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明後日の空模様 長遐編  作者: こく
第四話 辺邑
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 俺が閉じ込められていたのは、衛士と呼ばれる地方警守の屯所らしかった。

 牢から出された俺は、捕えられたときの物々しい雰囲気が嘘だったかのよう、あっさりと正面の出口まで案内された。建物の外に出ると、没収されていた荷物も手渡された。解かれた形跡はあったが、全てがそのまま残っていた。

 司旦の姿は見えない。気付けば、蛇のスコノスも霧散していた。


「一体どういうことだ?」


 見張りらしき衛士に訊ねてみるが、要領を得ない反応が返ってくるだけだった。「上からお前を釈放するよう指示が入った。どういう訳かは知らないが」というのがせいぜい聞き取れた答えだった。

 上というのは、彼らの所属する軍の上部か、或いは国そのものということだろう。訳が分からないが、これ以上訊ねたところで相手も事情を飲み込めていないようだった。せめて誤解だったのなら謝罪のひとつでもしてほしいところだが、変に突っかかるのも得策ではないか。

 去り際に、俺は振り返る。


「あの、さっきここで騒いでいた世捨て人がいたはずだが、そいつがどこへ行ったか知らないか?」


 衛士は一方の路の先を指差した。


「司旦が追いかけて行ったぞ」


「どうも」


 俺は会釈をして、そちらへ向けて歩き出そうとした。古着を買った露店のある市は西側にあった。屯所は邑の奥まった場所にある。周囲は人通りも少なく、手前には閑散とした住宅街が続いている。


「おい」


 いきなり、小さな声が降って来た。余りに微かなので聞き逃すところだった。不思議に思い、辺りを見回す。本来なら有り得ない高い位置から聞こえてきた。瞬きした途端、俺の顔の上を小さな影が横切るので、「ひっ」と声が漏れる。

 嘲るような羽搏きがあった。


「こっちへ来い」


 剥き出しの土塀の上に、小さな生き物が留まっていた。

 一言で言うならば──小鳥である。片手に乗るほどの黒い小鳥がいた。そして、その小鳥が人の言葉を話していたのである。

 驚きのあまり俺は膝から崩れ落ちそうになったが、さすがに踏ん張って持ち堪えた。息が止まるような心地で、いや実際に呼吸も忘れ、まじまじと凝視する。

 鮮やかな碧瑠璃色の嘴に、縁取りに囲まれた黒い目。図画に描かれるような美しい小鳥だ。俺は注意深く周囲を見回すが、他に人の気配がない。


「こっちへ」


 僅かに嘴を開き、小鳥が男の声でそう言った。間違いない。喋っている。眩暈を起こしそうな俺を置いて、小鳥はあっという間に飛び立って路地を曲がり、見えなくなった。

 俺はその場で立ち竦む。いよいよ頭がおかしくなったのではないか。神隠しをされたという時点で充分な衝撃だったのに、訳の分からない理由で牢に閉じ込められ、脅され、スコノスとかいう霊的存在を目の当たりにしたショックで、遂に幻覚が見え始めたのではないか。

 昼下がりの静けさの中、水路を流れる穏やかな水音が際立っている。たった一人、足元の影を持て余す俺は、自分の正気を疑った。

 しかし結局、確かめるよりほかに選択肢はなかった。小鳥が速すぎて、いちいちおかしなところを列挙していては切りがなかったとも言う。

 俺はつんのめるようにして、小鳥が消えた方向へと足を進めてみる。狭い路地に玄関同士が向かい合い、しんと静まり返っている。一角を通り過ぎると、そこは窮屈な十字路になっていて、雨水を溜める水桶や空の樽などが片側を塞いでいた。住宅に遮られ、路地は薄暗い。


「こっちだ」


 声のする方を追う。日陰に泥み、姿は見えない。早足になりながら、俺は自分が狂っていませんように、とかこれが夢でありますように、とか噛み合わない願望を頭の中で連ねていた。

 辿り着いたのは、僅かに門が開いた一軒の廃墟だった。何らかの外的要因で、木製の閂が壊れており、少し押せば簡単に外れた。中から「早く」と急かす小鳥の声がする。人が住まなくなって長く経つらしい。門の内側は方形の前庭で、ひび割れた石畳の隙間から雑草が伸び放題になっている。


「門を閉めろ」


 本当に、頭がおかしくなったのかもしれない。今更抵抗することも出来ず、外から見えないよう戸を閉めた。手が震えていた。

 周囲を見回す。廃墟の外柱は塗装が剥げ、ところどころ灰色に剥けている。ごみの溜まった植木鉢が積み重なり、何かの車輪や外れた戸枠とともに前庭の隅に押しやられている。誰かが捨てていったのだろう。脚の欠けた椅子の背もたれに、あの小鳥が留まっていた。

 俺は頭を抱えた。


「勘弁してくれ」


 小鳥の長い飾り尾が椅子から垂れていた。鳥類特有の忙しない呼吸に震えている。その内側に宿る生命力、姿形は生々しく、どうにも白昼夢とは呼べそうもない。

 そしてこの小鳥は、先程目の当たりにした司旦のスコノスとも違っている。具体的には、きちんと血が通っている気配がある。つまり、霊的存在ではないということだ。飽くまでも俺の感覚的な話だが。


「一旦、待ってくれないか」だんだん呼吸も苦しくなってきた。


「駄目だ。待たない」


「今日一日で色々起こりすぎなんだよ」


 常識だと思っていたものが崩壊する瞬間は、何度経験しても恐ろしいものだった。小鳥は、小鳥とは思えないほど憮然とした態度で、何やら胡散臭いマジックショーに参加させられている気分ですらあった。


「何で鳥が喋っているんだ?」


 ようやく口から出たのは、何の修辞もない疑問だ。小鳥は小さく首を傾げてから、元に戻った。


「それを知ることに何か意味があるのか?」


 改めて見ても、随分綺麗な色羽の鳥だった。何という種なのか、黒く艶のある背、真っ白な腹、華やかな長い尾羽。そして碧瑠璃の嘴と目輪が黒の中鮮やかに映える。つんと澄ましたようにこちらを見つめるその小さな横顔には、あるはずのない理性と気品を感じた。

 しかし、鳥が人語を話している様には、やはりどうしても違和感しかない。見た目が美しいだけに、これは鳥の形をした玩具か何かで、人間の声を録音した音声レコーダーが腹の辺りに内蔵されているのではと疑いたくなる。


「皓輝」


 ごくごく自然に呼ばれた自身の名に、どうして知っているのかと口を挟む余地すらない。


「己の理解を超えたものを目にしたとき、いちいち拒絶したがるのは貴様の悪癖だぞ。実際に貴様は神隠しに遭って、実際に違う文明世界というものを体感して、そして実際にこうして私と出会ったのではないか」


「何だって?」説教をされているような、諭されているような、微妙なところだ。「どうしてそれを……」


 まるで今までの俺の行動すべてを把握しているかのような顔をして、何の断わりもなく現れたこの小鳥は妙にこの胸を掻き立てる──不吉さがあった。


「大体、貴様が七星(チーシィン)になぞ捕まったせいで私が余計な手間を掛ける羽目になったのだ。感謝してもらいたいものだな」


「お前が俺を牢から出してくれたのか?」そんなまさか、と半ば馬鹿にしたつもりだったが、小鳥は「そうだ」と答えた。その平然とした口ぶりに、俺は狼狽える。小鳥の表情を窺った経験など生まれてこの方一度もないが、堂々と嘘をつくタイプにも見えたし、人知を超えた存在にも思えた。


「お前、何者なんだ……?」


 小鳥にそう訊ねるのは妙な気分だった。更に奇妙なことに、こうして向き合っていると会うのは初めてではないようにさえ思えた。それは、三光鳥が俺に対して旧知であるかのように話すせいかもしれない。


三光鳥(サンコウチョウ)だ」小鳥は言った。はっきりと、意志を持って俺を見つめていた。「天体の巡りを歌い、運命を予知するされ、占い師に好まれる種類の鳥だ」


「鳥って自己紹介するときそんな感じなんだな」


 額に手を当て、首を振る。「で、その三光鳥ってやつは人の言葉を喋る訳か」


「鳥が喋る訳ないだろう」


 俺は小鳥を両手で掴んで絞め殺してやりたくなる。恐怖と怒りが並行して存在しているというのも妙な感覚だった。


「じゃあ何なんだよ、お前は」


 大きな声を出すな、と三光鳥は眉を顰めた。眉らしきものはなかったが。


「私は特別なんだ。他の三光鳥と違って言葉も話すし、迷信ではなく本当に運命を占える。何故ならば、私は全知全能だからだ」


 果たして俺には信じ難いし、彼が妙に強い印象の言葉ばかり使うのは、どこか滑稽ですらあった。そしてそれを見上げて対等な会話を試みる俺の姿は、殊更に間抜けに違いなかった。


「中へ入れ。また司旦に見つかれば面倒だ」


 三光鳥が羽搏くのを見送り、俺はやや遅れて廃墟の中へと足を踏み入れる。入口の戸は、最早その役割を果たしていなかった。玄関の窓は外れ、意匠のついた雨戸が床に重なっている。


「司旦を知っているのか?」


 薄暗い廃墟の中で目を凝らす。黄色い漆喰に塗られた内装は、何もかも土埃に塗れている。三光鳥は、天井から吊るされた青銅の照明具の上に身を落ち着かせたところだった。錆びた鎖輪で繋がり、ゆらゆらと左右に揺れている。


「無論。あやつは一度憎んだものを決して忘れない執念深い男だ。先程の件は単なる他人の空似で、貴様は極端に運が悪かった。知っているのはそれだけではない。貴様のことも良く知っているぞ、皓輝」


 そこでようやく疑問が話題に追い付く。「どうして俺の名前を知っているんだ」


「全知全能だからだ」


 そう強調する三光鳥は、鳥であるという点を除けばそれなりに凛々しかった。そして同時に胡散臭かった。俺は基本的に、占いや運命なんてものは信じない性質なのだ。もし彼が人の姿で顕れたとしても、俺は同じ感想を持っただろう。


「貴様が非科学的なものを疎んじていることもよく知っている。そして鳥類を含めた全ての動物が嫌いだ。だから、私にはなるべく近づきたくないと考えている」


 そうだろう? 確信的な目つきに、どう答えれば良いのか分からない。


「だが私の忠告は聞いておくべきだ。せっかく来てやったのだ。いつまでも未知の土地で無為に時間を過ごす訳にもいくまい?」


「どうして俺が神隠しに遭ったことを知っているんだ」同じ調子の繰り返しで、俺は勝手に答えに辿り着く。「なるほど、全知全能だからか」


「然り」


 何だか馬鹿にされているような気もする。小鳥は得意げに首を伸ばした。


「私は、貴様が何を守ろうとしたのか知っている。それを光に台無しにされて憤っていることも、自分以上に光の扱いに困っているということも」


「……」


 なるほど、何でも知っているような口ぶりは単なるはったりでもないようだ。俺は無感情のまま、感心して見せる。滑らかに紡がれた妹の名は、確かにこの小鳥が何かを見据える力を宿していることを物語っている。

 俺はこの状況への様々な疑いや躊躇い、否定を口に出すことを諦めた。三光鳥の饒舌な物言いは初めから終わりまで胡散臭いが、真偽を確かめる方法は今のところないし、俺の理性に共感してくれる存在はここにはいない。


「そんなに全知全能を謳うなら教えろよ」俺は唸った。未知との遭遇以上に、不条理の連続に苛立つ方が大きくなってきた。「どうして俺は、こんな馬鹿げた目に遭わなきゃいけない」


 神隠しに遭ったこと──否、この文明世界にまつわることが全て、俺の人生にとっては馬鹿げたことだった。目の前にいる“喋る小鳥”の存在がより拍車をかける。


「知りたいか?」


 悠々と訊ねて来るので、途端に俺は嫌になる。だが、先を聞かない訳にもいかなかった。


「貴様はな、この世界に還るべき存在だったのよ」


「は?」


「神隠しは偶然ではない。貴様が在るべき地に還ってくるため、必然的に起こっただけだ。取り立てて騒ぐほどのものでもなし」


 不安に顔を曇らせる。三光鳥の言葉は、何やら胸騒ぎを誘う嫌な響きがあった。


「……俺が死ななかったのは、この世界に来るためだったと? 偶発的な事故ではなく?」


「認識が逆なのだ。魂は生まれた地へ還るもの。貴様にとって、この世界は故郷。かつて貴様は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして此度、還ってきた。そういう話だ」


 口を噤んで睨み付ければ、勝ち誇った顔がそこにいた。「信じたくないというならそれでいい。いつか私の言葉に嘘偽りがなかったことを知る日がこよう」


 彼の口ぶりは、まるで前世を占うようでもあった。

 少なくとも俺はこの世界に来るまでは“別の文明世界”という概念があることすら知らなかったのだから、三光鳥の指すそれを己の前世か何かに求めたくなるのも当然だった。

 無論、輪廻転生を信じるか否かというのは別問題である。ただひとつ明言するなら、俺はこのネクロ・エグロの世界を、帰ってくるべき故郷だと思ったことも一度もない。それだけは確かだ。


「俺は今の自分しか知らないし、仮にお前の話が本当だとしても、出生の大本がどこで前世の俺が何者であろうが、今の俺が苛々していることの解決になるとは思えない」


 三光鳥は臆することなく言い返す。


「厳密に、この世界にいた頃の貴様と今の貴様は同一個体であって、前世とか今世などという既存の観念に当て嵌まるものではない。単純に記憶がないだけだ。まあ、それで呼ぶのが分かり易いというなら勝手にすれば良いが」


「訳が分からない」


 俺は土埃で汚れた床に足踏みをする。俺の靴裏の痕が、そこに幾つか重なり合う。


「そもそも、何故あの瞬間だったんだ? 原理とか理屈とかはこの際置いておくとして、お前の言う通り本当に還って来るべき存在だったというなら、もっと他のタイミングでこの世界へ来てもおかしくはなかったはずだ」


「これまで貴様が生きてきた人生は、猶予のようなものだった」三光鳥は語る。「人ならざる魂が人間の世界に流れ着き、十五年も生きていた。あろうことに、己を人間であると勘違いをして。これは自然の理に反した、本来あってはならないことだ。だから全ては、お前の死によって元に戻る。自殺であれ他殺であれ、お前が死に瀕した瞬間、この世界に戻るよう予め決まっていたのだ」


 きんという耳鳴りが鼓膜を圧した。三光鳥の言葉が、風のように頭の中を通り過ぎてゆく。


「人ならざる魂?」俺は鸚鵡返しにする。


「貴様は人間ではない」


 三光鳥の身動ぎに、青銅の照明具が揺れた。壁としての役割をほとんど果たしてないむき出しの骨組みの影が、奥の壁に不格好に浮かび上がっている。生活家具も何もない建物の中はだんだん薄暗く、ものの輪郭がぼやけてきている。

 俺は自分の両手を握った。指先が白く、血が止まるほど強く握った。そうでなければ震えて口がきけなくなってしまいそうだった。


「──俺は、人間じゃないのか」


 声から抑揚が失われる。疑問のつもりが、独り言のようだった。

 白狐さんは言っていた。「ネクロ・エグロは、ネクロ・エグロ同士にだけ通じる何かを持っています」と。「何だか雰囲気もネクロ・エグロっぽい」と翔は俺を指して悪気なく言った。

 それらの言葉をなるべく遠ざけてきたのは、心のどこかでもし本当に俺がネクロ・エグロだったらどうしようという畏怖があったせいだ。人ならざる者として扱われることが俺にとってどれだけ恐ろしいか、彼らには分からないのだろう。

 いや、本当は否定すればするほど、心のどこかで言葉に出来ない確信のようなものが凝り固まっていた。十五年かけて俺は、普通とは違う扱いを受けてきた。その度に俺がどんな思いをしてきたか、どうやって心を保ったか、如何に全知全能であれ理解されるはずがない。

 認める訳にはいかない。


「皓輝、司旦のスコノスを視たか?」


 俯いている俺の視界には靴先しか見えない。俺は黙って頷く。


「普通の人間は、スコノスの形を視ることはできない。視るとすればかなりの慣れが必要だ。だが貴様ははっきり視た。そして何の説明もなく、あれがただの動物ではない霊的な存在であることを感じ取ったはずだ。つまり、そういうことだ」


「……」


 俺は首を左右に振る。もっと荒唐無稽な説明をされても、筋の通った説明をされても、俺は同じことを思ったに違いなかった。


「嫌だ」


 留める猶予もなく、口から零れる。「()()()()()()()


 俺の魂の本来あるべき場所がどうとか、そもそも二つの世界の因果関係とか、然るべき疑問は今や遠くへ追いやられていた。この際どうでも良かった。

 一体、何のために生きてきたのだろう。俺が生きてきた十五年間は、何のために。

 三光鳥の言葉は、俺の心を見透かしたようだった。


「自分の人生に意味があったと思いたいなら、私の忠告を聞け」


 俺は両手で顔を覆っていたが、ややあって上げた。建物の中が金とも灰色ともつかない黄昏に翳っている。音も空気も籠っていた。深い水底にいるように。


「光のことだ」


「光の?」


 妹の名に、俺はただ目を瞬かせた。




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