表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明後日の空模様 長遐編  作者: こく
第三話 天学
15/98

 



 学問上、神話というものはどこの地域に伝わるものでも多少の類似点がある。それは大抵、世界の始まりや人類の誕生、その他自分たちが生きる世界に存在するありとあらゆる事物の起源を説明する物語だ。


 自然界への素朴な疑問、畏敬、憧憬。そういったものが神話を鮮やかに脚色する。少なくとも、俺はそう考えていた。

 俺はこの世に神仏が実在すると思っていなかった。かと言って、そう徹底した無神論者でもない。クリスマスを楽しんで、正月は初詣に行くつまらない人間だ。神も仏も時と場合によって都合よく信じたり信じなかったりする。要するに、節操が無いのである。

 埃の舞う書庫に一人。疑似漢文の『天介地書』の解読作業は俺にとってさほど苦痛ではなく、意外にも楽しいものだった。

 世界観が興味深い。広く寛容で漠然とした、素朴な多神教的世界観だ。

 第一巻はまず〈天帝(テンテイ)〉と呼ばれる神を讃える詩から始まる。これは恐らく天という絶対的な力の神格化であり、厳格な唯一神という印象には遠い。むしろ、神と呼ぶにはあまりに人格が薄い、曖昧模糊な存在なのだ。


天地(あめつち)の支配者」と呼ばれるこの神が一体どこから現れたのか記述はないが、渾沌とした世界に天地が開ける前、この宇宙に降りた、とされる。

 それから〈天帝〉は長い月日を経て、徐々に世界を今の形に整えていった。その開闢神話をざっくりとまとめるとこのような感じだ。




 ***




 原初、この世は天地もなく明暗もなく、渾沌としていた。やがてその渾沌が陰と陽に分かれ、軽いものは天に、重いものは地となったという。

 天地が分かれたばかりの世界は光のない常闇。天の下にはただただ黒い水だけが墨のように大地を覆い、命あるものはひとつもない──。


 そのとき、水底に沈んだ大地が天に(こいねが)う。息が苦しい、重き水を避け賜え、と。

 天帝はこれを聞き入れ、中天で炎を燃やすことにした。雲の狭間で煌めいた一筋の光芒が、天帝の吹きかける息吹で明るく大きく燃え上がり、眩いほどの白い光で下界を照らし出す。それは全ての色彩、虹色の輝きを篭めた白金だった。

 これを〈天火(アマノヒ)〉と呼ぶ。天によって生み出された気高い白炎。こうして世界に初めて光が生まれた。

 〈天火〉が創られて幾百年、その熱と光で下界を満たしていた水が渇き始めた。その下から鯨が頭を出すように黒い大陸が二つ現われ、やがてそれが乾くと土と石で固まった地となった。そこにはまだ凹凸の他は何もなかった。

 天帝は左にあった端を西と呼び、右にあった端を東と呼び、地上の平らなところで最も秀でたところを宇宙の中心と定めた。

 しかしあまりにも〈天火〉の光が熱く、やがて大地は枯れて干乾びてしまう。挙句、ひび割れた土の裂け目、山の頂に赫々たる赤い炎が生じ、熱せられた溶岩が噴き上がる有様であった。


 再び地は天に希う。熱き炎を避け賜え、と。

 天帝はこれを受け入れた。そうして天火は車輪のように回り、地上には夕べと朝と、宵が訪れるようになる。〈天火〉は天帝の意に従い、一定の速さで世界を巡り始めた。

 そして〈天火〉が西の端に沈んでいる間、その燦然とした輝きとは違う、涼やかな光明を放つもの──〈天石(アマノイシ)〉を創って中空に浮かべ、〈天火〉を追うように空を巡らせた。

 こうして昼は〈天火〉によって世界は暖められ、夜は〈天石〉によって冷やされるようになったという。

 これが、いわば太陽と月にあたる天体の起源説話だ。

 〈天火〉と〈天石〉の巡る地上は、土と石しかない殺風景なものだった。不毛な大地を慰めるため、天帝は東の大地に顔を近づけ、息をひとつ吹きかける。

 するとこの世に初めて慈雨が降り注ぎ、天の息は霊となって地に満ちた。

 切り立った険しい峰に降り注いだ雨は地底に潜り、分岐して稲妻の如き大地の裂け目から溢れた。地表の形に応じてうねるところは川となり、窪みに溜まったところは湖沼となり、急流に削られたところは渓谷となった。

 水脈が地を潤し、霊の息吹が一面に染みわたるにつれ、殺伐とした地にも緑の生命が生じる。豊潤な平原を覆う若草、萌えいずる木々に色とりどりの繚乱の花──雄大な枝を伸ばす喬木の群れは森となり、豊かな自然が丘や渓谷や野原を彩った。

 山には山の霊が、河には河の霊があらゆる草花や鳥や獣と成り、地に繁栄する。青く輝く大気には幾千もの星の輝きが散り、花めく下界を祝福した。


 まさに天の御業。書物は繰り返す。これぞ御恵み深き天の帝の思し召し也、と。


 そして、最も神秘なことが起こった。綺羅星のひとつが斜めに天空を翔け、天の息吹が染みた土中に飛び込んだのだ。

 一閃の煌めき。それは今までにない或る生命の兆しとなる光だった。

 星を呑み、水を含んだ土は重苦しく波打ち、這いずり回り、やがて起き上がろうとする。それは蛇が頭をもたげるようのたうち回り、やがて四肢──と後に呼ばれるものを伸ばして、大気を掴まんとした。

 泥水の中から起き上がったそれは、四肢を持ち二本脚で歩く〈人〉という生き物に成った。

 初めは水っぽい泥人形のようだった〈人〉たちは次第に光を浴びて形が固まっていく。このとき〈天火〉の強い光で固まった人は少し日に焼けて丈夫な体に、〈天石〉の弱い光で固まった人は色白で脆い体に成ったのだという。

 そうしてこの世界に人間が生まれた。




 ***




 俺は首が痛くなってしまって、一度本から顔を上げた。


 これ以降は霊の力によって生まれた命ある者の説明が事細かに続いているのだが、それよりも気になるのは、この時点で登場する人は、翔が語っていた通りネクロ・エグロという人種ではなく、どうやらただの人間らしいということである。スコノスという言葉はまだ文中に現われていなかった。

 窓から眩しい西日が差し込み、古びた板間を焼いていた。その光が直接浴びないように体をずらし、続きを開く。

 天地開闢、そして天体や生命が生まれた神話の次は歴史物語のようなものが続いていた。

 地上に生まれた神代の人間たちの古潭。まだ明確な国家らしいものは存在せず、集落のような小さな社会で暮らしていた彼らには、「王」のような明確な権力者はおらず、「賢人」や「聖者」などが物語の主人公だった。


 例えば最初の聖者の話。彼は雲や風を読み天候を予測する術に長け、明日の空を当てることが出来たことから「日知り」と呼ばれていた。

 日知りは自分の知を生かし、人々に稲作──つまり農業という効率の良い食物を得る方法を考案した。人類に新たな文明をもたらした日知りは死後農耕の祖として讃えられ、農民の間で盛んに信仰されたという。

 そこで「ひじり」という言葉に「聖」の字をあて、彼が最初の「聖者」とされた。それがやがて、この国の農耕神、神農と呼ばれる神の謂れとなった。

 こういった具合に、文明の起源や発展、それに関わった偉人の物語が連ねられている。神話だけでなく、悪霊、怪物退治など英雄譚に近いものも多い。

 読み進めていけばこの世界のことが少しずつ理解出来る気がした。

 果てしなく紙面を埋め尽くす疑似漢字、疑似漢文の羅列。見たことのない字も多い。

 俺は眉を寄せ何度か読み返したり、じっとその意味を考えたり、自分なりに内容を理解していった。それは大体こんな物語だ。




 ***




 地上で生活を営む人々の生活の中心は農耕であった。文明が発達すると当然の如く人口が増える。

 農耕社会は貧富の差、要するに身分差というものをつくり出し、やがて各地でぽつりぽつり点在していた集落はそれぞれが(クニ)とも呼ぶべき一定の勢力を持ったものに成長していった。


 そのとき、と書物は語る。「邦争い、地焼け乱れ、平安を希う人の声を届け、天が卵を産み賜う」──。

 邦同士で土地や収穫物などを巡り争うようになった時代。焼け荒んだ大地で、人々は平和な世を治める王を求め、その願いを聞き届けた天が、宇宙の中心に〈三つの卵〉を産み賜うた。

 地上で最も高く秀でたところ──〈雰王山(フンオウザン)〉と呼ばれる宇宙の中心。その頂に産み落とされた〈三つの卵〉は、ひとつは太陽の白炎が、ひとつは月の光明が、もうひとつは星辰の煌めきを秘めていたという。

 朝日が昇ったときにひとつの卵が割れ、月が昇ったときにもうひとつの卵が割れた。そうして老いることも死すこともない美しい顔立ちをした、輝かしく神々しいばかりの二人の若者が孵った。

 天の卵から生まれた二人は〈天子(テンシ)〉──天帝の御子とされる。そして天の支配の象徴として、それぞれ一握りの〈天火〉、一欠片の〈天石〉を胸に埋めていた。

 太陽の加護を受けた兄を〈日天子(ヒテンシ)〉、月の加護を受けた弟を〈月天子(ツキテンシ)〉という。


 しかし──三つ目の卵はいつまで経っても孵らなかった。

 雰王山は霊気が霧のように立ち込め、陽も透さぬ神秘の仄暗さに満ち、この世のあらゆる尊いものと怪奇、不気味が漂っているようだった。日天子と月天子はその場所で、最後の弟の誕生を待った。

 すると固い殻の中からか細い声がして「私はまだこの世に産まれるべきではないと天帝が申しております。兄さまたちは疾く地上の人を導いて下さいませ」と宣ったという。


 そこで二人は卵をそのままに、清虚という東の丘に降り立った。


 そうして、二人の天子が人々の前に顕現する。兄弟は天帝の意思に従い、それぞれの力によって戦を鎮め人々を平和に導いた。彼らが地上に降りた日を始まりとする暦を、天紀と呼ぶ。

 各地の国をまとめ、そして地上でこの天帝の息子たちによる天の統治の時代が始まった──かのように思われた。しかし、その時代は呆気なく崩壊してしまう。天紀四九六年、あろうことに、〈日天子〉と〈月天子〉が仲違いをしてしまったのだ。

 日天子が、「兄である自分の言うことは聞くべきだ」と月天子に横暴な態度をとったのが始まりらしく、そんなしょうもない理由からヒートアップした兄弟喧嘩はやがて人々をも巻き込んでいく。

 かくして、日天子派と月天子派で新たな戦争が勃発。人々の争いを収める為に地に産み落とされた二人の〈天子〉が、史上最大の戦争を巻き起こすという皮肉な展開だった。

 挙句、日天子は自分に従う者たちを連れて西大陸へ渡り、月天子の元を去ってしまったという。


 東大陸に残された月天子は日天子と仲直りすることを諦め、東大陸に留まった。そこで人々を導いて文字文化を整え、独自の文明を築く。

 月天子に従った人間たちは〈月辰(ゲッシン)族〉──つまり月の一族という名で呼ばれ、やがてそれがこの皇国の名前である〈孑宸(ゲッシン)〉に変化した。

 孑宸とは「唯一の天子」を意味し、そこから月天子は日天子と完全に袂を別ってしまったということが窺える。

 月天子は大陸の最も東にある天に近い地に広寒清虚(コウカンセイキョ)という都を建て、王朝をひらいた。千年もの続いたその治世は天子不在の無明時代とは区別され、〈第二時代〉と呼ばれる。

 孑宸皇国の祖となった月天子は、その叡智と輝きをもって第二時代を清く正しく治めた。そして西大陸へと渡った兄・日天子の記述は、この章を最後に途絶えている──。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ