フェニス・R・リンク 1
フェニスは北の王家の王女として生まれた。
幼い頃には分からなかったが、他所の国について学ぶ間に気付いた。北は、非常に男性中心的な国家であった。
というのも、北の国の守護女神が氷の女王と呼び習わされる女性神であったために、玉座につき女神と婚姻を交わすのは男性でなくてはならなかったからだ。
そのため、北には后という概念がない。
王が婚姻を交わすのは唯一女神たる氷の女王だけであり、王の子どもを宿すのは、氷の女王の現身となるべく育てられた、巫女の仕事だったからだ。
同時に、女神の子である王子、王女も婚姻を許されない。
第一王子のみが氷の女神との婚姻を許され、他の子どもは一生独り身を貫き、女神の血を容易に下界に広めぬようにしなければならない。
女神は上界に住む高貴な存在であり、時折下界に吹雪をまといやってくる。
そして目に留まった者を気まぐれに連れ去るのである。
連れ去られた者は、下賎な下界の夢から醒め、女神の住まう上界に辿りつくと言う。
あるいは、女神に呼ばれ、この世で死ぬ事で上界に行けるのである。
北に住まう者は、みな不慮の事故で死ぬ事を恐れる。女神に呼ばれずに死ねば、上界に行けないと信じているからだ。
その女神が、下界に血を広げる事を好むはずがない。
そのため、王女であるフェニスは、王女という身分にありながら、政治的道具にすらならない、どうでも良い子どもとして育てられた。
王として氷の女王につかえる父。巫女として、氷の女王の声を聞く事を第一とする母。
フェニスにとって、第一王子の兄だけが親しむべき家族だったのである。
兄、アルカードは早熟な子どもだった。
自身と妹の扱いに差がある事に敏感に気付き、常に妹を気遣った。
また、非常に学問の好きな性質でもあった。中でも興味を示したのは他国の言語である。
アルカードは王宮という小さな世界の中で、広い世の中の事を知った。そして、妹にもそれを伝えた。
妹であるフェニスも、兄から様々な話を聞くのが好きだった。
兄より幼くとも、噛み砕いた表現で伝えられれば、理解する事ができる。
中でも、特に好きだったのは兄に物語を読んでもらう事だった。
「北の英雄の話をしてあげよう」
フェニスは、アルカードにそう言われるのが、大好きだった。それがフェニスの何より好きな話だったからだ。
「フェニスは本当に北の英雄の物語が好きだね」
ある時、兄に微笑みながらそう言われた。
「だって、アルカードお兄様みたいなんですもの」
「僕に? どこが似ているのかな?」
「あのね、優しいところ」
「優しい?」
「そうよ。優しくて、自分が傷ついても相手の人を助けてあげるの。それでね、絶対に諦めないの」
フェニスがそう答えると、兄は悲しげに目を細めた。
「アルカードお兄様はお父様みたいに王様になるのでしょう?」
「そうだよ」
「それは国の人みんなが傷つかないように手助けする事なんでしょう?」
兄がいつもそう言っていた。その受け売りだった。
「だからね、アルカードお兄様は、北の英雄と一緒なのよ」
にこり、とフェニスはアルカードに笑顔を見せる。
「できたら、そうなりたいと思っているんだよ」
「わたしもなれる?」
フェニスはそう尋ねた。
「フェニスはならなくても良いんだよ」
兄はそう答えた。
フェニスはそれをずるいと思った。
それがどれほどの決意を伴っていたのかを理解したのは、兄がいなくなってからだった。