フェニス・R・リンク 5
誰もが囁いた。
北はもう終わりだと。
氷の女王の加護を失うのだと。
実際、他国もそう思ったのか、不穏な動きを見せ始めた。
フェニスには幸いな事に、天然の要塞であるセーイヌールの大壁――西側のものをガラディオ山脈、東側のものを蓬遠峰、またはシーニヴァール山脈とそれぞれの国の者は言うが、北ではこう言っていた――を越えて出兵するのは至難の業のようで、直接的な攻撃はなかなか来なかった。
情けない事に――と、後にフェニスは自身の行動を称した――フェニスが王冠を頂いて真っ先にやったのは、自室に閉じこもる事だった。
「フェニス様! 何をなさっています! 早くそこからお出になって下さいませ!」
「嫌よ! 散々いらない子供だと言っておいて今更王になれ!? 王になれば、女王なぞ不吉だ!? 冗談では無いわ!」
「フェニス様!」
そう言って扉を叩いていたのは、兄が特に親しんでいたアズリオ将軍だと言う事にも気付かなかった。
「フェニス様、閉じこもってはなりません。王宮を悪の巣窟にするおつもりか?」
「分からない事は我らにお聞き下さい! どうぞ、お願いですからこの扉をお開けになって下さい!」
思えばそうやって集まった数人が、後にフェニスが信頼する真の臣下になった者たちであった。
「アルカードお兄様を呼んで! お父様を蘇らせて! そうしたら私は王にならずに済むわ! 氷の女王にそう伝えるがいいわ!」
言い放って、寝台につっぷす。
拍子に、宝石箱が床にたたきつけられた。
黄金の留め金が壊れてはじけ飛ぶ。
リダールと共に、声が響いた。
北を切り開きし、偉大なる初代テルニダ王の時代。
王都からほど近い小さな村に、ひとりの少年が生まれました。
何の力も、何のとりえもない、ごく普通の少年でした。
ある時、北国に魔の者が現れ始めました。
人間が絶望した時に、暗闇から生まれ出る。
血肉を喰らい、国土を嚥下する。
闇よりも、海よりも、漆黒よりも暗い者。
甲殻類をつなぎ合わせた外見に、目鼻すらないただ口だけがぱっくり開いたその姿。
剣も効かず、弓も効かず、槍も効かず、拳も効かず。
人々は恐れ逃げ惑い、対抗する手段すらなく蹂躙され、人々が悲嘆にくれる中。
少年が立ち上がりました。
ひとり助け、ふたり助け。
助けても助けてもまだ助けを求める声が聞こえました。
ただの少年が、己の力だけで魔の者を討ち果たしました。
武器はただひとつ、その身だけでした。
けれどそれは打たれても倒れず、なぎ払われても立ち上がり、血を吐いてもあきらめませんでした。
北を切り開きし、偉大なる初代テルニダ王の時代。
王都からほど近い小さな村に、ひとりの少年が生まれました。
何の力も、何のとりえもない、ごく普通の少年でした。
けれどそれは打たれても倒れず、なぎ払われても立ち上がり、血を吐いてもあきらめませんでした。
武器はただひとつ、その身だけでした。
けれど、善い者が力を貸しました。
神々が力を与えました。
少年は、誰もが失くした希望を胸に、戦い続けました。
少年は、ついに、魔の者をこの世から消し去ったのです。
それは遠い遠い昔から、どこの国でも語られて、どこの国でも一笑に付される、ただの伝説でした。
ただの人から生まれでて、闇が消えると同時に消え去る、ただの伝説でした。
夢幻の類とされ、目をつむった闇の中にしか存在できず、目を開ければ消えてしまう、そんな伝説でした。
絶望の中に希望を見いだし、誰もがあきらめてもあきらめず、ただそれだけで地に倒れず、だからこそ誰にも存在を信じられない、そんな伝説でした。
それは物語の中の存在。それは子どもだけが讃える存在。
後になれば誰も信じず、後になれば誰もが笑い。ただ子どもだけが知っている。
そんな伝説でした。
少年は、伝説になったのです。