エマ・リンゼル 1
――私は東の果ての果て、雲を貫く山の上。
豊かな緑と水の元、ひとりの師夫に創られた。
螺旋で巡る円環の、言の葉語れと創られた。
内に秘めるは力の端、外に魅せるは螺鈿の細工。
手に手を渡りて力を与え、望み叶える自鳴琴。
それが下界へ迷い出て、売られ売られて自鳴琴。
連れて行かれたその先は、南国屈指とその名も高き、
港町ベルーシカ!
空は青く晴れ渡り、海は蒼く澄み渡り、
カモメは騒ぎ、風に乗る。
活気あふれる湾の内、一艘の船がやって来る。
風をはらます帆は三つ、海を切って行く船の、船首にあるは乙女の像。
その名を知らぬ者はない。海賊すらも恐れさす、南方諸島の商い船。
その名も海の女神号!
陽に照らされるその甲板、ひとりの少女が立っている。
黄金色に焼けた肌。燃えるような赤髪赤眼。
その身にまとうは、高名な、海の民の証帯。
少女の名は――エマ・リンゼル
*
目抜き通りと言い切るには雑然としたその通りの別名は、盗品市場という。
ベルーシカの盗品市場といえば、古今東西世界中で手に入らぬ物はないと言わしめる、いわば巨大なブラックマーケットであった。
肥大した合法非合法お構いなしの雑多な露天は、もはや国の法も及ばない。
国が取り締まらない代わりに、ここには国の庇護もない。
代わりに諍いがあれば、各々地区毎に分かれた「組合」の連中が飛んでくるという仕組みである。
むろん、穏やかな「組合」であるはずもない。
下手に首をつっこめば、命に関わる厄介な組合である。
日用品の買出しに出たエマは、そんな埒もない事を考えながら歩を進めた。
もちろん、考えごとをしつつも警戒は怠らない。
懐のものであればまだ良い方。
若い女と見るや力ずくでと考える不埒者も少なくない。
エマは慎重に、それでいてやり過ぎないように、買い物袋に隠れていた、腰に巻いた帯がよく見えるように位置をずらした。
地布が見えないほどびっしりと、色とりどりの糸で刺し子の入れた特徴的な帯は、一目見れば海の民のそれであると知れる。
海の民は生まれるとすぐに、産着に包まれ小船で海に流される。
子を流した両親は家に戻り、両親が家にこもったらばすぐに、他の海の民が子の乗った船を引き上げる。
これで子どもは水底の神に捧げられた事になり、男女の別なく神に愛され、海難に強くなるという伝統があった。
母親は子が戻ったら、その産着に家々に伝わる伝統の模様を縫い取り、それはその子どもが一生身につける海の民の証帯となるのである。
海の民は西国との貿易が始まってから、漁師や水先案内人よりも、商人としての面が強くなった。
それを嘆かわしいとする老人も多いが、エマは商人というのもなかなか面白いものだと思っている。
西国との間に頻繁に船が行きかうようになると、その船に乗せられた荷を狙った海賊が増えた。
元々喧嘩早く打算的な民族性。
商人でありながら、他の商船の護衛も請け負いだしたのである。
そもそも船を操るのが巧みで、腕っぷしも強い。
下手な海賊に負けようはずもない。
そのため、海の民というと喧嘩が強い、という噂がまことしやかに流れた。
事実、エマも船でも指折りの実力者である。
ただし、余計なもめごとに巻き込まれたくない、とわざと帯を見せびらかして歩いているのだ。