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明後日の空模様 長遐編  作者: こく
第八話 端陽節
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 一時間ほど歩き、どうにか黄昏の残り火が空にいる内に家に着いた。

 水入りの木桶を運ぶのは想像以上の重労働で、着いた途端倒れ込みそうになる。小さな東屋の井戸端で足の汚れを流し、裏口から帰宅した。


「おかえりなさい」


 そう言って俺たちを迎えてくれた白狐さんは、まだ生きている食材たちに目を輝かせる。これとこれはああしてこうして、と何やらうきうきと調理法を口ずさんだ後、奥の調理場まで桶を運んでいった。翔もそれを手伝って付いていく。

 残された俺と光は揃えたわけでもないのに、同時にため息をついて靴を脱いだ。翔に体力があるのか俺たちになさすぎるのか、とにかく今は鼻歌混じりにスキップする姿に付いていける気がしない。


「疲れた」と誰に言うでもなく吐き出すと、光が頷いたように見えた。別にお前に言った訳じゃない。とうるさくするのも面倒で、追い払う。


 一人で井戸端に屈んだ俺は、釣り道具を洗うことにする。錘や針をきれいにし、木桶の泥を流し、乾かす。疲れている身体には丁度いい、単調な作業だった。

 目を閉じれば、騒がしくも不快ではない渓声が耳元で響く気がする。あそこに比べるとここは静かで、しんとした空気が染み入るようだ。

 時折遠くの方から翔や白狐さんの愉快そうな声を聞きながら、俺はぼんやりと、翔との約束を思い出していた。


「……」


 俺が何を企み、あのとき屋上に立ったのか。翔には関係のない話である。だが言い当てられたとき、意外にも不愉快な気持ちは起こらず、どこかほっとしている自分もいた。この期に及んで、まだ誰かに縋ろうとしているのか。

 新しく別の嘘をつくのも出来ない訳ではないが、約束は約束だった。あいつは確かに俺の嘘を見抜いた。俺の高校受験は“失敗”ではなく“成功”だったこと。

 不合格の通知を受け取ったとき、俺の心には安堵だけがあった。もし受かっていたらどうしようかと思っていた。名前だけ記入して入学資格が貰えるような高校ではなかったし、多分、採点者は真っ白な俺の解答用紙を見て困惑したに違いない。

 俺の通っていた中学校にクレームが届くところを想像すると、多少の罪悪感はある。しかし、俺にはもう関係ない。テレビで報道される事件事故を見て、遠巻きに同情するのに似ていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()。それが俺の自殺した理由だ。予定が狂ったのは全て光のせいで、俺は悪くない。

 ともあれ、このことを光に勘付かれないことを願うばかりだ。たくあん王子は侮れない……。

 ほどなくして夕餉の完成を告げる声がして、俺は思考を中断し、服の裾を正しながら居間に向かった。


「すごい、今夜はご馳走ですね」


 食卓に並べられた品々を見て世辞抜きの言葉が出る。「あなたたちが頑張ってくれたお陰ですよ」なんて返され思わず笑みが零れた。

 遅れてやって来た翔と光が料理を見つけて声を上げる。世捨て人の主の苦笑交じりの声に従い、各自いつもの席についた。

 小魚は丁寧に煮詰めて甘く煮詰められ、胡麻が振ってある。大ぶりの魚はそのままの姿で豪快に塩焼きに。小さいのは骨ごと薄く切って酢で締め、刺身風にされていた。どじょうの蒲焼きもあった。


「あとは今夜干物にします。そのまま焼くより味が凝縮されて美味しいんですよ」


 炊きたての白米──この世界で炊かれた白米を食べたのは数えるほどしかないため珍しい──と、菜葉の冷汁が運ばれてきて、食事が始まる。

 粗塩が塗された焼き魚の背を押し、身を崩して口に入れた。淡白で柔らかい白い身が塩と相乗し、甘味すら感じる。川魚ってこんなに美味しいものだっけと目を見張った。


「美味すぎる~」


 足をばたつかせながら、翔が叫んでいる。確かに白飯が進む美味さだ。新鮮なまま捌かれた生の刺身はほどよく酢で身が締まり、噛めば噛むほどに味が出る。

 俺は無心でただがつがつと箸を進めていた。光は几帳面なことに魚の骨を取り除くのに苦心している。その様子を眺める白狐さんは、口元に笑みを浮かべていた。


「川で魚を獲るのは楽しかったですか?」


「楽しかったです」


「うん、楽しかった」


 光と声が重なるが、無視する。それは良かった、と白狐さんが頬を緩ませた。「それは何よりです」と。


菖蒲(ショウブ)のお風呂を用意しますから、あとで入ってくださいね」


 菖蒲には邪気を払う力があると信じられ、端陽の日は風呂に浮かべて入るのだという。翔が説明する。彼らの生活は、季節の移り変わりと強く結びついて成り立っている。


「そういえば、お前たちの国でも端午の節句を祝うのか?」不意に訊ねられ、我に返る。やや遅れて俺は頷いた。


「俺がいた国では、今日はこどもの日と呼ばれている。昔から男子の健やかな成長を願って鯉のぼりだとか五月人形という鎧兜だとか、そういったものを飾って祝う習慣があった」


「鯉のぼり? あ、分かった。鯉は滝を上って龍になるから縁起担ぎなんだな」


 その通り、と頷く。鯉のぼりがどういう形状のものか、五月人形にどういった種類があるか簡単に説明していると、今度は白狐さんが訊いてくる。


「つまり、皓輝くんも今日は祝われる日だったのですね?」


 急に軽く胸を衝かれたよう、俺は黙った。家にあった、昔買って貰った兜はどうなったか、多分捨てられただろうなと思うと笑えてくる。


「どうでしょうね」と答えると、白狐さんは顔を曇らせそれ以上は追及してこなかった。


「この世界では、他にどんなお祭りがあるの?」


 話題を切り替えたかったわけでもないだろうが、光が茶碗を手に包んで質問している。

 何だかその後は、日本とこちらの世界の季節ごとの祭りや風習、そういった話を皮切りに雑談が食後まで続いた。

 知っているのもあれば、全く知らないものもある。互いの文化の話をするのは新鮮だった。ゆで卵の入った棗茶を飲み、翔があれこれ話すのに耳を傾ける。


「ああ、そういえば──」と呟いた白狐さんが、光に何か耳打ちしているのが見えた。満月、月蝕という単語だけは聞き取れたが、他は良く聞こえない。

 まあ、耳を欹てるほどじゃないだろうと意識を逸らす。


 そんな俺を、翔はじっと眺めていた。



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