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明後日の空模様 長遐編  作者: こく
第十話 吉祥の紐
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「兄貴、飲みすぎだよ……」


「飲まされ過ぎたんだ」


 頭がぐらぐらする。諫めるようにこちらを睨む光。眠気に苛まれ、敷物の上に身体を横たえた。目の前に広がる澄んだ春空と白い花群れ。眩しさに目を細める。

 唐突に吹いたそよ風が山桜の枝穂を重そうに揺らした。花びらが舞う。

 つられるよう顔を上げると、傍らにいる妹の目と視線が合った。その口が何か言いたげに口籠っている。俺は眉をひそめた。


「何だよ」


「別に、何でもないよ」


 ふいと視線を外され、歯切れの悪いこいつは珍しいなと思った。いつは余計なことまで偉そうに喋るのに、何かあったのか。いや、俺の知ったことではないな。

 早く白狐さんが帰らないかと裏口の方に目をやる。


「ねえ」


「何だ」


「兄貴は──あたしのことが嫌い?」


 唐突に訊ねられ、一瞬思考が止まった。やや遅れて、は? と声に出した後、振り返って光の顔をまじまじと見る。

 切り揃えられた前髪が風に吹かれ、眉間の皺が覗いた。そこには苦渋の色が滲んでいる。俺は多少なりとも面食らった。


「何だよ? 急に」


 思わず問い質すような口調になる。だから、と光は口の中で絡まった言葉をどうにか押し出した。


「兄貴は、あたしと一緒にいたくないの?」


「……当たり前だろ」


 質問の意図が読めないまま、俺は口を尖らせた。「一足す一は二ですか?」と仰々しく訊かれたような気分だった。

 そんな当たり前のことを──もしかしてこいつは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 常識的に考えて俺が光を好く要因がどこにあるというのか。一緒になどいたくないに決まっている。

 そう告げると光はぎゅっと口を真一文字に結んだ。ただ「そう」と応える。訝る気持ちはあったが、それ以上追及しても「別に何でもない」の一点張り。何だというのだ。

 やがて諦めた俺は身体を起こした。

 白狐さん随分遅い、と思う。

 見事な山桜の下、熟睡している翔の髪から花弁を摘んで除いた。妹と二人きりだとどうしても神経が尖るが、すやすや寝息を立てる翔を見ていると毒気も抜ける。


「戻りました~」


 しばらくして、新しい酒瓶を抱えた白狐さんが帰ってきた。おかえりなさいと言う前に、そんなに飲むつもりなのかと恐れ戦く。

 上機嫌な白狐さんは、履物を脱ぎながらさり気なく俺の方に視線を落とした。その何気ない表情が、一瞬ふっと翳ったことを俺は見逃さない。


「……」


 以前、俺が風邪を引いた時のことを思い出す。もしかするとこの人はまた、俺と光が二人きりで話すような状況を作ろうとしたのだろうか──憶測に過ぎないが、またいらぬ世話をと鬱陶しさを感じた。

 白狐さんや翔から時折見え隠れする「兄妹は仲良くするべき」という押しつけがずっと煩わしかった。こちらが意地を張っているようで、悪いことをしている気分になるのだ。

 新しい酒を勧めてくる白狐さんを丁寧に遠ざけて、口直しに蒸し団子を手に取る。たっぷり詰まった餡の甘さに思わず顔を顰めて、手元にあった茶で飲み下した。

 白狐さんの手作り菓子は一様に甘い。酒飲みなのに甘いものも好きなんだよなあ、この人は。

 風邪を引かないよう翔を部屋まで運ぶことになって、俺は立ち上がる。白狐さんは「僕がやります」と引き留めてきたが、女よりも非力な昼間のこの人に酔っ払いを担ぐなんて芸当、到底不可能である。

 俺自身足元が覚束ないながら、同じく足腰の立たない翔を起こし、肩を貸して歩き出した。するとぐでんぐでんの頭が駄々をこねるよう左右にぶんぶん揺れる。


「やだやだ、俺もまだ飲む~」


「やめてくれ」


 ぬか臭さと酒臭さが相乗し、大変なことになっている呼気が顔にかかった。思わず眉が寄る。これだから酔っ払いは、と思うのに俺自身が酔っ払いなのだからどうしようもない。

 苔の地面がぐにゃりと柔らかく感じる。


「兄貴、手伝おうか?」


 遠慮がちに声を掛けてくる妹をあしらい、俺は翔を連れて千鳥足で家に戻った。白狐さんが光に何か言っているようにも聞こえたが、その声はここまで届かなかった。

 翔を部屋までふらふらしながら運んで布団を敷いてやる。動いたせいで更に酒が回ったのか、敷布団を広げる作業にも手間取った。指先に上手く力が入らない。

 俺の背後では、畳にうつ伏せになった翔がいびきをかいている。


「おい、起きろ」


「……うーん……」


「そんなところで寝たら風邪ひくぞ」


 ぐいっと着物の裾を引っ張って、酔っ払いたくあんをぐちゃぐちゃの布団まで引きずった。

 本当にこいつ、面倒くさい酔い方するな。薄く目を開いてへにゃっと笑っている翔。前髪が乱れ、額と頬に畳の跡が残っている。何とも能天気な間抜け面だ。

 そのまま退室しようとした俺の手を、突然翔が掴んできた。予想外の不意打ちに、俺は容易にバランスを崩す。「うわっ」と引き攣った声が出た。


「あれー?」


 翔の上に転ぶことは避けるも、左側に傾いた身体が畳の上を横滑りした。


「急になんだよ」


 思わず顔を歪めて抗議の声を上げる。脳みそが揺れて眩暈に襲われた。

 身体を起こそうとするが、翔は俺の手首を離してくれない。一体何なのか。掴んだまま持ち上げ、翔の目が不思議そうに瞬いた。


「紐がない」


「ひも?」


「きっしょーの紐」


 俺は翔の言葉を、口の中で繰り返した。どこかで聞いたような言葉だったが、アルコールの回った脳が正常に働いてくれるはずもない。

 俺は早々に思い出すのを放棄し、翔の手をどうにか振りほどく。


「……きっしょ、の紐はね、兄弟のきずなをむすぶの……だんじょの」


 舌足らずな口を動かす翔。男女の兄弟? 聞き返すが返事はない。見れば翔はもう完全に落ちたようで、小声で呼んでもぴくりとも動かなかった。

 やれやれ、酔っ払いの戯言か。そう息を吐いた俺は何度か失敗しながら立ち上がる。しばらくして翔の寝息が聞こえてくるのを背中に、部屋を後にした。

 外に戻る前に厨で一口水を飲むことにする。壁に手を付いて体勢を保ちながら、手頃な茶碗に水を汲んだ。

 冷たい井戸水に喉を鳴らしていると、背後に人の気配を感じる。振り返ってみて、妹と目が合った俺は無言で立ち去ろうとした。


「ちょっと」


「……」


「兄貴」


「何だよ」


 渋々足を止める。真っ直ぐこちらを射る妹の目付きに苛立った。

 要件を問い質すと、やはり光は口籠ってなかなか話そうとしない。尖った口調で「用がないなら話かけるな」と吐き捨てようとした俺を、光が遮る。


「兄貴は、石の力って信じる?」


「は?」


 突飛な質問に、変なものでも食べたような顔をしてしまった。石の力?


「石言葉、とか」


「ああ……“パワーストーン”みたいなやつか?」


「そう」


 光は頷く。少し考えて俺は「信じない」と言った。そういったスピリチュアルなものは大概胡散臭い。ほとんど迷信だろう。科学的根拠のないものは俺の趣味ではなかった。


「それがどうした」


「……いや、別に。何でもない」


「……ふうん」


 また何でもない、か。とてもそういう風には見えないが。敢えて追及する必要も感じなかった。光が後ろ手に隠し持っているものには気付かないまま、白狐さんが酒を飲んでいる桜のところに戻った。



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