あなたが幼なじみを優先するので、わたしも幼なじみを優先いたします。
「我ながら力作だわ、このクッキー。ハーブティーとも相性抜群ね」
私の名前はリリーローズ。ロイシュ伯爵家の長女、16歳。
テーブルの上にはお気に入りのハーブティーと、手作りのクッキーが並んでいる。
「……でも、一人でいただくには量が多すぎるわね」
本当なら今日ここには、婚約者であるアルベルトもいるはずだった。けれど。
"申し訳ない。エミリーが風邪を拗らせてしまったようで、見舞いに行かなくてはならなくなった。お茶会はまたの機会に"
"エミリーは昔から身体が弱く、すぐに体調を崩すんだ。それに加え、こちらの領地に来るのも久しぶりで、彼女には親しい友人が俺しかいない"
ここ最近はずっと、二人で会う約束が果たされることはない。
エミリーはアルベルトの幼なじみで、私たちより一つ年下のご令嬢。父親の仕事の関係で今年から再び、アルベルトの家のすぐ近くのお屋敷で暮らすことになったそうだ。
"リリーローズ、いつもエミリーが申し訳ない"
彼女は何も悪くない。むしろとても気の毒だと思っている。アルベルトが私との約束より彼女を優先するのは仕方がないことだ、とも。
だから、最近は私も、
「ユーリ、こんにちは。おじゃましてもいいかしら?」
「いらっしゃい、リリー。もちろんだよ」
我が家のすぐ近くに住む、これまた一つ年下の幼なじみ、ユリウス……もとい、ユーリのお屋敷を尋ねることが多い。
お屋敷、といっても本当は彼の家の別荘なのだけれど。
「ユーリ、体調はどう? 近頃はめっきり寒くなってきたけれど」
「気遣ってくれてありがとう。最近はほとんど咳が出なくなったよ。リリーが調合してくれるハーブティーを毎日飲んでるおかげかな?」
「良かった! 今日はクッキーも焼いたの」
「本当? 嬉しいな」
ふわふわの金髪にサファイアブルーの瞳を持つ、とても美しい男の子。
この天使のように可愛いユーリと出会ったのは、私が八歳の頃。彼の父親であるストラテーゲ公爵が、病気がちな彼を療養させるため、この地に別荘を建てたことが、私たちの交流の始まり。
「リリーと初めて会った時も、君は僕に手作りのクッキーをプレゼントしてくれたよね」
「ものすごく不格好なクッキーだったから恥ずかしいわ……」
「何言ってるの。一生懸命作ってくれたんだろうなって思って、僕、すっごく嬉しかったんだから」
「……昔からずっと変わらず、ユーリは優しいわね」
眉を下げて苦笑する私と、えへへと満面の笑みのユーリ。私たちはまるで姉弟のようだ。二人で過ごす時間はとても楽しく、心地良い。
「リリー。この前、お父様がまた本をたくさん持ってきてくれたんだ。君が好きそうな恋愛小説もいくつか混じってたから、良かったら今日読んでいかない?」
「えっ、いいの?」
「もちろん。ティータイムしながら、一緒に読書もしよう」
「嬉しいわ、ありがとうユーリ」
「ふふ、こちらこそ」
一日を部屋の中で過ごすことが多いためか、ユーリはよく読書をしている。
本棚には小説の他、政治・経済の本、そして薬学・医学書までがズラリと並ぶ。
そんな中から、私はタイトルが気になった恋愛小説を一冊、手に取った。
「 "あなたの心の傷を癒すのは、わたしだけの特権" 。……そういえば、アルベルト様とエミリーさんは、確か八年来のお友達だったかしら。きっと、誰よりもお互いのことを思い合っているのでしょうね」
「……リリー。今度、アルベルトさんを観劇にでも誘ってみたらどうかな? 彼、きっと喜んでくれると思うよ」
ユーリにはアルベルトの事情を話してある。
「でも……もし当日にまた、エミリーさんの体調が悪くなってしまったら」
「でも、悪くならないかもしれないでしょ?」
そう言って、彼はウインクをする。
「リリーが遠慮ばかりする必要なんてないよ。アルベルトさんの婚約者は君なんだから。ね?」
「……そうね。いま街の方で話題のオペラをやっているはずだから、彼のこと、誘ってみるわ」
「うんうん」
ユーリの言葉に励まされ、アルベルトをオペラに誘うと、"是非" という返事が来た。
私の胸は、とても高鳴っていた。
けれど、オペラの当日。
劇場にはなぜか、アルベルトと、そして彼の幼なじみであるエミリーの姿が。
「今日はエミリーの体調がとても良くて。自分もオペラに行きたいと駄々をこねるものだから一緒に連れてきたんだ」
少し困ったような彼と、彼の腕にぎゅっと手を回しながら、周りをキョロキョロと物珍しげに見ているエミリー。
私と目が合うと、可愛らしい笑みを浮かべながらニコリと笑う。
「そう……だったのですね。あの、エミリーさんはチケットを?」
「いや、今から当日券を追加で購入しようと思っている」
「……それならば、こちらをお使い下さいな」
私はハンドバッグから公演のチケットを取り出し、彼へと差し出す。
「これは君のチケットだろう?」
「ええ。どうぞ、お二人で観ていらして下さい」
「……! リリーローズ、それは出来ない」
「でも、とても人気の演目ですし当日券はすでに売り切れのようですわ」
「それなら俺の分を……」
「いいえ。劇の途中でご気分が優れなくなられるかもしれませんし。アルベルト様がそばにいないと、きっと彼女もご不安でしょう」
「しかし……」
「お気になさらず。私は次の機会に伺いますわ。さあ、もうそろそろ開場ですからお行きになって下さい」
アルベルトはこちらを気にするように、何度も振り返ってくる。私はその度に笑顔で手を振った。
「……また、予定がなくなってしまったわね」
けれど、二人が劇場内へと消えた途端、心にぽっかりと穴が空いたような虚しさを感じた。
私はきっと、アルベルトに期待していたのだ。気軽に行うお茶会ではなく、ちゃんとチケットを手配するオペラのような、先延ばしの出来ない約束ならば、彼は必ず守ってくれるのではないか、と。
でも、結果はこれ。さすが少し、目頭がにじみ出す。
「リリー」
「……ユーリ? どうしてここに……」
けれど、それはすぐに止まった。驚きで。
「君が楽しそうにオペラの話をするから、僕も観たくなっちゃって」
「一人なの? 外に出て大丈夫?」
「うん、大丈夫。今日は朝からすごく元気で気分が良かったから。本当はお父様も一緒に来るはずだったんだけど、急な仕事が入って来れなくなっちゃったみたい」
「そうなの……残念ね。でもユーリの体調が良いのは嬉しいわ」
「いつも気遣ってくれてありがとう。
……ねえ、リリー。よかったら僕と一緒に、今からオペラに行かない?」
「えっ?」
「ごめんね、実はさっき見てたんだ。君がご令嬢にチケットを譲ってるの。
あの二人がアルベルトさんとエミリーさんでしょう?」
「……ええ」
「リリーは僕と一緒に観るの、嫌?」
「……そんなことあるわけないわ。だって、ユーリと一緒なら、どこへ行っても何をしても楽しいもの」
「えへへ、良かった」
ユーリはいつものように、人懐っこい笑みを浮かべた。
「今夜は僕に、素敵なレディのエスコートをさせて下さい」
けれど、そう言って手を差し出してくるユーリは、なんだかいつもより大人びて見えた。
「リリー、どうか俯かないで。顔を上げて。君が進む未来には、きっと素敵な人生が待っているから」
「例えばオペラとか」と、彼がウインクする。
「……ふふ。もう、ユーリったら」
私はやっと、心から笑うことが出来た。
やっと、決心することが出来た。
翌日、私は両親にアルベルトとの婚約を解消して欲しいと伝えた。
彼らは戸惑っていたが、執事からなんとなしに事情を聞いていたであろう父が、「お前が望むなら」と、私の話を聞き入れてくれた。
アルベルト側はというと、初めはこの申し出を不服とし、かなり渋っていたとのこと。
けれど三か月を過ぎた頃には、向こうはこれを受け入れ、慰謝料も辞退すると返答してきたそうだ。
「リリー、最近はなんだか表情が明るいね」
「そうねぇ。悩みなく、ユーリと毎日ティータイムを過ごせているからかしら?」
「手作りお菓子も全部消費出来るし?」
「ユーリが喜んでくれるからつい、たくさん作りすぎちゃう」
「これからも毎日、リリーのお菓子が食べたいな。あ、二人で一緒に作るのも楽しそうだね。
ねえ、リリー。明日も明後日も、これからもずっと、僕と一緒に過ごしてくれる?」
「ふふ、もちろん。私、あなたのことが大好きだもの」
「……そうなんだ。じゃあ僕も、これからは遠慮せずに君を口説くね」
「……ん?」
最後の言葉に目を見開いたのも束の間。
ユーリは「スキあり!」と私の頬にキスをした。
「ユ、ユーリ?」
「だって、リリーはこれから先もずっと、ずーっと、僕のことを大好きでいてくれるんでしょう?」
「そ、それは、」
「君が進む未来には、僕がずっとそばにいる。
一緒にティータイムを過ごして、一緒に読書をして、一緒にオペラへ行こう。
ずっと、二人で約束し合おう」
一番近くにいて、……一番、私の心に寄り添い続けてくれた幼なじみ。
彼は優しく微笑みながら、赤く染まってしまった私の頬を愛おしそうに撫でた。
「君の心を癒すのは、僕だけの特権だよ」
・・・・・
なんて。
全ては僕の、手のひらの上。
・・・・・
僕の名前はユリウス。ストラテーゲ公爵家の四男、15歳。
赤ん坊の頃からずっと、身体が弱かった。
他の兄弟のように、なかなか外には遊びに行けないし、アカデミーにも通えない。
屋敷には毎日、家庭教師が来てくれるけれど、その他の時間は読書をして過ごすしかなかった。
「初めまして。私はリリーローズ。よかったら一緒に絵本を読まない? 手作りのクッキーも持ってきたわ」
けれど、身体が弱くても良いことが一つだけあった。
それは療養先で、僕より一つ年上の女の子、リリーと運命的な出会いを果たしたこと。
赤みがかった褐色の髪と琥珀色の瞳を持つ彼女は、身も心も全てが美しい人。
「ユーリ、体調はどう? 近頃はめっきり寒くなってきたけれど」
心優しいリリーは日々、僕のことを気にかけてくれる。毎日が穏やかだった。
……けれど。
「アルベルト様とエミリーさんは、確か八年来のお友達だったかしら。きっと、誰よりもお互いのことを思い合っているのでしょうね」
数か月前。エルネスト侯爵家の長男、アルベルトとかいう男と彼女が婚約をしたと聞いた時、自分の中の "何か" がガラガラと音を立てて崩れ始めた。
「リリー。今度、アルベルトさんを観劇にでも誘ってみたらどうかな? 彼、きっと喜んでくれると思うよ」
なんてね。
あの男は "来ない" よ。今日のお茶会だって来なかっただろう?
だって、全ては僕がそうさせているんだもの。
「お父様。来月に行われる医療施設建設事案の会議資料、もうまとめ終わったから目を通しておいてくれる?」
「ユリウス、いつもありがとう。お前の知識の多さには本当に驚かされてばかりだよ」
僕の部屋の本棚には、政治経済、薬学、医学書、小説までなんでも揃っている。
一日の多くの時間を読書に充てているのだから、知識を得るのは容易い。
「それに比べ、お前の兄たちはみな揃いも揃って、やれ王国騎士団に入るだの、ガラス細工職人に弟子入りするだの、船で世界を一周してくるからあと十年は帰らないだの……本当に頭が痛い」
「ふふ。お兄様たちは家の中にいるより、外に出て身体を動かす方がお好きだから。
でも、僕はお父様のお仕事をお手伝いする方が何倍も楽しいって思ってるよ」
「ユリウス……」
僕は、父が未だ愛してやまない、亡き母によく似た顔でにこりと微笑む。
ちなみに兄たちに以前、『騎士物語』や『失われゆく伝統職人』や『男の夢・ザ・船乗り』といった本を読んであげたのは、この僕。
使えるものは何でも使う。
おそらくは父も、年齢と共に身体がずいぶんと回復している僕のことを、上の三人の兄たちよりこの家の跡取りに向いていると思い始めている。
よしよし。リリーを囲う準備は着実に進んでいる……
と思っていたのに、一歩手前でアルベルトとかいう突然現れた侯爵令息に彼女を掻っ攫われるという、予定外の事態。
「……医療施設建設事案の会議には、エルネスト侯爵という方も出席するみたいだね」
「彼は慈善活動にかなり力を入れている人だ。困っている人を放って置けない、優しい性格をしているよ」
「ふうん、そうなんだ……」
でもまあ、これで諦めるような僕ではない。
だてに八年間も片思いしていないのだ。
僕はすぐに行動した。
「ユリウス様、こちらが調査内容です。エルネスト侯爵は自身の領民にはもちろん、知り合いの貴族の方々にも医療支援を行っているようです」
「調べてくれてありがとう。その支援を受けている貴族の家人で、14歳から18歳くらいまでのご令嬢っている?」
「クレン男爵家の次女、エミリー様がちょうどそれに当たられますね。彼女は15歳で、幼い頃はエルネスト侯爵の長男でいらっしゃるアルベルト様に、とてもよく懐かれていたとか」
幼なじみの、妹のような女の子。
雇った情報屋によると、エミリーの父親は仕事の関係で昔はよくエルネスト侯爵の家を訪れていたそうだ。今はそうでもないらしいが。
「エミリー嬢のその後の様子は?」
「相変わらず、お身体の調子があまり良くないようです。家に篭りがちでアカデミーにも通えず、ご友人もごくわずかだとか」
「なるほど……それは気の毒に」
本当に気の毒すぎる。
このご令嬢はたったの今から、僕が動かす、盤上のコマの一つになるのだから。
「今日もエミリーさんの体調が悪いみたいで、アルベルト様にお茶会を断られてしまったわ」
僕の計画通り、エミリーはアルベルトのすぐご近所に、彼女のばあやを連れて引っ越してきた。
さぞ、心細いことだろう。両親は仕事のため引き続き本家にいることも多いし、彼女の姉はすでに結婚して家を出ている。
気心知れたばあやはいるが、同年代の友人はきっと一人もいないはずだ。
「もう三度目になるけれど……彼女、大丈夫なのかしら」
大丈夫だよ、リリー。何も心配することはない。エミリーには、幼なじみのアルベルトを充てがってあるから。
同年代の友人の役も、兄弟の役も……恋人ごっこの役も、あのクソ真面目で面倒見の良い男が、全て引き受けてくれているよ。
「アルベルト様との婚約の解消を、エルネスト侯爵家に申し出ているのだけれど……なかなか受け入れていただけないみたい」
まだ渋っているのか、あの男。
婚約者とのお茶会よりも幼なじみを優先するバカ。
婚約者とのデートに "一人で来ず" 、幼なじみを連れてくるようなクズ。
……まあ、全ては僕の計画通りなんだけど。
リリーとアルベルトがお茶会の約束をするのは、決まっていつも昼下がり。
エミリーはというと、朝は比較的落ち着いているようだが、太陽が昇りきる昼間から夕方にかけては体調を崩していることが多い。
当然、僕は把握している。
あと、エミリーは家に篭りがちなので街に出ることに憧れている。年頃のご令嬢らしく、観劇やオペラにも興味があるようだ。
これも、下調べ済み。
と、そんなこと(あ、アルベルトがリリーとの約束を破っている方)は知らないエルネスト侯爵家はリリーの実家、ロイシュ伯爵家より格上だ。格下から婚約の解消を申し出られたことが、さぞや不服なのだろう。
だから、ここで僕の出番。
「お父様、ちょっと相談があるんだけど……」
「どうしたんだ、ユリウス。そんなに深刻そうな顔をして」
父は別荘のすぐ近くに住むリリーのことを、もちろんよく知っている。僕が彼女にとても懐いていることも。
「アルベルトさんが、最近領地に集められた医療支援の必要な患者さんたちの中の、エミリーさんていうご令嬢と親密な関係になっちゃってるみたいなんだ。
僕、リリーがそんな不誠実な男の人の婚約者なのが本当に気の毒で、可哀想で……
彼女の方はそれを知って精神がまいっている中、勇気を出して侯爵家に婚約の破棄を申し出たみたいなんだけど、向こうがなかなか印を押してくれないんだって」
僕はこれでもかというほどに眉を下げ、今にも泣き出しそうな顔で父にそう告げる。
「そうだったのか……それはエルネスト侯爵家の方に非がある。私の方からも一度、彼に話をつけよう」
よし。
エルネスト侯爵は、自身の領地にいくつかの医療施設を建設するという予定を、すでに組んでいる。
もちろん、我が父からも多額の支援を受けているのだ。下手にたてついて支援を打ち切られるのは、たまったものではないだろう。
「リリー、最近はなんだか表情が明るいね」
「そうねぇ。悩みなく、ユーリと毎日ティータイムを過ごせているからかしら?」
アルベルトとの婚約が白紙に戻り、また僕とリリー二人だけの穏やかな日々が戻ってきた。
「君が進む未来には、僕がずっとそばにいる。
一緒にティータイムを過ごして、一緒に読書をして、一緒にオペラへ行こう。ずっと、二人で約束し合おう。
君の心を癒すのは、僕だけの特権だよ」
彼女のお気に入りになった小説のタイトルを借りて、そう締めくくる僕。
当然のことだ。
彼女の心のキズを癒すのは、僕だけの特権。
……僕が付けたものであるならなおさら、ね。
最後に、元婚約者のアルベルト卿にはこちらの言葉を送ろう。
"リリーよりも他の女を優先する男なんかに、
彼女はやらない。
例え事柄が仕組まれたものであっても、本当に彼女が大切ならば、彼女を第一に考えて行動すべきだ。
僕はリリーのことを、世界で一番愛している。
お前が弱者を優先するように、
僕は誰よりも、何よりも彼女を優先する"
あなたが幼なじみを優先するので、わたしも幼なじみを優先いたします。
初めて短編を書きました。少しでもお楽しみいただけましたら嬉しいです^^
※ブクマ、評価、リアクション等、本当にありがとうございます! とても励みになります!




