第15話:王妃ではない私で、生きる
馬車は、静かに進んでいた。
王都を離れ、すでに数刻。
景色は完全に変わっている。
整えられた街路は消え、代わりに広がるのは、荒れた大地とまばらな集落。
空は、やはり歪んでいた。
だが。
王都にいたときとは、少し違う。
歪みはある。
しかし、それは均一ではない。
場所によって、濃淡がある。
強いところと、弱いところ。
その差が、はっきりと見えていた。
「……分布している」
私は、小さく呟く。
ミリアが、隣で頷く。
「はい。先ほどの崩落地点付近は、特に強かったかと」
「ええ」
私は目を細める。
つまり。
この異常は、均一ではない。
“流れ”の乱れとして、偏りを持っている。
それは。
制御の余地がある、ということ。
「……やれることは、あるわね」
自然と、言葉が出る。
今までは。
“どうするべきか”を考えていた。
けれど、今は違う。
“何ができるか”を考えている。
その違いは、小さいようで。
決定的だった。
馬車が、小さく揺れる。
そして、ゆっくりと止まった。
「……どうしたの?」
私は顔を上げる。
御者の声が聞こえる。
「前方の村から、救援の要請です!」
私はすぐに扉を開ける。
外へ出る。
そこには、小さな村があった。
簡素な家々。
痩せた土地。
決して豊かとは言えない場所。
その村の中央で。
人々が集まっている。
不安げな顔。
疲れた表情。
そして。
何かに、怯えている様子。
「……何が起きているの」
私が近づくと、ひとりの老人が前に出る。
「風が……おかしいのです」
かすれた声。
「作物が、倒れ……水も、うまく流れず……」
私は、周囲を見る。
確かに。
風は乱れている。
一定しない。
畑の作物も、方向を持たずに揺れている。
水路も、不自然に滞っている。
王都で見た異常の、縮小版。
だが。
確実に、同じものだ。
「……分かったわ」
私は静かに言う。
「少しだけ、待っていて」
村人たちが、不安そうに見守る中。
私は、ゆっくりと歩き出す。
中心へ。
流れが最も乱れている場所へ。
そして。
立ち止まる。
目を閉じる。
呼吸を整える。
感じる。
流れを。
歪みを。
欠けた部分を。
それは。
やはり、同じだった。
王都で感じたもの。
あの崩落地点で触れたもの。
それと、同じ。
ならば。
やることは、変わらない。
私は、手を伸ばす。
空気に。
流れに。
触れる。
そして。
ほんのわずかに。
整える。
その瞬間。
風が。
変わった。
強くもなく。
弱くもなく。
ただ。
“流れ”を取り戻す。
作物が、同じ方向に揺れる。
水が、静かに流れ出す。
空気が、落ち着く。
「……あ」
誰かが、声を上げる。
村人たちが、目を見開く。
驚きと。
戸惑いと。
そして。
わずかな、希望。
私は、手を下ろす。
完全ではない。
時間も、限られている。
けれど。
確かに。
変わった。
「……これで、しばらくは持つわ」
私は静かに言う。
老人が、震える声で尋ねる。
「あなたは……一体……」
その問いに。
私は、少しだけ考える。
以前の私なら。
こう答えていただろう。
“王妃候補”だと。
あるいは。
“アークライト公爵家の娘”だと。
けれど。
今は。
違う。
「……通りすがりよ」
私は、そう答えた。
それは。
事実だった。
役割も、肩書きもない。
ただ。
ここを通りかかっただけの人間。
けれど。
それでいいと、思えた。
老人が、深く頭を下げる。
周囲の人々も、それに続く。
「ありがとうございます……」
その言葉を。
私は、静かに受け止める。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
それは。
これまで感じたことのない感覚だった。
役割としての評価ではない。
必要とされたからでもない。
ただ。
目の前の誰かを、助けた結果としての言葉。
「……行きましょう」
私は、ミリアに声をかける。
馬車へ戻る。
再び、進み始める。
その後ろで。
村は、少しだけ落ち着きを取り戻していた。
私は、窓の外を見る。
歪んだ世界。
崩れかけた流れ。
けれど。
それは、すべてではない。
整えられる部分もある。
変えられるものもある。
そして。
それを。
自分は、できる。
「……王妃ではなくても」
小さく、呟く。
誰にも聞こえない声。
けれど。
確かな、言葉。
「できることは、ある」
それが。
今の私。
役割を失った。
空っぽだったはずの自分。
けれど。
その空白に。
少しずつ。
新しい何かが、満ちていく。
私は、前を向く。
もう、迷いはない。
進む道は、自分で決める。
選ばれるのではなく。
選ぶ。
その先に。
どんな未来があるのかは、分からない。
けれど。
それでもいい。
私は。
私として、生きる。
王妃ではない。
誰かのための存在でもない。
ただ。
自分の意思で、進む。
その人生を。
これから、始める。
第1章ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
ここで主人公は、
「王妃候補としての人生」を完全に終え、
“自分で選ぶ人生”へと踏み出しました。
そしてこの物語は、
ここから「再出発」ではなく、
「世界そのものを作り直す物語」へと進んでいきます。
少しでも「続きを読みたい」と思っていただけたら、
ブックマークや評価をいただけるととても励みになります。
第2章では、
辺境での本格的な再構築と、
主人公の新しい立場が描かれていきます。
ぜひ楽しみにしていただけたら嬉しいです。




