フォア・ミン 1
長い長い時が経った。
あるいは、さほど長い時間ではなかったのかもしれない。
かつて、西国の薬師と東国の自鳴琴職人の娘の夫婦が住んでいたという家は廃墟になっていた。
しかし、そこに本当に人が住んでいたと言う証拠を手にしている者はいない。
ただ、長くそう言われていた。
あるいは、人によってはそれは仙人の夫婦であったという。
食べ物を手にするのも大変であろう土地に住んでいた事から、霞を食べるという仙人に発想が繋がったのだろう。
もっとも、そんな事はフォア・ミンにとってはどうでもいい事だった。
彼の価値観は非常にシンプルだ。
つまり、金になるかならないかである。
この辺りの山には金が出るという。
だから彼はこの山を買い占めたのだ。
その中に廃墟があると聞き、金目の物はないかとわざわざふもとからやってきたのであった。
ろくに期待はしていなかったが、伝説の仙人夫婦が住んだという家は山の上の方にあるという。
フォア・ミンの常識では、それは金持ちがわざわざそんな不便な土地に金をかけて家を建てたという事だ。
金がなければ、山の上の方などという場所に家が建てられようはずがない。
何せ、地元の民でも迷うような細い獣道しかないというのだ。
相当の金を積んで建てたのは間違いがない。
そんな家ならば、いかに廃墟とはいえ金目の物のひとつやふたつあってもおかしくはないのだ。
そんなわけで、フォア・ミンは大きく突き出た腹に難儀しながら、息を切らして山を登っているのである。
フォア・ミンというのは彼の本当の名前ではない。
彼は孤児で、名前を持っていなかった。
だから、自分でつけた。
同じように欲しい物は何でも手にしてきた。
彼を強欲だと罵る者も多いが、そんなものは彼に言わせれば何を手にする努力もしない者の戯言だった。
他者から奪い取ってでも得たければそうすれば良い。
もちろんフォア・ミン自身から何かを奪っても良い。
ただし、そうされないだけの力得る事に、彼はとても熱心だった。
仙人の住居だという廃墟にわざわざ登ったのは、もちろん金目の物があるかどうかというのが第一である。
だが、仙人の住処というくらいなのだから、何か不思議の力を得る事ができないかとも思っていた。
フォア・ミンは神には祈らなかったが、占いやら迷信の類を信じている。
もちろんそれを信じる土台に生まれ育ったのもあるが、彼はかつて不思議を見た事があった。
まだ彼が子どもの頃に、商いを覚えるために西の商船に乗った事があったのである。
しかし、何の原因か船は流され、東の海流に呑みこまれそうになった。
実際、そうして海流に呑まれ、永久に戻って来なかった者は多い。
フォア・ミン自身、自分もここまでかと絶望したものである。
彼らの商船には護衛船として海の民と呼ばれる南の民の船がついていた。
フォア・ミンは暴利な値段を自らにつける海の民を馬鹿にしていた。
何せ、自分たちには海神の加護があるので船が沈まぬというのである。
個人単位で運の良し悪しはあるかもしれないが、一族全体で運がいいなどという事はありえない。
たしかに、操船の技術は西の商船の及ぶところではない、腕っ節も強いという。
だが、それだけだ。
嵐には翻弄され、海流につかまれば死ぬしかない。
鼻で笑ったフォア・ミンは、年配の水夫にたしなめられた。
大金を払うからには、その理由があるのだと。
彼は奇しくも、その奇跡を目の当たりにする事になったのである。
ガラディオ山脈から吹き降ろす季節風と、凶暴な悪魔の海流、そして嵐にまで見舞われ、誰もが諦めた時、海の民の少女が立ち上がった。
紅い髪を振り乱し、紅い瞳にきつい光を宿し、皆を鼓舞した。
お前たちは何だ、と訊いた。
海を住処とする海の民と、海に命をつなぐ西の商人ではないのか、と問われた。
命と技術に値段をつけ、決して死ななかったから今ここにいる船夫、そうではないのかと問われた。
幼稚と言えばそれまでの科白だった。
だが、これより酷い嵐を知っている、と言った者がいた。
だが、これより酷い季節風に見舞われた事がある、と言った者がいた。
だが、これより酷く海流に近づいてしまった事がある、と言った者がいた。
足りないものは何ひとつない、と彼女が言った。誰もが失くした希望は、彼女が持っていた。
荷は流された。――しかし、船と命は助かったのである。
フォア・ミンは、誰に迷信深いとせせら笑われても、不思議を信じた。
それほど風と嵐は酷く、海流はすぐ側まで来ていた。
帰港した船を見て、誰もが奇跡だと声をあげた。
フォア・ミンもそう思った。
不思議の力は確かにあり、そしてそれは実際的な力を持っている。