第4話:私は、役目を終えたのですか?
扉を叩く音は、控えめだった。
三度。
規則正しく。
「……どうぞ」
私がそう言うと、ゆっくりと扉が開く。
入ってきたのは、父だった。
アークライト公爵。
この国でも有数の権力を持つ人物。
そして──私の、父親。
「……リシェル」
その声は、いつもと変わらない。
厳格で、無駄のない響き。
けれど。
どこか、距離があった。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
私は一礼する。
完璧な角度で。
完璧な速度で。
それが、染み付いている。
父は、部屋を見渡した。
すでに半分以上の荷物が片付けられている。
何も言わず、ゆっくりと歩み寄る。
「体調は」
「問題ございません」
短いやり取り。
必要最低限。
それ以上は、求められていない。
父は、私の前で足を止める。
そして、まっすぐに私を見た。
「……今回の件については、理解しているな」
「はい」
私は即答する。
「王太子殿下のご判断であり、王家の意向です」
「そうだ」
間を置かずに返ってくる。
そこに、感情はない。
ただ、事実の確認。
「我が家としても、これ以上の関与は望まない」
淡々と告げられる。
予想していた言葉。
けれど。
実際に聞くと。
胸の奥が、わずかに軋んだ。
「……では」
私は、言葉を選ぶ。
「今後の、私の処遇についてお伺いしても」
父は一瞬だけ、目を細めた。
そして、答える。
「本邸に戻る必要はない」
「……承知いたしました」
想定内。
私は、王妃候補として王都に置かれていた。
その役割を失った以上、本邸に戻る意味はない。
むしろ。
戻れば、無駄な軋轢を生む。
「辺境の管理領に、空きがある」
父は続ける。
「そちらに移れ」
命令。
提案ではない。
「必要最低限の支援は行う。それ以上は、自らの裁量で対処しろ」
「はい」
それで、すべてだった。
説明も、慰めも、ない。
ただ。
役割が変わった。
それだけ。
私は、頭を下げる。
「ご配慮、感謝いたします」
形式通りの言葉。
父は、わずかに頷く。
そして。
それ以上、何も言わずに踵を返した。
扉が閉まる。
静寂。
残されたのは、私ひとり。
私は、しばらく動かなかった。
何も、感じない。
そう思っていた。
けれど。
ふと。
足元が、わずかに揺らいだ気がした。
「……あ」
声が漏れる。
私は、壁に手をつく。
視界が、わずかにぼやける。
呼吸が、浅い。
おかしい。
体調に問題はないはずだ。
そう答えたばかりなのに。
それなのに。
立っているのが、少しだけ、難しい。
私はゆっくりと椅子に腰を下ろす。
指先が、震えている。
これは、何だろう。
恐怖?
違う。
悲しみ?
それも、違う。
もっと、曖昧で。
もっと、空虚な。
「……何も、ない」
ぽつりと、呟く。
胸の中が。
空っぽだ。
怒りも、湧かない。
悲しみも、はっきりしない。
ただ。
何かが、抜け落ちている。
今まで、自分を支えていたものが。
ごっそりと。
消えている。
それが、何なのか。
私は、ようやく理解する。
「……役目」
そうだ。
私は。
役目として、生きてきた。
王妃になるために。
そのためだけに。
すべてを積み上げてきた。
そして。
その役目が、今。
消えた。
だから。
中身が、ない。
空っぽなのだ。
「……私は」
言葉が、続かない。
問いが、浮かぶ。
これまで一度も、考えたことのなかった問い。
役目を失った私は。
何者なのか。
答えは、出ない。
出るはずがない。
私は、その問いを。
一度も、自分に向けたことがなかったのだから。
静寂が、重くのしかかる。
時間が、ゆっくりと流れる。
窓の外では、風が揺れている。
さきほどまで止まっていたはずの空気が。
今は、何事もなかったかのように。
動いている。
その光景が。
妙に、遠く感じられた。
「……私は、役目を終えたのですか?」
誰にともなく、問いかける。
答えは、返ってこない。
ただ。
静かに。
確実に。
何かが、終わったことだけが。
そこにあった。
第4話まで読んでいただきありがとうございます。
ここからは「外の異常」ではなく、
主人公自身の“内側の喪失”にフォーカスしています。
強い主人公ではなく、
「役割を失った人間がどうなるか」を描いていきます。
もし共感できる部分や続きが気になる部分があれば、
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次話では、外側の異常と内面が少しずつ繋がっていきます。




