第2話:完璧な王妃候補の失格理由
「──下がりなさい」
短く、そう告げられた。
私は深く一礼し、その場を辞す。
背を向けた瞬間、視線の質が変わるのが分かった。
先ほどまでの“観衆”としての視線ではない。
もっと直接的な、好奇と評価の混ざった視線。
──あれが、婚約を破棄された女か。
言葉にはならない声が、背中に刺さる。
けれど、私は歩みを止めない。
歩幅も、速度も、すべて規定通り。
最後まで、王妃候補として。
それが、私の役目だから。
大広間を出て、長い回廊へと入る。
扉が閉まった瞬間。
──音が、消えた。
先ほどまであれほど喧騒に満ちていた空間が、嘘のように遠のく。
残るのは、自分の足音だけ。
硬質な石の床に、規則正しく響く。
その音を聞きながら、私はようやく。
思考することを許された。
婚約破棄。
その言葉の意味を、ひとつひとつ分解していく。
王太子アルトリウス殿下との婚約は、十年前に結ばれた。
政治的な意味合いを含むものだったが、それでも。
私は、それを受け入れた。
いや。
受け入れるしかなかった。
それが、私の生まれ持った役割だったから。
アークライト公爵家の長女。
王家を支える家系。
そして私は、その中でも最も“適した”人間として育てられた。
礼法は完璧。
外交交渉においても実績あり。
王都の貴族社会における影響力も、十分。
──欠点は、ないはずだった。
少なくとも。
“王妃候補としては”。
それなのに。
「……理由が、成立していない」
思わず、声に出る。
聖女の存在。
それは確かに、重要だ。
この国において、聖女は“加護”をもたらす存在。
しかし。
それだけで、婚約を破棄する理由にはならない。
むしろ。
王太子と王妃候補、そして聖女。
それぞれの役割は、本来、分離しているはずだ。
なのに。
今日のあの場では、まるで。
聖女が“すべてを代替する存在”であるかのように扱われていた。
ありえない。
理論的に、成立しない。
それなのに。
殿下は、迷いなくそれを選んだ。
──いや。
本当に、迷いはなかったのか?
私は、足を止める。
回廊の窓から差し込む光が、床に長く伸びている。
その光の中に、自分の影が落ちていた。
細く、まっすぐな影。
揺らぎのない、それは。
まるで、私自身のようだ。
規定通りに作られた存在。
「……おかしい」
再び、呟く。
殿下の言葉。
あの視線。
そして、あの一瞬の空気の停止。
すべてが、どこか噛み合っていない。
まるで。
無理やり組み替えられたような。
そんな違和感。
「リシェル様」
背後から声がかかる。
振り返ると、侍女の一人が立っていた。
見慣れた顔。
幼い頃から仕えてくれている、ミリアだ。
「お部屋のご用意が整っております」
いつも通りの、丁寧な口調。
けれど、その目の奥に、わずかな動揺が見えた。
「……ありがとう」
私は頷く。
歩き出す。
ミリアが一歩後ろについてくる。
その距離も、いつも通り。
完璧に保たれている。
それなのに。
「ミリア」
「はい」
「……風を、感じましたか?」
一瞬、沈黙。
彼女は、わずかに首をかしげる。
「風、でございますか?」
「ええ。先ほど、大広間で」
私は言葉を選びながら続ける。
「あの瞬間、空気が止まったように感じたのです」
ミリアは、困ったように微笑んだ。
「申し訳ございません。私は特に、そのようなことは……」
「そう」
やはり、か。
誰も気づいていない。
あの異常に。
あれは、私だけが感じたものなのか。
それとも。
気づける者が、限られているのか。
分からない。
分からないが。
ひとつだけ、確かなことがある。
あの瞬間。
何かが、変わった。
決定的に。
そして、その変化は。
私に、関係している。
そうでなければ、説明がつかない。
私は、歩きながら、静かに思考を巡らせる。
感情は、まだ出てこない。
怒りも、悲しみも。
ただ、空白がある。
長年積み上げてきたものが、一瞬で失われた。
それなのに。
その喪失すら、まだ実感できていない。
空っぽだ。
自分の中が、空洞になっているような。
「……リシェル様?」
ミリアの声が、わずかに不安を帯びる。
私は立ち止まる。
振り返る。
そして。
ふと、思った。
私は。
これから、何をすればいいのだろう。
王妃候補としての役割は、終わった。
では。
その役割を失った私は。
何者なのか。
答えは、ない。
これまで一度も、考えたことがなかった。
必要がなかったから。
私は、ただ。
与えられた役割を、完璧にこなしてきただけだから。
「……大丈夫です」
私は、微笑む。
完璧な、微笑み。
「少し、考え事をしていただけです」
そう言って、再び歩き出す。
足取りは、乱れない。
背筋も、伸びている。
何一つ、変わっていない。
外から見れば。
けれど。
内側は、確実に。
何かが、崩れ始めていた。
第2話まで読んでいただきありがとうございます。
ここでは「なぜ婚約破棄が起きたのか」ではなく、
「何が噛み合っていないのか」という違和感を積み重ねています。
第3話では、この違和感が“目に見える形”で現れます。
もし少しでも続きが気になると感じていただけたら、
ブックマークや評価をいただけるととても嬉しいです。
ぜひ次の展開も楽しみにしていただければと思います。




