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明後日の空模様 長遐編  作者: こく
第十四話 夏至祭
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 孑宸皇国の南方、凉省(リョウショウ)の省都にして商人の都市「安居(アンイ)」――。東大陸の南西端に栄える海港から扇状に広がり、人口はさることながらその規模も他の省都の比ではない。

 元々東と西の中継点である凉省自体、孑宸皇国の商業の中心地として古くから華めいていた。その首都である安居はこの国で唯一外国との貿易が公的に許された都市で、希少な砂糖や穀物、硝子などがここから輸入されている。

 南蛮貿易や国内の商取引で財を成した大商人は、さながら貴族のような生活をしているらしい。



 青く突き抜けるような晴天。湿った熱気の行き交う雑踏。隣を歩く翔が、辺りを見回しながらそわそわと呟く。「さすがに、賑わっているなぁ」と。


 当然だ。俺たちは、年に一度の夏至祭、通称〈火陽(カヨウ)〉の真っただ中にいる。大都会とも呼ぶべきこの都市の大祭ということで、都市民とも観光客とも巡礼者とも判別つかない人々が石畳の通りをちょっとした過密状態にしていた。

 その間を縫うよう、俺たちは市城門に通ずる街路を歩いている。

 広々とした大通りの両端は、美しいぼんぼりのついた青紫の吹き流しが列をなして釣り下がり、〈火陽〉で賑わう街を一層華やかに彩っていた。

 飾り紐に結わえられた丸い鹿角細工が風に靡く度からからと快い音を鳴らす。どこかで焚かれる香木の煙も芳しい。



 俺と翔が馬と共にこの安居に到着したのはつい先ほどだった。六日間に及んだ強行スケジュールの終焉である。

 想像以上に気の抜けない旅路の末、省都の市壁がようやく見えたときは安堵と脱力が込み上げた。

 しかし感慨に耽る暇はない。奴隷市はもう既に始まっている。

 人が最も集中する南広場の正午の祭祀には目もくれず、運送組合に貸し馬を返す手続きを終えた俺たちは、一度入った都市の外に出ようと門を目指している途中だった。

 大奴隷市はその会場の大きさゆえに都市の外で行われているのだ。既に取引や売買が行われているだろうから、急がなければ。




***




「うわ……」



 人の流れに沿って東の市門から足早に外へ抜けたとき、俺は目の前に広がる異質な光景に口を開けてしまった。

 ごちゃごちゃとした安居の市壁の内側とは打って変わった開けた景色。まるで牧場のようだ、という感想が浮かぶ。

 刈り入れの終わった広大な麦畑の上に幾つもの四角い囲いが作られ、その間を縦横無尽に通路が走っている。狭い柵の中にひしめき合っているのが一体何なのか考えるまでもなかった。

 ――人、すなわち奴隷である。


「真ん中の方に広場が見えるだろ」


 門の階段の上で立ち止まった翔が、麦畑を指さした。

 目線の先を辿れば、確かにこの奴隷市の中央付近に広場と呼べそうな円状の空間がある。更に奥には丁度サーカスのテントのように巨大な白い円蓋がどっかり入り口を構えていた。


「あの中で競売をやってる」


「競売?」


「そう、質の良い奴隷や赤ん坊は競りにかけるんだ。特に顔の綺麗な奴隷は色んな階層の人が欲しがるからな」


「……」


 一瞬言葉を失った俺は、どうにか面白い切り返しをしようと「人間オークションか」と呟いたが、思った以上に胸糞が悪くなるだけだった。

 人が人を売り買いするという場景に現実味が持てなかったし、それが公然と行われていることが信じられなかった。


「こうやって広々とした場所に奴隷市を開けるのは夏至祭だけ。まあ商人は稼ぎ時だし、庶民への大規模な見世物みたいなもんさ……」


 翔の口調は淡白で割り切っている。感情に蓋をしたような言い方だった。


「そういうものか」


 行こうぜ、と翔に促され広大な麦畑に下りていった俺は、歩きながらきょろきょろと首を回す。そして少しも経たない内に、奴隷市と聞いて漠然と浮かぶイメージとはかなり違うものであることを理解する。

 今日という日のため特別に設けられた大奴隷市会場は、明るい日差しの中、活気に満ちていた。奴隷商人と思しき身なりの男が、道行く人々に威勢のいい客引きをしている。

 通行人も、特に変わったところのない老若男女。木の柵の中に閉じ込められ、鎖に繋がれているのが人でなければ、野菜の叩き売りか何かと間違えてしまいそうだ。


「すごいな……」


 胸中のもやつきを抱えたまま、苦し紛れに感心する。周囲の朗らかな空気感に、俺は少なからず面食らっていた。


「奴隷市場ってこう、もっと暗い雰囲気のものだと思っていた。裏取引というか、じめじめして、おどろおどろしくて……」


「何でだよ」と翔。「それじゃ客が来ないだろ」


「確かに」


 一応納得しつつ、落ち着きなく視線を走らせる。

 あちこちに組まれた囲いの中、整然と陳列された大勢の奴隷。人々の品定めの目に晒されているそれが“商品”と思うと、喉に何かがつかえたような苦しみを覚える。

 不気味だった。後ろめたさを感じさせない、この空間が。


「……翔」誤魔化す訳でもないが、俺は小さな声で、自分よりも相棒の心配をしてみる。「大丈夫か?」


 幼少の頃、奴隷商人に人生を踏み躙られた翔がこの場で平然としていられるとは思えない。帰化人である翔は、かつて異民族(フアン)狩りに遭い、家族を喪った。



「……」



 返事はなかった。翔は歩きながら、周囲の景色を眺めている。ああ――と声を出しそうになる。その横顔を見て初めて、俺は確かに翔が異民族(フアン)の血を引いているのだと悟った。

 白茶けたような薄い髪色、影の落ちた目元、頬から唇、顎までの骨格。山暮らしゆえ、普段は気付かないその顔立ちに、どこか違和感を覚える。道行く人々とは異なる佇まい。――そう、どちらかといえば翔は、柵の囲いの中にいる人々に近い面影を見え隠れさせていた。

 心持ちどこか強張った表情で辺りを見回している横顔は、喉にものが詰まったように何かを言いたげで、しかし何も言い出せないまま口を結んでいる。


 問いかける言葉も浮かばず、黙って前を向いた。柵に囲われた奴隷の人々の顔を、はっきりと視界に入れるのが憚られた。

 斯く言う俺も、他人事ではないのだ。この文明世界に来た最初の晩、俺は奴隷狩りに遭遇した。もしかすると俺も、彼らのように鎖で繋がれ、白狐さんや翔に出会わないまま今でも柵の中にいた可能性が充分ある。

 彼らと俺たちの明暗を分けたのは、一体何だったのだろう。もしそれがただの運という一言で片づけられるのなら、それがこの世の条理であるというのなら――投げやりな気持ちにならなくもない。同情が何の役に立つというのか。

 逸れていた俺の意識を翔が呼び戻した。「おい」


「ん、な、何?」


「何、じゃないよ。光を探すんだろ? あんまりぼやぼやしてると見落とすぞ」


「ああ……そう、だったな」


 我に返り、改めて首を持ち上げ周囲を見回した。

 俺たちは丁度中央広場までさしかかっている。市場は端から端まで数百メートルはあろうか。圃場数個分に相当する広さだ。おまけに客も奴隷も多い。周回するのは時間が掛かるだろう。


「この中から探すのか……」


 光を……と付け足す自分の声は既に覇気がない。俺たちが通り過ぎる柵の中にも、脚に枷を掛けられた無数の奴隷が自由を奪われ佇んでいる。

 一つの囲いに二十人はいるとして、この市場には一体何百人の奴隷が売り出されているのか。その膨大さに気が遠くなる。

 言うまでもなく、俺は長時間ここに留まりたい気分ではなかった。家畜のように繋がれた人々が沈痛な面持ちで俯いたり、客の目を引こうと愛想笑いを浮かべている光景を見ると、鉛を飲まされている気分になる。

 翔が前方を指さした。


「ほら、あれ。あの案内に沿っていけばいいんじゃないか?」


 十字路に突き立てられた細長い看板に翔が向かっていく。俺は立ち止まり、通路をすれ違う行客たちに目をやった。

 通りすがりに奴隷たちを冷やかす者。足を止め、柵越しに値踏みをする者。商人を相手に交渉する者。媚びを売る男の声がやたら高く響く。

 俺が眺めている内にも、あらゆるものが同時に動いていた。道端へ連れ出された数人の女奴隷が、客と思しき小太りの男の前に並ばされている。雑踏の中、母親の後ろを付いていくネクロ・エグロの少女が、囲いの向こうにいる全裸の奴隷を指さして笑っている。

 その様子に何だかぞっとして後退すると、背中が柵にぶつかった。


 振り向けば中に立つ一人の浅黒い肌の少年と目が合う。他の奴隷がそうであるように、服はほとんど着ていない。痩せた首に下がっているのは値札だろう。はっとこちらの視線に気付くや否や、少年は勢いよく柵にしがみつき、そして囁いた。



「買って! 買って! 買って! お願い」



 え、と俺の口から戸惑いの呼気が漏れる。少年はぎこちない仕草で首の値札を俺に突き付け、恐らく内面の伴わない上辺だけの笑顔を必死に貼り付けていた。

 その泣きそうなほど息苦しい表情に俺は何も言えず、ただ口を開けたまま立ち尽くす。更に言葉を続けようとした奴隷の少年に、翔の声が被さった。


「おーい、皓輝?」


 ほぼ反射的に顔を向ければ、遠くの看板の傍らに立った翔が大きく手を振っているのが見える。通行人が邪魔そうな目をして通り過ぎていく。


「こっちだ。早く行こうぜ」


「あ、ああ……」


 呼び声に引っ張られるよう俺は柵から体を離し、後退った。少年から顔を背けたまま踵を返し、十字路に向かって駆けて行く。振り返る勇気はなかった。あの少年がどんな顔で俺を見ているか知りたくなかった。

 市場は幾つかの区画に分かれている。一口に奴隷と言っても用途や役割によって様々。中でも最も価値の高いものは競りにかけられ、高値で取引されるのだ。

 一方、信じられないくらい粗暴な扱いを受ける低価格の奴隷もいる。例えばネクロ・エグロとして力が弱い者、容貌や声など特に優れた点がない者、身体に損傷がある者、病気や老年の者――そして人間。

 俺と翔はそういった下級奴隷が並べられている主な場所を歩き、柵の中でひしめき合っている汚い集団の中から光を探し回る。


 これは想像よりも遥かに骨の折れる作業だった。価格の低い奴隷は、他の種類に比べて倍以上いるのだ。大人も、幼い子供も。

 加えて柵の傍に寄れば、自らを売り込もうとあの手この手で声を掛けてくる奴隷が少なくなく、更には強引に服や腕を引かれることすらあった。

 客に無礼を働いた奴隷が、見張りの商人に手荒く処罰されているのは見るに忍びない。解消できないなけなしの罪悪感が胸焼けを引き起こしていた。


 一度回るだけでは見落としがあるかもしれない、と俺たちは時間をかけて広い市場内をぐるり二周した。そして三週目の中途で遂に俺は具合が悪くなってしまい、その場にしゃがみ込んだのだった。



「うん? どうした皓輝?」



 立ち上がれなくなった俺に気付いた翔が近付いてくる足音がする。麦色の地面が地震のように揺れて見えた。

 少し疲れたらしい、と伝えれば、翔は周囲を見回して休めそうな場所まで行こうと肩を貸してくれた。




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