全ての振り出し
蛍がなにやらカルチャーショックじみたものを感じている間、その後では、神とウェルウェディンが、契約交渉をしていた。
「契約内容的には大丈夫だが、金額的に足らないな」
「次元を渡るわけでなく、世界をスライドさせるだけなのだがな」
ここは神が作った箱庭世界。勇者の資質を持つ者を招き入れ、その資格者であるかを選定し、そうでない場合は、元の世界に送り返すための、いわば、フィルターのようなものだ。
実際、ここまで来たものは、何人か居たのだ。けれども、最後の試練とも言うべき、神の姿を視認することが出来なかった。
そんな中、蛍はあらゆる意味でパーフェクトに近い状態で、この世界をクリアしたのだ。
ただ、問題は。
「これはここの世界でしか通用しないものだろう」
通貨を見せ、ウェルウェディンはそう言った。あくまでこの通貨は、神の力であるから、通貨と言うよりは力としての認識の方が正しくはあるのだが、それが発揮されるのは、確かにこの世界と限定されている。
「取引をしないか?」
ふっと良いことを思いついた問うような、楽しそうな神の声に、ウェルウェディンは首を傾げる。
「あちらの世界に渡るための肉体を用意しよう」
それは、蛍と同じ状態と言う事だ。もっとも、ウェルウェディンの肉体は、この神の箱庭に置いていくことになるため、蛍のように時間停止は適用されない。
けれども、ウェルウェディンには、それは関係のないことだった。
もとより呪いで、これ以上歳を取らない不老不死の体にされた。そのために、ウェルウェディンは世界に拒絶されたのだ。
魔王をたった一人で倒したほどのものが、不老不死になってしまったら、誰にも倒すことなど出来ない。
「最初からやり直すのも悪くないだろう?」
クスクスと神は笑う。それはきっと、蛍にとっては予想外のことであろうことが分かっているからだ。
とは言え、今まで培ってきた物が全て無くなってしまうわけではないから、普通よりも上達速度は速くなる。それは、蛍にも言えることだ。
「そうか。それも悪くないな」
強くなりすぎてしまったウェルウェディンを許容出来る世界は少ない。
この神の世界は、まだまだ成長の隙が残っているため、ウェルウェディンすらも難無く取込むことが出来る。それでも、今の肉体でいかれるよりは、用意した肉体で渡る方が世界にかかる負荷は低い。
「よし、それで手を打とう」
色々と考えた結果、ウェルウェディンはそう結論づけた。
ちなみに、ティムには神の姿は見えないため、何を話しているのかさっぱりだったため、世界を渡ってから、悲鳴を上げたのだった。
「振り出しに戻った上に最初から」
事情を全て聞いて、蛍は、渡った世界でガックリと膝を付いた。
酷すぎるにも程がある。と言うか、蛍は、今の状態を見て、本気で肩を震わせていた。
「長老のド阿呆とのやりとりから本気でやり直しなのかっ」
蛍の叫びに、ウェルウェディンは笑いながら。
「俺ははじめて見るから楽しいぞ」
と、まったくもって慰めにならない声を掛ける。
きっと誰にも分かるまい。
ただ、世界に許容されるというただそれだけのことが、どれほどに嬉しいことか。
もっとも、足元を見られた感は否めはしない。それすら構わないと思ってしまうのだから、仕方がない。
「ほら、蛍。行こう。本当の魔王退治はあんなものじゃすまないと思うぞ」
「あーっ。やるしかないし、死にたくないし、やりますよっ」
そう言って立ち上がった蛍は、ウェルウェディンを見て、照れくさげに笑った。
「でもまあ、一人じゃないから、良いってことにしとくよ」
そう言うと、蛍は巫女を連れ、長老の所へと走っていく。
これから始まることをウェルウェディンは何も知らない。蛍と一緒に歩いた道も、多分ここにはあるのだろうけれど、あの時とは違って見えることだろう。
弱い幼い自分。切られれば傷付くという当たり前のこと。
それを実現してくれるこの世界を、本当は出来るだけ長く味わいたいのだと言ったら、きっと蛍は怒るだろうなと思い、ウェルウェディンは苦笑した。
願わくば、別れの時が出来るだけ遠いように。