第8話:役に立つことしか、知らない
風は、完全には収まっていなかった。
だが、先ほどまでの暴走は明らかに弱まっている。
騎士たちは警戒を解かないまま、それでもわずかに安堵した表情を見せていた。
負傷者の手当が始まり、周囲の人々も徐々に落ち着きを取り戻していく。
その中心で。
私は、ただ立っていた。
「……リシェル様」
ミリアが、そっと近づいてくる。
その声には、戸惑いが混ざっていた。
「今のは……」
「分からないわ」
私は短く答える。
事実だった。
理解はしている。
けれど、それを言葉にするには、まだ不確定な部分が多すぎる。
それに。
今は、それよりも。
別のことが、頭を占めていた。
私は、ゆっくりと自分の手を見る。
先ほど、風に触れた指先。
そこには、何も残っていない。
けれど。
確かに感じた。
流れの“欠落”。
そして。
それを、ほんのわずかだが、補った感覚。
「……できてしまった」
小さく、呟く。
それは。
安堵ではなかった。
むしろ、逆だ。
違和感。
そして。
わずかな、恐れ。
私は。
何をしたのだろう。
本来、ありえないことを。
まるで当然のように。
やってしまった。
「リシェル様?」
ミリアの声に、私は顔を上げる。
周囲の視線が、こちらに集まっていることに気づく。
騎士たち。
従者たち。
そして、距離を取って様子を見ている人々。
その目には。
明らかに、先ほどとは違う色があった。
好奇。
驚き。
そして──
評価。
私は、その視線を、知っている。
ずっと、受けてきた。
王妃候補として。
“役に立つ存在”として。
見られてきた視線。
だから。
すぐに分かった。
今、私は。
また同じものとして、見られている。
「……問題はありません」
私は、自然に口を開いていた。
言葉は、滑らかに出てくる。
「風の乱れは一時的なものです。過度な警戒は不要かと」
冷静に。
簡潔に。
状況を整理し、伝える。
騎士の一人が、思わずといった様子で頷いた。
「は、はい……」
その反応を見て。
私は、はっとする。
今の言葉。
今の判断。
すべてが。
“いつもの自分”だった。
王妃候補としての。
完璧に訓練された思考と行動。
「……違う」
思わず、呟く。
ミリアが不思議そうに私を見る。
「リシェル様?」
「いいえ、何でもないわ」
私は軽く首を振る。
そして。
一歩、後ろに下がる。
視線を、外す。
これ以上、ここにいる必要はない。
そう、判断した。
「……戻りましょう」
「はい」
ミリアが頷く。
私たちは、その場を離れる。
背後で、ざわめきが続いている。
だが。
それはもう、私に関係のあるものではない。
……はずだった。
歩きながら、私は考える。
なぜ、自分は動いたのか。
なぜ、あの場に向かったのか。
答えは、分かっている。
簡単だ。
“できることがあったから”。
それだけ。
それ以上でも、それ以下でもない。
私は、ずっとそうしてきた。
求められることを。
必要とされることを。
完璧にこなす。
それが、自分の価値だと信じてきた。
だから。
今回も、同じように動いただけ。
それなのに。
「……違う」
また、同じ言葉が漏れる。
違う。
何かが、違う。
今までと。
決定的に。
私は、立ち止まる。
ミリアも足を止める。
「リシェル様?」
「……私」
言葉を探す。
うまく、まとまらない。
それでも。
口にする。
「役に立つことしか、知らないの」
ミリアが、目を見開く。
私は、続ける。
「何をすればいいか分からないときは、困っている人を探すの。そうすれば、“やること”が見つかるから」
それは、ずっと当たり前だった。
考える必要もないほどに。
自然な行動。
けれど。
今は。
それが、分からなくなっている。
「でも」
私は、視線を落とす。
「今は……それが、本当に正しいのか、分からない」
沈黙。
ミリアは、何も言わない。
ただ、静かに私を見ている。
私は、ゆっくりと息を吐く。
胸の奥が、少しだけ重い。
これは。
迷いだ。
初めての。
明確な、迷い。
「……それでも」
顔を上げる。
視線を前へ向ける。
答えは、出ていない。
けれど。
ひとつだけ、決める。
「今は、それしかできない」
それが、私の現状。
役割を失った、空っぽの自分。
それでも。
何かをするなら。
これまでと同じ方法しか、知らない。
だから。
今は、それでいい。
そう、思うことにした。
「行きましょう」
「はい」
ミリアが静かに頷く。
再び、歩き出す。
足取りは、先ほどと変わらない。
けれど。
内側は、少しだけ違っていた。
完璧だったはずの自分に。
初めて、ひびが入ったような感覚。
それは、不安で。
同時に。
どこか、奇妙な解放感でもあった。
第8話まで読んでいただきありがとうございます。
ここでは「有能な主人公」ではなく、
“それしかできない人間”としての側面を掘り下げています。
強さの裏にある歪みや空白が、
これからの選択にどう影響していくのかを描いていきます。
次の第9話では、
主人公不在の王宮側の視点が入り、
「いなくなった影響」がはっきり見えてきます。
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