Ⅲ
両親がどうやって出会ったのか、俺は知らない。
父さんが若くして先代が設立した某保険会社の重鎮を務めていたのに対し、母さんはどこにでもいる平凡なサラリーマンの家庭で育った。彼女自身特筆すべき点のない地味な女性で、何か秀でた才がある訳でもなし。顔立ちも美人とは言い難い。
エリート的金持ちと小心者、この二人がどこで出会いどういった経緯で今の関係に至るのかいつも疑問だった。ただひとつ分かっているのは、両親の結婚は周囲にとってあまり歓迎されたものではなかった、ということだけだ。
「身分差の恋、ですか」
好奇心を覗かせる白狐さんに、俺は肩を竦める。もしかすると、かつての両親には俺の知らない壮大なロマンスがあったのかもしれないが、現実的な着地点を思えばそれほど楽しい話になりそうもない。
おおよそ何が起こったのか想像できるだろう。母さんの側はともかくとして、父さんの側の人間、すなわち保険事業で財を成した“刻夜家”が庶民である母さんの嫁入りを快く思うはずがなかった。
「でも、皓輝と光って結構いいとこの家で育ったんじゃないか。意外だ」
「成金みたいなものだよ」謙遜ではなく、本心からそう呟く。
「金持ちにも色々な種類があると思うが、残念ながらあの家は、金持ちの方でもかなり品のない種類の人たちだった」
己の身を飾り立て、見栄を張ることに腐心する祖母や親戚。幼い俺から見ても、余裕のない虚栄心に満ちた光景。
所詮は成金か。今でもそう思っている。年に数度連れて行かれる父の生家は煌びやかなばかりで、金メッキの安物を見ているような不快感があった。
特に、祖母と母さんは同じ女でありながら何から何まで違って見えた。貴婦人のような暮らしをする祖母と庶民の生活が身に染みついた母さんとでは、服装や化粧、立ち居振る舞いに趣味。どれひとつ取っても重なるところがない。
貧乏くさい女に息子を取られたのが面白くなかったのだろう。千年も前から人類が続けてきた姑の嫁いびりは、刻夜家でも実に典型的な形で始まった。俺が生まれる前の話である。
母さんを何から何まで小突き回し、重箱の隅をほじくるような祖母の粗探しと粘着質な人格否定は苛めと大差なかった。
俺の母親は我の強くない人だ。優柔不断で臆病な母さんは、新婚当初から刻夜家の言いなりだったに違いない。陰湿な彼女たちに言い返すだけの気概もなく、かといって離婚をする勇気もない。
肝心の夫は冷めた反応で、嫁姑の仲介に立ってくれそうにもなかった。結婚生活が三年目に突入し、いよいよ精神的に追い詰められたとき、俺が誕生した。
「──刻夜家にとって俺は鬼の首なんです」
俺は言う。念願の第一子。母さんが苦しんで生んだ子どもは誰にも似ていなかった。それどころか、人間というよりも化け物と呼んだ方がしっくりくる風貌をしていたのである。
刻夜家は態度を急激に加速させた。直截的に母さんを罵倒し、不義姦通まで疑った。その矛先は俺にも向くことになる。
酷いなぁ、と翔が顔を顰めたのが見えた。「大の大人が寄ってたかって」
「まあ確かに」
だが俺は祖父母の言い分が全て間違いとは思わない。今でこそ真っ当な人の顔になった俺だが、赤ん坊の頃はこんな可愛いものではなかった。
顔の大きさに対して眼球が大きすぎたし、皮膚のあちらこちらが乾燥して鱗状になっていた。俺を見た人間がぎょっと引いてしまうのも無理はない。俺自身、普通の容姿で生まれていればと何度願ったか分からない。彼らの素直な反応を責める気にはなれない。
問題は彼らが全ての責任を母さんに負わせたことだ。
「ただでさえ家庭には淡白だった父さんは、俺を見て完全に刻夜家の味方になりました。爬虫類のような赤ん坊が自分の子どもと認めたくなかったんでしょう。とにかく俺は絶好の餌だったんです、あの人たちにとって」
祖母たちはこぞって俺の存在を激しく非難した。刻夜家の恥だと罵った。守ってくれる人はいなかった。
──母さんを除いて。
理不尽な非難の嵐の中、母さんだけが俺を庇ったのである。唯一、ただ一人だけ。祖母たちとの関係が更に悪化することは必至だった。それでも母さんは俺を守ってくれた。
何も知らない赤ん坊の俺を抱いて、吐き捨てるような罵詈雑言をその背中で一心に受け止めたのだ。
何故彼女が俺と茨の道を選んだのか、今となっては分からない。初めて経験する子育てで苦労することも多かっただろう。母さんがどれだけのストレスを抱えていたか計り知れない。
その重圧も何もかも一人で背負い、気丈に育児も家事もこなした。だから俺はいつまでも無邪気なままだった。
愛を知った。愛されることを知った。手が好きだった。俺を慈しんでくれる暖かい、痩せた手が。笑顔が好きだった。美人でなくとも、笑った顔には控えめで女性らしい華があった。彼女が笑うと俺は幸せだった。
がらんと広く寂しい邸宅。優しい母親。それが幼い俺の世界だ。外出を控え、自宅に籠っていたのには理由がある。
立ち歩けるようになって間もない頃は、母さんに連れられ近所の公園などで遊んだものだが、見聞を気にした父さんがそれを嫌ったのだ。
いつのことだったか、ある晩父さんが母さんに向かってこう言っているのを聞いたことがある。
「わざわざ恥を晒して何が楽しいんだ?」と。
その日を境に母さんは俺を屋外で遊ばせなくなった。言葉の意味は分からなくても、いつも難癖をつけては母さんに悲しい顔をさせる父さんは嫌いだった。刻夜家の親類にも会うのが苦手だった。
幼さゆえの勘の良さか、彼らが自分を忌避していることを察していたのだろう。
俺と母さんが揃って外出するのは、決まって病院へ行くときだ。皮膚に部分的な奇病を抱えた俺は、幼い頃から皮膚科に通い詰めだった。
表皮が鱗化するという原因不明の奇病。一応の診断名はつけられたものの、実際俺の抱えた症状はそれに当てはまっていなかった。皮膚の乾燥、脱水、体温調節の不備による熱中症や冬眠、脱皮を思わせる表皮の脱落、そして異様に発達した眼球──不気味な病状に医者も首を捻ったことだろう。
治療法は存在しないと何度医者に説明されても、母さんは諦めなかった。幾度となく病院を替え、意地でも俺を正常な子どもにしようと苦心惨憺した。
そんな彼女の苦労も知らない俺は、見知らぬ人間にあれこれ身体を検査されるのが苦手で、診察室では始終母さんにしがみついていたものだ。
片時でも彼女と離れるのが嫌だった。幼稚園に入園してからは、毎朝玄関で愚図って母さんを困らせた。留守番なんてもっての外。いつでもどこでも、彼女の後ろにくっついていないと気が済まない甘えたな子どもだった。
だが、そんな無垢で幸せな日々もそう長くは続かなかったのである。




