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噂というものは勝手に流れていく。これこそ、止めても無駄な物で、人の口に戸は立てられないとはよく言ったものだ。
実物は見たことはなくても『軍神の巫女姫』がこの国に降り立ったという事実は国中にまことしやかにささやかれるようになっていた。
まだ、ただの『巫女』というならどうにかなったかもしれないが、その冠までもが流れていて、冷戦状態だった戦が終わるころには、アスカという存在は民に認知されていた。
民の混乱と戦中という危うい状況の中シオンを隠したことをこの時ひどく後悔した。先の戦が終わった時に公にしてしまえば良かったのに…。
この時私は、アスカを連れて戦に赴いたものの、シオンは王宮に残したままだった。
宰相からの定期的に来る便りによれば、良く部屋に籠って楽器を鳴らし、時に歌を歌うと記されていた。
王宮にいた時は、よくその音を風が運んで聴かせてくれた。聴いているだけで、落ち着く不思議な音色。
アスカが現われるより前に私はシオンに好意を抱いていた。シオンは巫女姫という立場、このままいけば、夫婦になることは簡単に叶うはずの夢だった。
その夢は、私が彼女の冠を間違えたことと、『軍神』に相応しい人が他に現れたことで、困難なものと変わっていった。
臣達の意見はアスカを娶るべき、本物の『軍神の巫女姫』を娶るべきだとして頑なに譲らなかった。
『今代の巫女姫様は、その冠に相応しいアスカ様なのはお分かりでしょう?シオン様では軍神には成り得ません。彼女に何が出来ましょうか』
軍神という冠に縛られる。巫女が女であった場合時の王が娶るのが通例。
ただ、『軍神の巫女姫』には既に思い人がいた。
アスカは、戦が終わって城に帰ってくる道中告白したのだ、そう言っていた。その報告してきた時の顔が嬉しそうに綻んでいたから、答えなど聞かずともどうなのかは、わかっていた。
相手の名を聞いてみれば、確かにアスカは相当懐いていた気がすると納得してしまう人物の名だ。それに、私も信頼している人物で、何も申し分ない。
だからこそ、私は臣達の前で、台本有りの猿芝居の告白をした。そうして、彼女は臣達に向かってはっきりと断ってくれた。
きっと、この時だったらまだやり直せたかもしれない。
この時にシオンにアスカを会わせていたら変わったかもしれないと、後悔ばかりが押し寄せる。
シオンのことを考えることを忘れて私はひとり善がりに全てを進めていたんだ。
戦から帰って来て、サリューがシオンのところにいると聞いた時は、ただ嫌だったんだ。自分以外が彼女の側にいるのが。だから、シオンがどう考えているのかも考えず、サリューを王宮から出した。彼女の味方を一人ずつ私は奪っていた。
そして、事後処理に追われる間に何度かシオンに会いに行こうとしたものの、丁度良くなにか問題が浮き上がってきたり、シオンの方から拒否されるということが、長らく続いていた。
この時無理矢理会いに行っていればよかった。シオンの侍女にまで話が通る前にこのアーリアが全て話を握りつぶしていたんだ。とても野心家なアーリアは、私よりも人を使うということに長けているようだ。
会えないなりに私はシオンに楽器などを送っていた。送れば、シオンがその楽器を鳴らしてくれるから、そしてその音を聞くことができる。ただ、それだけが私と彼女を繋いでいたもの。
美しくかき鳴らされるその音に陰りが見え始め、時たましか鳴らなくなった音に心配はしたものの、シオンから会うことを拒否されていると思っていた私はここまで来ても無理に会おうとはしなかったんだ。
「アーリア、この書類にサインを。私の名前はもう書いてある。早速結婚しよう」
カルス・ハーシバル=フィリスト・ルカディア
本当の継承条件である能力がない私に『ローランド』が受け継がれることはない。その名前をいくら私が欲しいとあがいても、手に入ることのない名前。それを持っているサリューに私は表面で優しい兄を装って裏では、妬んでいたのも確か。
机の上に置いてある巻物を手にとり、紐を外し中身を少しだけ開いて私の名前のサインを見せ、その下に名前を書く様に誘導する。
「カルスったら…気が早いのね」
「そんなことないよ。ずっとこの時を待っていたんだから」
シオンが私の手元から離れて数カ月。
その間に、先々代の王が私の執政を陰ながら手助けしているので、今までよりもずっと執務がやりやすくなった。
そして、教えられたのがこの黒幕の存在。
その後調べれば、調べるほど出てくるアーリアという存在。そして、こんなにもはっきりと証拠が出てくるのに言われるまで気付くことのなかった自分の不甲斐なさ。
「さあ、ペンを」
ペン先にインクをつけて渡せば、アーリアは満足気に微笑む。
早くサインすれば良いのに…そうすれば君を繋ぐ鎖になる。
「ありがとうカルス」
サラサラとアーリアは書きなれた自分の名前を書く。
中身すら確認しない馬鹿な女。
「ありがとうアーリア」
さあ、これで君を破滅へ。
今私はきっととても綺麗に笑えていると思う。これが、私のシオンへの貫く思い。身勝手にも、ね。