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明後日の空模様 長遐編  作者: こく
第十四話 夏至祭
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「妹を? ……何か訳がありそうだな」


「……」



 翔が、俺に目配せしている。分かっている、とゆっくり瞬く。何の面識もない相手にどこまで話して良いものか……線引きは重要だ。

 この俺にそっくりな男は、遥か西大陸のイダニ連合国から来たという。警戒すべきだ、と閉ざしかけた心に、落ち着いた言葉が滑り込む。


「ここで会ったのも何かの縁だ……まあ無理にとは言わないが、もしかすると君たちの力になれるかもしれない」


 話してくれないか、と穏やかな声音が続き、悩み、最終的に俺は首を縦に振ったのだった。冷静に考えてみれば、秘密にするほど大袈裟な話でもなかった。

 俺と翔は代わる代わる、光が奴隷商人に攫われてからのここ数か月の経緯を大まかに説明する。念のため、俺たち兄妹がどこから来たのかは伏せたまま、だ。


「ふむ……」話を聞いたコウキは顎に指を滑らせ「それは災難だったな」と顔を曇らせた。


「奴隷狩りに誘拐された人間は多い……スラギダ王国にも人身売買の文化が浸透している。東西大陸中の大勢の中からたった一人を探し出すのは、簡単ではないだろう」


 ああ、と漏れる息。懸念していたことが現実となってしまった。この広い孑宸皇国ですら持て余しているというのに、西大陸にまで捜索する範囲を広げなければならないとは。

 気が遠くなって項垂れた俺と翔に、彼は窘めるよう手の平を向けた。鱗のない、綺麗な手だ。



「まあ、躊躇していても仕方があるまい。今こうしている間にも、どうなっているか分からないからな。――良ければ俺も、力を貸そう」


「いいのか?」



 思わず声を高くしてしまう。驚きとともに、彼がここまでする理由は何だろうと疑念が湧いた。顔と名前が一致しているというだけで、俺たちは全くの初対面だ。何かメリットがあるとは思えない。

 訝る俺たちの腹を察したか、コウキは口元を緩め、開く。「人を助けるのが俺の使命だからな。困っている人を放って置けるものか」と。


 その朗らかな口調には微塵の濁りもなく、いっそ晴れやかなほどだった。コウキの目に嘘はなかった。

 俺たちは一瞬でも彼を疑ったことを恥じる。心はすぐに決まり、参考になるかもしれないからと光の名前や容姿、年齢といった詳細の情報を手短に伝えておいた。

 コウキは一つ一つ頷きながら聞き、トキヤヒカリ、と口の中で繰り返す。そして、向こうで見かけたならば保護して君たちの元へ送り届ける手配しよう、と力強く約束した。向こう、とは西大陸の、遠い彼の国のことだろう。


「……ところで君たちは、どこに住んでいるんだ?」


「俺たちの家は、夕省の長遐の山岳にあるよ。ずっと向こうの、西よりも西」


「あんな辺鄙な場所に……? たった二人で?」コウキは眉を顰める。


 ううん、と首を振った翔が「仙人と暮らしているんだ」と笑み崩れた。白狐さんのことを思い出したのか、嬉々とした色が垣間見える。

 コウキはほんの一瞬意味有りげに眉を持ち上げ「仙人か」と呟き、交互にこちらを見つめて首を捻ったが、その言葉を口に出すことはなかった。

 代わりにずっと口を閉ざしていた付き人の若者が、見計らったよう彼に耳打ちする。「あの……コウキ、そろそろ行かなきゃ」


「……そうだな……」


 コウキは太陽の位置を確認して同じた。足を一歩後ろに退いたとき、思い出したかのようにふと顔を持ち上げる。その視線はやや躊躇いがちに俺をなぞった後、翔に向けられた。


「……二人ともネクロ・エグロか」


「う、うん。そうだけど」


「君は」怪訝そうな翔を、コウキの奥ゆかしい声が遮る。「随分と強い力を宿しているようだな。風のスコノスか?」


 何故わざわざそんなことを言ったのか不可解だが、一目で相手の強さや属性が見抜けるのかと俺は感心した。あまり嬉しくなさそうな顔をしながらも「えへ、鋭いね」と小さくはにかんで見せる翔。一瞥し、コウキはくすりと笑みを落とす。


「気分を害したのならすまない。気にしないでくれ。癖のようなものだ。……二人は友達か?」


「うん、友達だよ」


 俺が口を挟む余地もなく即答する翔。その単語に居たたまれなくなった俺は、行儀悪く足先を動かす。

 俺と翔が友達と呼べる関係なのか、あまり考えたくなかった。しかしそれは今言うべきことでも、ましてや翔に直接伝えるべきものでもなかった。

 コウキは何だか微笑ましそうに目を伏せ、そうか、と短く言う。それは何よりだ、と。それから胸に手を当て、丁寧に会釈してみせた。慇懃なようで隙のない、手慣れた立ち居振る舞いだった。



「さて、俺たちはそろそろ失礼しよう。……行くぞ」



 呼ばれた若者はこくりと首を振って、片方の脚に掛けていた重心を元に戻す。飽きて退屈していたらしい。

 最後に念押しのよう「君の妹を探す件は任せて欲しい。微力を尽くさせてもらう」と歯を見せたコウキは、やはり、この俺から若干目を逸らしていた。落ち着いた言動をしているだけに、その違和感は大きかった。

 何故、彼の凡庸な眼差しは時に彷徨い、俺を避けるのだろう。



「……あ」



 素早く踵を返すコウキ。咄嗟に俺の喉から声が滑った。それは意図して発したものではなく、熱い物に触れたときの脊髄反射に近かった。

 去り際の耳は過敏にそれを捉えたらしい。コウキもまた、ほとんど反射的にこちらを振り返る。

 何をどうしようという考えがあった訳ではない。もう一度その顔を見たかったのだ。――いや、違う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。

 次の瞬間、俺は叫び出しそうになった。

 ああ、どうしてお前は俺を見る度、子どものように怯えるんだよ。



「……っ……ごめん。何でもない。妹のこと、協力してくれて本当にありがとう」



 脳内を駆け巡った熱い激情は瞬く間に消え失せ、代わりに俺の口から絞り出されたのは掠れて聞き取りにくい、ぼそぼそとしたお礼だった。いつもと変わらぬ己の声。張り詰めた空気が緩む。

 コウキはすぐに優しく目を細め、頼もしく首肯して、そして今度こそ颯爽と踵を返した。先程垣間見えた臆病な色は嘘だったかのようだ。

 次は俺も引き留めなかった。掛けるべき言葉を知らなかったと言ってもいい。俺と同じ目鼻をした男とその付き人は連れ立って、あっという間に道の向こうへと歩き去っていった。まるで俺たちから逃げるように、早足で。



「……」



 並んだ二人の背中が見えなくなる。その途端、周囲の音も風の匂いも戻ってくる。取り残された俺と翔はしばし呆然と佇み、この数分間の衝撃の余韻に浸った。今の、嵐のような出来事は何だったのだろう、と。

 まるで夢から覚めたような心地。コウキの姿が見えなくなったことで俺たちはそれまで足場にしていた現実味をすっかり失い、ただ一挙一動を各々の脳内で反芻する他ない。彼に抱いた印象を、この奇妙な体験をどう表現するべきか、俺たちは分からない。


 随分長く黙った後、翔が小さく「何だ今の」と唇を動かした。軽く放心しながらも、弾ける面白おかしさを堪えたような言い方でもあった。そして魂が抜けたようになっている俺に声を掛ける。「大丈夫か?」


「ああ……まあ」


「さっきはどうしたんだ。何か気になることでもあったのか?」


 俺は気になることだらけだけどな、とお道化て見せる相棒に、作り笑いも返せない。俺の困惑した眼差しは、ただただ彼らが消えていった道の向こうに惹き付けられていた。磁力に引っ張られているかのように。

 俺の頭はコウキのことで一杯だった。最後に垣間見た彼の表情が幾度となく脳裏を過り、その度に走る痛みが心臓を突き刺す。



「……」



 俺はあいつに、何か言わなくてはいけないことがあったのだ。何か……言わなくてはいけないことが。思い出せない胸の苦しさに顔が歪んだ。喉につかえた塊を吐き出したくて呻く。

 あいつは俺を怖がっていた。何故だか分からないが、目が合う度に酷く怯えていた。

 もちろん、自分と同じ容姿の男と遭遇したことに関しては同情する。訳の分からない恐怖を感じるのは当然だ。しかし……あの顔はまるで……。


「皓輝?」


 無意識に靴の爪先で地面を引っ掻いていたらしい。足元が浅く抉れていた。俺の異変に気付いた翔が、心配そうに顔を覗き込んでくる。細くなったその呼びかけにはっと我に返り、唇をきつく噛んだ。

 得体の知れない焦燥感が波のようにすっと引いていく。徐々に鼓動が鎮まっていく。鈍い痛みだけが胸の奥で尾を引いていた。

 俺は誤魔化すようにどうにか口角を上げる。「世界には」


「え?」


「世界には、自分に似た奴が三人いるらしい」


 あいつは、その一人目ってことなんじゃないか、と。恐らくそうじゃないと思いつつも、気を紛らわせるのにはもってこいの都市伝説だ。翔もそうかぁと間延びした口調で笑い、その隙に俺はため息をつく。

 安堵のような、倦怠のような、ぐちゃぐちゃと濁った感情に押し流され、倒れてしまいそうである。

 気付けば背中は嫌な汗でぐっしょり濡れ、冷えて張り付いた衣類が不快だ。皮膚にべたつく。深呼吸をし、もう少し休んでいいかと言えば翔も賛成してくれた。


「……なあ皓輝、覚えているか? 俺たちが七星(チーシィン)に、イダニの密偵と間違えられたときのこと」


「ああ……」


 水場の溜まりに手を浸していた俺は、ため息混じりに声を吐き出す。


「そんなこともあったな」


「あいつらの言ってた奴って、もしかして今の人なんじゃないかなぁ」


「今の……? ああ、例のそっくりさん」


「そうそう」


 軽快に頷く翔。俺は目を閉じて記憶を掘り返してみる。

 あの七星(チーシィン)が以前、涼省の港で見たという敵の顔と名前が、俺と一致していたこと。そして今出会った、イダニ連合国から来たというコウキのこと。なるほど、確かに考えれば考えるほど辻褄が合う。

 ただ、偶然とは思えない共通点を持つ俺たちが、“偶然”この場で鉢合わせしたことは疑問として頭に留めておかねばならないような気がした。この広い世界、互いが意図せず巡り合う確率など数字にすれば奇跡と言っていい。こんなことが偶然起こり得るのか?

 ……ああ、いよいよもってドッペルゲンガー説か、バイロケーション説が有力になってきた。頭が痛い。

 青い目をうっそり細めた翔の感嘆は、それ以上の俺の思考を遮った。


「……すごく、よく似ていたな。気味が悪いくらいに」


「……」


 その感想に異論はなかった。俺とあいつは双子のように、見分けがつかないほど似ていた。似すぎていた。ドッペルゲンガーと言っても過言ではない。でもさぁ、と続けた相棒の声に耳を傾ける。



「でも?」


「あっちの方が、ちょっとイケメンだった」


「聞かなきゃ良かった」




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