セイ・ディルナーク 2
「悪りィね、兄さん。この間の嵐で桟橋が壊れちまってな。修復が終わるまで船が出せねぇんだ。宿でも取っといてくれ」
カラル・ベラルの港についてすぐに言われたのはそんな言葉だった。
「いつ頃直りますか?」
「さぁね」
にべもない回答に、嘆息する。
仕方なく、言われた通りに宿を取った。
船が出港できないとあって、宿はどこも混み合っていた。
セイがなんとか滑り込んだのは、青いカモメ亭という食堂兼宿屋。
一階を食堂、二階を宿にしているらしい。
大通りから数本奥まったこの宿は、四軒目の宿を断られた時に、宿の主人が教えてくれた宿だ。
もっとも、宿屋とは名ばかりで、連れ込み宿の意味合いが強い。
そういった宿の中でもまだマシな方だから、と教えられた。
値段も良心的で料理も美味しい。
これに暖かい寝床があるのだから、これ以上言う事はない。
不意に暖炉の近くがにぎやかになる。
何事かと見てみれば、リダールという西国の弦楽器を抱えた吟遊詩人がいる。
「さぁて、皆様、どのような話をお望みか? 東国の山奥に住むという仙女の話? はたまた西国の果ての果てに住む異端の呪術師の話? 南国の宝玉と称えられた島に眠る財宝の話? それとも、北国の媼が伝える神話の英雄の話?」
芝居がかって詩人が言えば、店中の客がやんやとはやし立てる。
「西国のギランタール遠征のウルリーケ王子の話は? 南国の暴君ヴァルク王の話は? 東国屈指の貴族の悲恋の話は?」
吟遊詩人が問いかければ、誰かが「お貴族さまなんざクソ喰らえ!」と叫んだ。
店内がわっと盛り上がる。
「北国の話を!」
大切に持ち歩いていた自鳴琴を、油紙から取り出しながら、セイが叫ぶ。
せめてこの吟遊詩人の話を婚約者への土産にしようと考えたのだ。
――ならば、自分の話す事のできない北国の物語を。
セイのその声は、不思議と店内の喧騒を越えて、吟遊詩人の耳に届いた。
「では、北国の英雄の物語を!」
言って、吟遊詩人がリダールをかき鳴らす。
北を切り開きし、偉大なる初代テルニダ王の時代。
王都からほど近い小さな村に、ひとりの少年が生まれました。
何の力も、何のとりえもない、ごく普通の少年でした。
ある時、北国に魔の者が現れ始めました。
人間が絶望した時に、暗闇から生まれ出る。
血肉を喰らい、国土を嚥下する。
闇よりも、海よりも、漆黒よりも暗い者。
甲殻類をつなぎ合わせた外見に、目鼻すらないただ口だけがぱっくり開いたその姿。
剣も効かず、弓も効かず、槍も効かず、拳も効かず。
人々は恐れ逃げ惑い、対抗する手段すらなく蹂躙され、人々が悲嘆にくれる中。
少年が立ち上がりました。
ひとり助け、ふたり助け。
助けても助けてもまだ助けを求める声が聞こえました。
ただの少年が、己の力だけで魔の者を討ち果たしました。
武器はただひとつ、その身だけでした。
けれどそれは打たれても倒れず、なぎ払われても立ち上がり、血を吐いてもあきらめませんでした。
北を切り開きし、偉大なる初代テルニダ王の時代。
王都からほど近い小さな村に、ひとりの少年が生まれました。
何の力も、何のとりえもない、ごく普通の少年でした。
けれどそれは打たれても倒れず、なぎ払われても立ち上がり、血を吐いてもあきらめませんでした。
武器はただひとつ、その身だけでした。
けれど、善い者が力を貸しました。
神々が力を与えました。
少年は、誰もが失くした希望を胸に、戦い続けました。
少年は、ついに、魔の者をこの世から消し去ったのです。
それは遠い遠い昔から、どこの国でも語られて、どこの国でも一笑に付される、ただの伝説でした。
ただの人から生まれでて、闇が消えると同時に消え去る、ただの伝説でした。
夢幻の類とされ、目をつむった闇の中にしか存在できず、目を開ければ消えてしまう、そんな伝説でした。
絶望の中に希望を見いだし、誰もがあきらめてもあきらめず、ただそれだけで地に倒れず、だからこそ誰にも存在を信じられない、そんな伝説でした。
それは物語の中の存在。それは子どもだけが讃える存在。
後になれば誰も信じず、後になれば誰もが笑い。ただ子どもだけが知っている。
そんな伝説でした。
少年は、伝説になったのです。