エマ・リンゼル 2
「おう! エマ!!」
突然、後ろから野太いダミ声をかけられる。
声に振り返れば、案の定エマと同じ海の女神号に乗る大男の、ザマイがいた。
腰には帯。彼も海の民である。
「なンだよ、それ」
ザマイが担ぎ上げた布につつまれた大きな塊を見て、エマが声を上げる。
「さぁな、知らん。アギのジジィからの頼まれモンだ」
「アギのジィさんが? また新しい火薬じゃねぇだろうな、あの爆薬狂いめ」
「で、エマ。おめぇはもう船に帰るのか?」
「あぁ、買いたい物は大体買ったしなァ」
言ってザマイに買い物袋を見せ、それからぐるりと辺りを見回す。
ちょうどこの辺りは古臭いものを売る――要するに骨董品街だ。
こんなところに用もないと、視線を下げると、露天の親父と目が合う。
親父が卑屈に笑うが、視線はエマとザマイの腰帯である。
海の民の帯は、貴重品だと高く売れるらしい。
むろん、海の民にとって守り帯でもある上に、海の民という所属を表すいわば身分証明書である。
売り物には絶対にならない。
さてこの親父もその手合いかと、嘆息し。
エマは視線をさらに下にやる。
汚い布に並べられた中に、蓋に小綺麗な細工のある箱があった。
側面に螺子がついている。自鳴琴だろうか。
「おい、親父。そいつも売りモンか?」
尋ねるエマに、ザマイが眉をしかめる。
大方、ろくでもない買い物をするなとでも言いたいのだろう。
「へぇ、この箱ですかい。こいつは自鳴琴のついた箱でね。お客さん目が高い!」
「実ァな、姉さん連中に土産を買わなきゃなんねぇんだ。こいつはいくらだ?」
「十でさァ、海のねぇさん」
にまにまと親父が笑って、両手を広げた。
「そりゃ、西国硬貨でじゃねぇだろ、もちろん?」
西国は南国に比べて、総じて物価が高い。
自然、金の価値もはねあがる。
「そ、そりゃあもちろん、タンザ金貨ですぜ!」
「タンザ金貨ァ? 冗談じゃねぇぜ!」
大声を上げたのはザマイの方だ。
「そんな薄汚ねぇ箱、タンザ銅貨十枚がいいところだぞ。エマよ、あっちの店でもっと綺麗な箱が売ってたぜ」
タンザ硬貨はこの辺りで使われる事の多い硬貨で、西国硬貨よりも価値の低い、細かい単位の硬貨である。
西国硬貨一枚で、タンザ金貨十枚。タンザ金貨一枚は、タンザ銀貨で十枚、銅貨ならば百枚だ。
「そんな旦那、タンザ銅十だなんて無茶な! 酒の一杯も飲めやしませんぜ!」
露天の親父が悲鳴をあげた。
確かに、タンザ銅十では、子どもの小遣いにしかならない。
「じゃあタンザ銀十でどうだ、親父」
エマがそう声をかける。
人が一日食えるか食えないかの額だ。
汚い箱にはつけすぎの値段だろう。
「おい、エマ!」
「じゃあタンザ銀で十!」
ザマイの声にかぶせて、これ以上安くされるものかと――大方、これ以下だと仕入れ値を切るのだろう――親父が叫ぶ。
「ほらよ、」
言ってエマは露天の親父に銀貨を放り、箱を持ってさっさと歩き出した。
「おい、エマよ! そんな汚ねぇ箱やめとけよ」
慌てて追いかけてきたザマイが声をかける。
「ンだよ、ザマイ。わざと芝居してたんじゃねぇのか」
呆れてエマがそう言った。
「あ? 何の事だ?」
「この箱だよ。あの露天の親父も価値が分かってなかったみたいだったけどな」
そう言って、箱の蓋を布でぬぐう。
蓋にほどこされた装飾が煌いた。
「よく見てみろよ! こいつは東国の貴重な螺鈿細工だ。モノが少ねぇから、西のご婦人方はいくら払ったって欲しがる。西国硬貨で十……いや、持っていくところを間違えなけりゃ百……あるいはもっとか……」
ザマイが滅多に目にしないような高額を聞いて、目を白黒させる。
それをたかだかタンザ銀十で買ったのだから、詐欺もいいところだ。
「船に帰ったら目利きの奴に見てもらおうぜ」
にまりとエマが笑う。