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大切だった。でも…もういない人へ私ができるのは、これぐらい。
心変わりをしたわけじゃなかった。王という立場を尊重してしまったから。
時間は戻らないから、嫌われるぐらいなら。シオンが傷ついているなら、その記憶を消してしまおうと思った。私がすることはできないけど、出来る者が私の側にはいるから。
もう一度最初からやり直して、好きになってもらって。
もう一度、王としてじゃなく、カルスとして側に居て欲しかった。それで、手放さないつもりだった。
何よりも大切だったはずなのに、私は自分から立ち切ってしまった。
「アーリア、君さえ良かったら…の話なんだ、臣達からはもう良い返事を貰っていて。」
シオンが好きだと言ってくれた微笑みを顔に張り付ける。こんなこと私には造作もないことだ。
王の執務室にアスカ付きの侍女を呼んだ。そう、全ての元凶はこの女。
この女さえいなければ、もっと早くに私がこの女の本性に気付いてシオンを守ってあげられたなら…今あるこの先の未来とは違って、彼女はこの腕の中にいたかもしれない。
「カルス!カルスが良いと言ってくださるなら、私喜んでそのお話を受けさせていただきますわ」
しおらしく頬を染めるアーリア。この国でとても美しいともてはやされるだけあってその微笑みはとても美しい。ただ、それは外見だけの話――。
アーリア・ヒルデ・カーチェスト
この国創生の時代からある由緒正しい血筋の生まれであり、今代のカーチェスト家当主の唯一の子ども。カーチェスト家は高い民選意識からか、妻は一人しか娶らなかった…ただ、妾が何人いるか定かではないが。彼女はカーチェストの名を持つ唯一人の公に立つことを許されている子どもだ。この家は王妃を何人も排出している家でもあり、何度か巫女を夫とする妻がいた家でもある。
父の本当の第一子である兄の婚約者でもあったのが、アーリア。上手くいけば王妃の座も転がって来たかもしれない。
ただ、私の母が自分の子ども以外を王の子と呼ぶのをヒステリックになるほど嫌がったため当時父はそのすべての子を庶子とした。ただ、それも私の母である王妃が死ぬまでの話だったが。
庶子であるが王の第一子である兄の婚約者は縁の深いカーチェスト家の娘。そしていずれ兄はカーチェストの当主となることとなっていた。
庶子としての生まれということになっても兄は王宮で実母のもとで育っていたので、私が彼と共に遊び、懐くのは必然だった。そして、その婚約者であるアーリアにも。
「アーリアと兄さんは相思相愛で、私のことなんて何とも思っていないと思っていたよ。良い返事が聞けて本当に嬉しい、ありがとう」
「だって、本当はずっと貴方を愛していました。ですけれど、私は婚約者がいる身…この思いは一生口にすることの出来ないものだと諦めていたのです。それにカルスの前には巫女姫様が現われて、もう駄目だと思ってずっと胸が張り裂けそうでしたの」
わざとらしく瞳に涙をためる女。兄さんが生きていた頃、三人で王宮内でよく遊んだ時もそうやって愛を囁いていたと思い出す。唯の茶番。
「そうだったんだね、アーリア。気付かなくてごめん、巫女姫を召喚したのだから使命に従わなくてはそう思っていて。アーリア、私を見て?愛しているよ」
シオンに面と向かって言うのは恥ずかしくて言ったことなんてなかった。心の中では何回も唱えた、まるで呪文の様に。一回も、彼女の前で言葉にすることはなかったけど。
なのに、どうして今はこんなにもスラスラとまるでセリフでも話しているかのように出てくるのか。指先は、血が本当に通っているのかというぐらいに冷たい。
憎いだけの女。
でも、この女を堕とせる。ただの私の自己満足だということは分かっているけど。そのためならなんだってできる。
憎いだけのこの女に睦言だって容易く語れる。
「カルス!!!」
アーリアに向かって少し腕を広げて待っていると、待っていましたと言わんばかりに女はこちらに抱きついてくる。
そして、濡れた瞳を服に押し付けてくる。
ああ、せっかくの服が濡れる。
シオンが泣いて抱きついてくれた時はいくらでも濡らせばいいと思った。私の前でならいくらでも泣いてくれと思ったのに――。
アーリアをずっと好きだったが、兄の婚約者だった、そして私は王位について巫女姫を召喚した立場。通常なら私は巫女姫と婚姻関係を結ぶこととなっていたが、今この国に降り立った巫女姫は二人とも王の許から離れて行った。
巫女姫という障害がいなくなった今愛しているアーリアと結婚したい。その想いに歯止めが利かなくなって求婚した男。そんな陳腐な設定だった。
背中にまわされたアーリアの腕に応える様に強く抱き寄せる。憎いだけのアーリアに『愛してる』偽りの熱い感情を舌に乗せて囁く。
シオンに向かって言っているのだと…自分にそう思わせて、繰り返し女の耳に唇を寄せて言う。
今代、稀なことにこの国には二人の『巫女姫』が現われた。
最初に現れたのは戦の真最中。私は『国の安寧と平和』を願って、現われたのがシオンだった。
ただ、常ならばすぐにでも公表されるべきその存在は戦の最中という配慮もありシオンという存在は一部の者にしか公表されなかった。
そして、もう一人。私が王宮から離れている間に神殿に降り立ったという巫女姫。どちらが本当の巫女姫なのか、それは明らかだった。
私がつけてしまった巫女姫の冠は『軍神』それに見合うのは二人目の巫女姫、アスカだ。
私がいない間、アスカは軍の鍛錬を軍人と同じようにしていて、王宮の軍に属している猛者も何人か倒したらしい。そして、その半年後に長らく冷戦状態が続いていた場所で戦火の狼煙が上げられ、そこで彼女は多くの功績を立てた。
『軍神』に相応しく。
先の戦で、王が城を出るために必要だったのは闘いの巫女だと私は思っていた。巫女が戦場で戦っているのに、自分が城にいるわけにはいかない、その理由を作るために。
自分が巫女に何を願ったのかも忘れて。そして、シオンでは成りえるはずもない『軍神』という冠を私は自分勝手につけた。