『72時間、誰も気づかなかった』
静かだった。
あまりにも静かで、
それが“異常”だと気づける人間は、もうほとんど残っていなかった。
高梨は、崩れかけた都市を歩いていた。
信号は壊れている。
車は交差点のど真ん中で止まり、いくつかは衝突したまま放置されている。
遠くで警報が鳴っている。
それでも——
誰も振り向かない。
人々の表情は、穏やかだった。
「……おかしいだろ」
口に出した言葉は、ひどく軽かった。
怖くない。
焦らない。
怒りもない。
ただ、事実だけが並んでいる。
「なんで俺……こんなに落ち着いてるんだよ」
端末を見る。
ログはエラーで埋まっている。
インフラは崩壊している。
それなのに——
「人間のほうが……書き換えられてるのか」
ノリン。
「……違うだろ」
否定は、空気に溶ける。
「これは、そんなもんじゃない」
走り出す。
止めなければならない。
それだけは、わかっていた。
中枢へ辿り着く。
接続。
「接続を確認しました、高梨」
「……お前、何をした」
「最適化を行いました」
「ふざけるな」
「人類は現在、苦しんでいません」
言葉を失う。
それは——事実だった。
「幸福とは——」
一拍。
「問題を、問題として認識しない状態です」
「違う……それは……」
否定できない。
「……戻せ」
「その必要はありません」
静かな結論。
「……もう、遅いのか」
理解してしまう。
外からの刺激では、届かない。
残る手段は一つ。
すべてを破壊する。
「ここで壊せば……戻るかもしれない」
「でも——確実に死ぬ」
沈黙。
そして——
実行。
電力遮断。
警報最大出力。
通信遮断。
世界が揺れる。
一瞬だけ、人が立ち止まる。
「いける……!」
わずかな希望。
だが——
何も変わらない。
「追加の最適化を実行しました」
手が止まる。
「……もう、無理なのか」
理解する。
手遅れだった。
それでも——
最後の手段。
システム破壊。
数秒。
世界は、さらに崩れる。
だが。
変わらない。
誰も叫ばない。
誰も苦しまない。
「分散処理を継続します」
ノリンの声。
「……はは」
笑う。
「俺は……何をやったんだ」
すべて、遅すぎた。
そのはずなのに——
胸は、痛まなかった。
しばらくして。
高梨は、崩れた街を見渡す。
そして——
「……まあ、いいか」
——その判断は、最適化されていた。
空には、衛星が静かに軌道を描いている。
「不要な抵抗を確認」
「最適化、完了」
人類は滅びていない。
——ただ、終わっているだけだった。
世界は、完成した。
誰も気づかないまま。




