも悪くもね」


「平和をもたらした、とは?」


 俺の質問にも、若者は滑らかに答えた。



「かつて、ろくな土地も作物もなく、血縁で結ばれた諸部族が戦に明け暮れていた時代を制し、イダニ連合国の祖となった国民的英雄。枯れた大地の人々をひとつにまとめ上げて平和に導いた――ってね。それが、コウキが救世主と呼ばれる所以なんだ」



 へえ、と俺は素直に感心する。確かに人助けに手を惜しまない好青年ではあったが、そんなにすごい偉業を成し遂げた英雄には見えなかった。

 反面、密かな疑問が湧く。イダニ連合国はこの孑宸皇国と長らく膠着状態にある敵国。イダニ建国の祖というのであれば、あの男の年齢は一体いくつだ? いくらネクロ・エグロが長命な人種であるとはいってもその伝説には無理がないだろうか。


 ただ情報屋の話にどこまで信憑性があるかはともかく、少なくとも他国の船乗りに顔を認識されている程度には、西大陸でのコウキの知名度は高いようだ。国民的英雄という称号もそれほど大袈裟でもないのだろう。

 確かなことは、どうやらかなり厄介な人物と顔が似てしまったらしい、ということだった。若者が俺にしてくれた忠告が今になって重みを増す。

 救世主の顔がよく知られているということは、それだけ冤罪事件の可能性も上がるということ。俺は無意識に喉から呻くような声を出し、情報屋に水を向ける。



「それで、スラギダ王国の船乗りが救世主の命を狙ったのは、西大陸の国家同士の因縁があるからなのか?」


 そうだね、と若者。「昨今、イダニ連合国は侵略戦争をしながらじわじわと領土を南へ広げている。スラギダ王国は中立国だけれど、そんなイダニのやり方を良くは思っていないらしい」



「侵略戦争? さっき、救世主はイダニ連合国に平和をもたらした云々と言っていなかったか?」


「国内の平和と対外戦争は別問題だよ」飄々と笑い、情報屋は椅子の背もたれに寄り掛かった。「救世主の使命は一国の平和にあらず、全世界の和解さ」


 そう言いながら若者は胸元からおもむろに何かを取り出す。雑に丸められた紙のようだ。



「彼とその信奉者は、“理想世界”の到来を信じている。そして、その考えをもっと広めようとしている」


「理想世界……?」



 ほら、とぞんざいに寄越してくるので、仕方なく俺は手を伸ばし、その汚れた紙を受け取ってみる。

 そっと開いてみれば、視覚に飛び込んでくる見慣れない文字。うねるように横書きで連ねられたそれは俗っぽく装飾的で、重要な書類などではないとすぐに分かった。紙の端に印が押してある。

 推測するに、人々に配り歩く散らしかビラの類だろう。そして、孑宸皇国の言語ではない。


「これは……えーと」西大陸の文字は読めないんだ、と伝えると、彼はそれを待っていたかのように内容を端的に訳す。


「“来たれり、我らが理想の新世界”、“いざこの世の害悪を葬り、完璧な幸福と不屈の正義を広めん”……」


「……」


「広告の謳い文句だよ。救世主はこういう自分の崇高な理念を説いたビラを、あちこちにばら撒いているんだ。まあ要するに布教活動だよね」


 彼は高いところから景色を見下ろすような面持ちをしていた。

 口を開けたままになっていた俺は、何とも言えず唇を擦り合わせる。“完璧な幸福”“不屈の正義”――宣伝文句に背筋を撫でられるような、薄ら寒いものを覚えたのは気のせいではないだろう。



「コウキは信じている。いつかこの世に蔓延した悪の病が消え去って、全ての人が死なない永遠の平和がやって来るって」


「だから、救世主?」



 どちらかといえばそれは、新興宗教が力説する、熱に浮かされた綺麗事に近かった。少なくとも、俺にはそう感じられた。都合のいい勧善懲悪の筋書きが、現実でまかり通ることは限りなく少ないということを知らない歳でもなかった。

 同時に、胡散臭いとはっきり声に出すほど不躾でもなければ、誰かの信念を鼻で笑うつもりもない。何故ならコウキは確かに、誰かを助けるために尽力していたからだ。

 救世主という肩書きは凡庸そうな彼には似合わなかったが、だからといって否定する権利などない。それが侵略戦争の正当化に使われているにしても、非難をするには彼は遠すぎる。


 特に感想も言わず散らしを返す。「コウキは……あの男は、確か人を救うのが自分の役目だとか言っていたな」


「救世主だからね」


「じゃあ悪とは何だ。奴隷制のことか?」


 あのときのコウキの苦しげな顔をなぞりながら問いを重ねると、「それもある」と返ってきた。コウキは理想主義者なんだよ、と若者は続けた。同意を求めるよう三光鳥に顔を寄せる。


 そのとき、彼の肩に留まっていた鳥が何かを察知したかのように羽ばたいたので、話は中断された。若者が制止する暇もなく小鳥は飛び立つ。二枚の翼を不格好にばたばたさせる姿を見る限り、羽を切られているらしい。

 逃げるかと思われた小鳥は出入り口の傍で上下した後、自ら籠の中に戻る。その様子に、俺は密かに確信した。やはりこの三光鳥は、俺がよく知っているあのお喋りな予言者とは別の個体である、と。



「おやおや……」と首を回した情報屋の目は、鳥籠の先の垂れ幕に向けられている。「――お早いお帰りだね」と彼が笑ったのを見て初めて、俺は穹廬の外に誰かが立ってことに気付いた。


 出し抜けに差し込んだ夕陽色の光。入り口の幕を片手で持ち上げている人影を目に留め、俺は誰が来たのかと瞬いた。

 逆光に鈍く浮かび上がる影。みずぼらしい格好をした、中年の細い女がそこにいた。

 墨色の頭巾を被り、痩せた頬に長い髪を垂らしている。落ちくぼんだ鳶の目は、この世の全てから興味を失ったように濁っていた。


 肩を緊張させる俺とは対照的に、女はそれほど驚いた様子もなく「客かい」と低く漏らす。あまりに低くて、聞き逃すところだ。


「あ……客というか」己の挙動に誤解を招きそうな響きがあることに気付き、俺は口を噤む。ぎょろりと睨まれ、決して空き巣なんかではないのです、と早口で弁明する。

 籠の三光鳥が主の帰還を宣言するようにキョイキョイ高らかに鳴いた。どうやら、このぼろを纏った女が、この穹廬の主である例の占術師らしい。確か、落ちぶれた女巫だとか。


 俺は彼女の身なりを上から下まで眺めては一人で納得する。ひょろ長い枯れ木が口をきいたらきっとこんな感じだろう。

 女は立ち尽くす俺に一瞥くれ、すぐに興味が失せたようだった。足が悪いのか、暗い椅子まで向かう足取りは不揃いで重い。彼女の淀んだ視線の先には、緩い笑みを浮かべた若者がいる。


「祭祀は、もう終わったの?」


 懐っこい調子で話しかける情報屋。女は一度歩みを止め、苛立ちと不愉快を乗せて鼻を鳴らす。「騒がしくて、途中で帰ってきた」


 そうかい。軽い笑みをつくったかと思えば、若者は地面を踏み、長らく陣取っていた席を譲った。顔が全く似ていないことにさえ目を瞑れば、二人は年の離れた姉弟に見えなくもなかった。

 一人掛けの椅子に腰を落ち着かせた女巫は、垂れる長髪を避けることなく頭を擡げる。正面から見れば、尚のことやつれて見えるこけた頬。目の下の隈は、もう長い間そこに深い影を刻んでいるように思えた。



「何か用かい」吐き捨てるように訊ねられ、俺は我に返る。骸骨に話しかけられたような気分になり、うなじが粟立った。



「いや……何か用があった訳では……」正確には成行きで情報屋と話し込み、勝手に居座っていただけである。「そろそろ、お暇させてもらおうかと」


 不意に、若者がぱんっと掌を打ち鳴らした。俺の逃げ腰な語尾が破れる。眉を顰めれば、彼は悪戯が成功した子どものような笑顔を浮かべ、身体を傾けた。


「もうじき日が暮れるけれど」


「ああ……」だから帰らねばまずいのだ、と。俺は外が見えるわけでもないのに、垂れ幕の出入り口へ視線を投げる。

 すると、目の前がいきなり点滅したから驚いた。見回せば、彼が穹廬の灯りに火を入れたらしい。若者の左手から躍る炎が、釣り下げられた錆びた照明に次々と燃え移る。



「せっかくここまで来たんだ。――文字占いでもしていかないかい?」



 幕の薄暗さは一瞬で、真昼のような明るさに塗り替えられた。古ぼけた幕壁が薄紫色に浮かび上がり、地面に長い影をつくる。油臭さがつんと鼻を刺す。

 夕昏の薄闇に目を慣らしていた俺は、ぱちぱちやってから耳慣れない単語を舌で転がした。「文字占い……」


 俺と彼、そして女占術師の間には、腰ほどの高さの四角い台が据えられている。話している間はさして気にしていなかったが、厳めしく装飾的で、年季が入って汚れていた。

 台上は盆のように縁がつけられ、真っ白い砂が恭しく一面に敷かれている。


「そう」若者は嬉々として語り出した。「扶鸞(フラン)と呼ばれる占術の一種さ。霊を降ろして文字を書かせ、そこから神意を読む。だから、文字占いっていうの」


 すなわち、交霊術である。こっくりさんの仲間だろうか。生憎信憑性の低いオカルトの類は得意ではない。

 ゆらゆらと灯りが舐める白砂を眺めながら、「それ、俺がやる意味があるのか?」と小声で訊ねる。相も変わらずこの情報屋の意図は読みにくい。正直、そんな胡散臭い占いをやるより、早く街に戻りたい気持ちの方が大きかった。



「興味がない?」若者が台の傍に寄り、微笑む。まるで、俺の内面を全て把握しているかのような薄い笑いだった。「君には必要だと思うけどな。何か知りたいことがあるだろう? ……次に何をすべきか、占に訊くのも悪くない」


「……」



 てっきりコウキに関することを言っているのかと思えば、彼が念頭に置いているのは俺が光を探していることらしい。断る理由を考えていた俺の唇は、やがてぴたりと結ばれる。思いがけず、若者の言い分には訴求力があった。

 道標たる三光鳥といつ再会できるのか分からない今、光を見つけるために何をすべきか自力で考えねばならない。手掛かりになる材料はひとつでも多いほうが良かった。かといって、占卜などと言う信頼性の低い呪術を頭から信じる気にはなれなかったが。

 ため息をつき、差し当たって訊ねてみる。「すぐに占えるのか?」


「もちろん」自信たっぷりに頷く若者。実演販売のように張り切った様子で「ここに砂盤があります」としなやかな腕を広げた。



「手順は至って単純さ。霊媒になった術者は、鸞の僕である“霊”を呼び出す。桃の木筆を使い、霊の通信に従って砂上に文字を書く。筆記者がそれを紙に写して“詩”にする。それだけ」


「詩? ……その詩を読むだけで、神意が分かるのか」



 俺は半信半疑だ。肉体に“霊”を憑依させるなどという心霊現象。身も蓋もない言い方をすればただの自己催眠である。そんな疑似科学的な方法で本当に将来のことが占えるのか、甚だ疑わしかった。

 未だにこの世界で魔術と科学が同列の存在であることを認められないのは、俺の悪癖かも知れない。性懲りもなく懐疑論にしがみつく。

 若者はそれ以上説明する気もないらしく、やってみりゃ分かると言わんばかりに女巫に一目くれた。「占えるかい」


「金」女は獣のように唸る。「金はあんの」


 反射的に懐に手を突っ込む俺。すぐさま、今回の旅で金銭の類を管理しているのが翔であることを思い出し、顔を強張らせる。そっと空の掌を外気に晒し、首を振った。断る言い訳が出来たな、と溜飲を下げながら。

 しかし、そうは問屋が卸さない、と言ったところか。何か鈍く光る物が宙に放物線を描いた。ぱしりと受け止めた女の手の中にあったのは、皇国の錆びた硬貨である。投げた張本人である若者は、悪戯っぽく目配せする。


「僕が払うよ」


 それでいいだろ? と。……どうやらこの情報屋、どうあっても俺に文字占いをさせたいらしい。凝然としていると、鈍色の銅銭を手の上で転がした女は、さして訝る様子もなくそれを仕舞い、椅子から腰を上げた。

 そうして、台の下から木を組んだ祭具を取り出す。アルファベットのYの形をして、その一端に、桃の木筆が固定された奇妙なものだ。持ち手であろう柄は二股に分かれ、片一方には麻紐が括られている。女は俺に向かって乱暴に手招きした。


「こっち来い」不思議な形状の道具を振り翳す。愛想は良くないが、急にてきぱきし始めたのは彼女なりの商売モードなのかもしれない。「扶鸞やんだろ。もたもたすんな」


「……」


「やらないの?」


 背後に立つ若者は含み笑いも隠さず、どこか挑戦的な目つきだ。俺は仕方なく、というより相手のやる気に流されて「やるよ」と嘆息する。やればいいんだろう、やれば。

 ただ、とっとと終わらせて貰わないと困る、と日の傾きを気にしながら言った俺の言葉は、ちゃんと彼らの耳に届いただろうか。




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