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明後日の空模様 長遐編  作者: こく
第十四話 夏至祭
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 ひゅっと吸った息がすぐに肺から追い出される。手足が萎えて、動かない。俺の目は抗うことの出来ない引力によって、どこからか現れたこの男に釘付けになっていた。


 相手の方もまた、驚きとやや怯えの色を浮かべて俺の顔を見た。のろくなった革靴の歩みが止まる。不穏な気配に足が竦み、これ以上の接近を拒んだかのように。

 言葉を失った口を半ば開き、男は、え、とも、あ、ともつかない微かな呼気を吐き出した。

 前髪のせいでやや影の入った顔立ち──唇の薄さから鼻、耳の形まであまりにこの俺と似すぎた彼は、長い長い沈黙の中唖然と立ち尽くしている。距離にして三メートルもないだろう。


 その顔と向かい合えば、まるで鏡面を眺めている気分にさせられた。ほとんど同時に頬を引き攣らせ、俺たちは呼吸をも忘れて互いを見入っていた。



「――……」



 違う、と心の隅で気づく。彼は俺ではない。よく見れば、そっくりな彼の顔と己のそれに若干の相違を見出せた。

 こちらがたじろいでしまうほど澄み切った彼の双眸は、まるで朝焼けの空を瞳に閉じ込めたかのような──そんな陳腐な比喩が似合うほど、荒んだ現代社会が失ってしまった何かを凝り固めた結晶のようだ。爬虫類だ何だと散々気味悪がられた俺のものとは、明らかに違う。

 しかし、それだけだった。それさえ除けば俺と彼の姿は背丈や表情まであまりに瓜二つで、不気味を通り越して神秘すら感じた。


 長きに渡る無音は俺を軽い酸欠状態にし、徐々に白む視界には彼が全く同じ面差しでこちらを凝視しているのが映る。

 ああ、と俺は内心で声を漏らした。不思議と恐怖は感じなかった。



「……い」おもむろに沈黙を破ったその男が、掠れた声を絞り出す。「おい」


「……」



 初めはそれが誰に向けられた言葉なのか分からない。呆けたように棒立ちする俺から視線を外し、彼はもう一度厳しく呼びかけた。「何をしているんだ」と。


 びく、と肩を跳ねさせたのは、手前にいた若き奴隷商人である。

 もっとも、俺は今の今までその存在すら忘れていたのだが――若者は少しばかり背筋に緊張を走らせ、弁明しようと幾度か口をはくはく開け閉めする。やがて諦めたのか、蚊の鳴くような声で「何でもないよ」とだけ言った。

 あの眼差しが彼をひと睨みする。それが合図だったかのように若者はすっと身体を滑らせ男の後ろに控えた。若者はこの男の付き人らしい、ということが何となく察せられた。


 俺と同じその顔は付き人を、地面を順に追い、最後にこちらへ向き直る。目が合えば再び動揺の色が浮かんだ。

 彼は明らかに困惑していた。平静を装いつつも何かの拍子にボロが出てしまう仕草までこの俺にそっくりで、己の虚像を見ているように錯覚される。



「あの……」ちらりと付き人を見てから、意を決したように男は口を開く。一つ一つ言葉を選んだ丁重な声で。「うちの者が、何か失礼な真似を?」


「あ、いや……」



 思わぬ折り目を覗かせる彼に、俺の声も上擦る。何度か唾を飲み込み、どうにか「問題ない」とだけ伝えた。むしろ、この奇妙な一致に巻き込まれた若者の方が可哀想だった。


「ならいいのだが……」


 再び下りる沈黙。皆の視線が泳ぐ。共通の感情や疑問が渦巻くのに、誰一人としてそのことを口にしないのが尚更不自然だ。

 竹筒から流れ落ちる水が、地面で砕け散る。誰も彼もが、この居心地の悪い空気を打破してくれる何かを待っていた。


 結局、またもや気まずさを破ったのはもう一人の俺だ。遅かれ早かれ誰かがやらねばならないことだった。

 このまま無為に時間が過ぎるのを良しとしなかったのかもしれない。かといって、素っ気なく立ち去るほどこちらに関心がない訳でもなさそうだ。



「……名前を」彼はかなり躊躇いながら続ける。「訊いてもいいだろうか……?」


「え?」



 唐突な問いに、俺たちは戸惑った。こちらを窺う瞳は曇りなく、やや落ち着きなく左右している。

 何故、と言いかけた口を俺は閉ざす。男は未だに挙動不審を隠しきれておらず、名を訊くことに何か深い意図があるようには見えなかった。俺は唇を結んだあと、ゆっくり開く。


「……皓輝だ」


「は?」


「皓輝」


 滑稽なほど愕然とする男。眼窩を見開き、その中を電気のような驚異が走っている。俺の名前が彼にとってどれだけの威力を持つものだったのか、俺には分からない。しかし、次に彼が発した言葉は確かになかなか衝撃的だった。



「俺の名前もコウキだ」と。



 誰もが言葉を失う。引き攣れた静寂に、俺はぽかんとした後、一周回って馬鹿馬鹿しくなってしまった。

 ここまで一致するともうたまたまではなく、胡散臭いオカルト紛いの言葉を信じてみたくなる。例えばドッペルゲンガーだとかバイロケーションだとか、そういった”己の分身”というものを。

 彼はすぐにはっとした表情になり、俺の目を見て丁寧に詫びた。


「いや、突然失礼した。あまりに似ていたので、つい……」


「そうだな」微かな笑いを含んだ小声で、翔が口を挟む。「確かに、似すぎだ」


 皓輝とコウキ。同じ顔、同じ背恰好。偶然と呼ぶにはあまりに出来すぎだろう。この巡り合わせがもたらす衝撃の大きさを、口で説明するのは不可能だ。俺の分身はちらりと翔に目線をやる。「君の名前は?」

 自分に水が向けられるとは思ってなかったのか、翔は「え? 俺?」と素っ頓狂な声を上げ、しばらくしてから「翔だ」と名乗った。


 コウキはただ、そうか翔か、とだけ言った。興味があるのかないのか分からない、平坦な低調だった。

 彼は「君たち二人は旅人か?」と続けて訊ねる。若干、冷静さを取り戻したようだ。少なくとも表面上は。

 そしてとりあえず、互いの容姿や名前にこれ以上言及することは避けたらしい。コウキに視線を固定したままの俺に代わり、翔は首肯した。


「うん、そう……夏至祭に来たんだ」


「そうか……」


 無難な答えである。傍から見ればえらくぎこちないコミュニケーションだが、実際コウキを前にすると鏡の中の自分自身と会話しているような感覚に囚われ、気味が悪いのか笑っていいのか分からなくなるのだ。

 そして恐らく、そんな錯覚は俺だけのものではないだろう。コウキは目線を泳がせ、極力俺の顔を見ないようにしていた。


「あんたたちも、火陽に?」顔を強張らせたままの翔が、どうにか話を途切れさせまいとする。コウキはかぶりを振った。


「いや……俺は奴隷を買いに来たんだ」


「奴隷を?」


 翔は、それじゃ俺たちと同じだと僅かに語調を明るくする。楽しい話題には程遠くても、続ける価値はあるように思えた。俺は、彼に興味がある。

 同じか、と呟いたコウキが複雑そうな表情をして見せたのを俺は見逃さない。それはとても親近感の湧く面立ちだった。


「俺は……ただ奴隷を買っているのではなくて、買った人々を可能な範囲で自由にしているんだ。奴隷と言う身分から、な。まあ、金にはならんが、慈善活動みたいなものだよ」


「それは」立派なことだな、と軽い驚きを交え、皮肉にならないように呟く。いくら安価な奴隷のこととて、容易なことではないだろう。


 今日で奴隷市の胸糞悪さにうんざりしてしまった俺は、“奴隷を助ける”という彼の素朴かつ倫理的な心意気に感心し、その行動力がとても好ましいものに思えた。


「珍しいことをするんだなぁ」翔は曖昧な表情をする。その裏にあるのは、奴隷制度が深く根を張り、綺麗事では払拭できない現実的な重みである。


「個人でやっているものではない。仕事の一つだ。大したものではないさ」


 首を捻った翔に、コウキは微笑みながら謙遜する。表情が緩むと、雰囲気が柔らかくなった。核心を突かせず上手く躱してしまうのも彼なりの配慮を窺わせる。


 俺は「そんな仕事が成り立つのか?」と疑問をぶつけてみる。不躾だろうか、完全な興味本位だ。コウキは少し考えた後、「……東大陸では無理だろうな」と言った。


「じゃあ、あんたは西大陸から来た訳か……」にわかに信じられない様子で翔が首を捻る。


「ああ」


「スラギダ王国から?」


「いや……違う」


 彼の口調に僅かな逡巡が生じる。その意味に何となく勘付いた俺たちは、黙りこくってコウキの姿を再三に渡って眺め回した。

 その顔立ちが俺の生き写しであることは最早説明する必要もないが、銀の装飾が煌めく革製の服は異国的な情緒が漂い、膝丈まである革靴は明らかに東のものではない。逞しく陽に灼けていながらも、地の色であろう黄味がかった皮膚の色素は皇国民のそれと判別つかなかった。

 俺は少し前の翔の言葉を思い出す。「孑宸と対立しているのは、陽国よりも北方の連中だ」と――。



「これ以上は」真っ先に機転を利かせたのは翔だ。「訊かない方がお互いのためになるかな」


「ああ、そうしてくれると助かる」



 コウキは強張りを崩し、本心が読めない微笑で安堵して見せる。


「天に懸けて誓うけど、俺たちは世捨て人だから、東だ西だと拘るつもりは毛頭ないよ」


 右手を上げた翔に、彼はそうかと短く応えた。敵意がないことを示したのは賢明である。と同時に、隙のある翔の発言がどう受け止められたのか不明瞭だった。

 とにもかくも俺と同じ名を持つこの男が、西大陸のイダニ連合国――所謂"敵国"から来たことは截然たる事実で、言動に気を遣うに越したことはないだろう。

 相手の目に俺たちがどう映っているのか、こちらからでははっきりしない。


 ただコウキはさして気にした風もなく、最初に対面したときよりも随分慣れた調子で訊ねてくる。「君たちも奴隷を買いに来たのだったか」


 ……いちいち気にしていたら切りがない。俺は頷き、「妹を、探しに」と紡いだ。彼が奴隷を買う理由を言ったのだから、こちらも言わねば不平等だった。

 コウキが片眉を上げて興味を示す。



「妹を? ……何か訳がありそうだな」




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