ベイス・スターシア 2
ベイスがその噂を聞いたのは、ベイスが家族に呪いをかけてから大分経っていたが、ベイスはまだ復讐を諦めていなかった。
――曰く、北方王国の女王、フェニス・R・リンクの元には凄まじい力を持った呪具がある。
噂を追いかけるうちに、それが言葉の力を籠める螺鈿の宝石箱だと分かった。
その力は天を割り、地を砕き、世界を根本から変えてしまうほどの力なのだという。
その事をベイスに教えてくれた魔術師は続けてこう言った。
「あの宝石箱の力は、もう誰にも扱えない。氷の女王が馬鹿な事に使わないように願うのみだ」
それを聞いてベイスは嘲笑った。愚かしいと思ったのである。
そうだ――お前如きには扱えないかもしれないが、私は違う!
むやみに力を恐れるのは馬鹿のする事だと思った。力は操れてこそである。手に余る力などない。やりようはいくらでもある。
ベイスは噂の宝石箱とやらを手に入れてやろうと、北方王国に入った。が、王都に入ろうとした瞬間に、結界に弾かれたのである。
氷の女王――現女王でなく、守護の女神の結界であった。
それは取りも直さず、ベイスの力が本物である証明であった。
しかし、ベイスは己に力があると思って疑った事がない。
ただ拒絶されたように感じた。
「お前もか!」
人目も気にせず、そう叫んだ。
叫んで、そして、そのまま西へと戻った。
彼を真っ先に拒絶した西国は嫌いだったが、西の文献でなくば読めなかったからである――もっとも、後に東を除く言語を習得したが――。
彼は西の果てに、居をかまえた。
洞窟に家具と実験器具を持ち込んだだけの貧相な住まいではあったが、北の永久凍土に近く、頻繁に吹雪くこの場所では、洞窟で地下深くにもぐってしまうほうが好都合ではあった。
洞窟を掘ったのは、ベイスの手足となって働いた小人間たちである。
彼らは力はあるが、思考はなかった。
ただ命じられた事しかできない上に、ひとつの事しか覚えていられない、低能な生物であった。
ベイスが次にした事は、己に忠実な子どもを作る事であった。
小人間の技術を応用し、魔術を加え、未だかつて誰も作った事のない生き物を作り上げた。
それは、力を持ち、己で思考し、いくつもの事を命じても大丈夫な――それでいて、創造主に逆らわない程度に頭の働きの鈍い生き物だった。
ベイスはそれにカーラヴァスと名をつけた。
創造物ならば、結界を越えられると思ったのである。
実際に、結界は越えられた。
しかし、カーラヴァスは宝石箱を取っては来なかった。
北の女王に感化され、悪意ある言葉を吹き込まれ、自身が意思を持っているなどと勘違いをし、創造主に――逆らった!
ベイスはカーラヴァスに罰を与えたが、ベイス自身のダメージも大きかった。
肩口から抉られた腕は、使いものにならなくなった。小人間に止血を命じ、命は取り留めたが、宝石箱を手に入れる計画は先延ばしにするより仕方なくなった。
ベイス自身は決して認めようとしなかったが、創造物にさえ拒絶された事に、心がささくれ立った。
だから、殊更に北の女王を憎んだ。
あいつのせいで――。
そう思う事で気を紛らわせた。
ベイスが溜飲を下げたのは、それから数年して、フェニスが死んでからの事である。
フェニスは後継として自らの産んだ子を指名したが、またここで純潔がどうこうと言い出す愚かな貴族が現れたのだ。
ベイスには、実に好都合な事に。
フェニスの戴冠を偽りと言い、新たな王を立てるのはどうかと言い出した者がいた。
それに反対し、フェニスの遺言通り、その子どもを次王に据えようと反論する者もいた。
いつかの再現のように、会議はもめた。
その間に、女神の結界の緩んだ王都に入り込んだベイスは、まんまと宝石箱を手にしたのである。
それから、ベイスが望みを適えるまでに長く時間がかかった。
宝石箱から力を引き出す方法を調べ、それに必要な物を集めるのに時間がかかったのである。
そして、それ以上にベイスが熱中し、熱心に努めたのは、己の右腕を再生する事だった。
自分に『欠陥』があるなど、ベイスには到底認められなかったのである。
カーラヴァスを造り上げた技術の応用で、何とか腕を取り戻すと、ベイスは世界を滅ぼす準備を始めた。
世界を滅亡させる力が己の手元にあると思うと、嬉しくて仕方なかった。
ようやく世界に報復ができる、と思ったのである。
巨大な魔方陣を床に書き、世界を滅ぼす呪文を作り上げ、その力の源として宝石箱を中央に据えた。
準備は完璧だった。
だが――その企みは失敗したのである。
「なぜだ!」
その絶叫が、ベイス・スターシアがこの世界に残した最後の言葉だった。
宝石箱は留め金と螺子を弾き飛ばし、世界を滅ぼす力を逆流させたのである。
はじめに作られた螺子ではなかった。
はじめに作られた留め金ではなかった。
後付けで、何の力も持たないそれらは、宝石箱の力を抑えるには役者不足だったのである。
世界を滅ぼし、何一つない無の世界にしてしまうはずだった力はすべてベイスに向かった。
ベイスは宝石箱に飲み込まれ、世界と世界の壁を越える――界渡りを果たしてしまったのである。