フェニス・R・リンク 2
フェニスが十二の誕生日を迎える数日前に、東の商人が来た。
なんでも、珍しい物をたくさん売っているとかで、フェニスも、兄や母と一緒に見に行ったのだ。
東の商人はでっぷりと太った男で、フェニスは彼をなんとなく嫌いだと思った。
「お前が、最近貴族達に異国の物を多く売っているという東の商人か」
兄が東の言葉でそう尋ねると、商人は驚いたように目を見張った。
「私が東の言葉を話せるのが不思議か?」
「はい……その、見事な発音でいらっしゃる」
それを聞いて、フェニスは兄の言っていた事は正しかったらしい、と内心で呟いた。
つまり、普通の王族は他国の言葉など知らない、という事である。
フェニスは、兄が熱心に異国の勉強をしていたのに触発され、ついでに兄と違い礼儀作法の講義以外を受ける事がなく暇だったために、兄に倣って他国の言語を勉強していたのである。
この頃には既に、公用言語であればどれでも、簡単な会話ならこなせるようになっていた。
今後の課題は、発音の精度である。
一部の者を除き、他国の言葉を使える者はいない。
そのため、東や西、南の言葉で話すと、回りの者にはその意味が分からない。
兄と異国の言葉で話すのは、暗号のようで楽しかった。
「そこの商人とアルカードは、何を言っているのかしら?」
隣に座った母が扇を口元に寄せてそう尋ねた。
「アルカードお兄様が東の言葉を話せるので驚いているのですわ」
「感心しない趣味だと思っていましたけれど、こういう時には便利なものですわね」
それでもまだ不快である証拠に、眉根を寄せて言う。
「――感心しない? そうかしら」
南の言葉でフェニスは呟く。
「王子様、お后様、王女様方にお見せしたいのはこの宝石箱なのでございます」
商人が笑顔を向けて言うのに、アルカードが怪訝な顔をした。
「……商人。この方は私の父の妻だが后ではない。お后様という呼び方は誤りだ」
その言い方があまりに、フェニスが文法やら発音の間違いをした時に注意する口調そのままだったので、フェニスは笑いをかみ殺すのに苦労する。
商人の方は、何の事やら分からない、という顔をしていた。
当然だろう。東方王国には北のような王の妻を神とした伝統がない。王の妻は后だと思っているはずだ。
「……左様でございますか。では、奥方様、とお呼びすれば宜しいでしょうか?」
「それならば構わぬ」
アルカードが応える。
「それでは、王子様、奥方様、王女様方。どうぞご覧下さい」
言って、宝石箱を捧げ持った女を呼び寄せ、三人によく見えるように掲げさせた。
「上蓋はかの有名な東の螺鈿細工! 螺子は銀で作らせ、金剛石をあしらわせ、留め金は金細工で有名な南のアレイダから呼び寄せました職人に作らせたもの。そして、何より珍しいのは、この宝石箱は物語を奏でるのでございます」
不思議な箱だった。
渦巻く模様が上蓋を占めている。
その模様が何より不思議なのである。
はじまりがどこか、おわりがどこか分からない。
円のようでも、螺旋のようでもあった。
見ていると引き込まれそうになるほど、魅力的な紋様である。
渦を巻いた螺旋は、視線をまずは中央へ導き、それが気付けば外側へと向かわされる。
かと思えば、また中央に向かうのである。
いつまで見ていても飽きない模様だった。
思うフェニスを他所に、商人が宝石箱の蓋を開ける。
模様が隠れて、はっとフェニスは我に返る。
一瞬、ここがどこかも。誰といるのかも。自分自身が誰なのかさえ忘れていた。
それほど集中していたのであった。