第10話:婚約は、ただの約束ではない
出発は、予定よりも早まった。
王都の門を抜ける。
振り返らない。
それが、自然だった。
見ても、何も変わらないから。
馬車は静かに進む。
石畳から土の道へ。
整えられた景観から、徐々に荒れた風景へと変わっていく。
その変化を、私はただ眺めていた。
「……リシェル様」
向かいに座るミリアが、遠慮がちに声をかける。
「少し、お休みになられては」
「大丈夫よ」
私は首を振る。
疲労は、感じていない。
それよりも。
思考の方が、忙しかった。
私は膝の上に広げた書物に視線を落とす。
古い記録。
王家の歴史。
そして。
“契約”に関する記述。
「……やはり」
小さく、呟く。
読み進めるほどに、確信が強まっていく。
婚約。
それは、単なる結婚の約束ではない。
王と王妃。
その組み合わせによって成立する“循環”。
それは。
この国の自然環境や社会構造にまで影響を与える。
──と。
そう、書かれている。
「……信じがたいわね」
思わず、言葉にする。
ミリアが、わずかに首をかしげる。
「何がでございましょうか」
「この記述よ」
私は書物を軽く持ち上げる。
「婚約が成立することで、加護の流れが安定する……とある」
「……そのようなことが」
「本来は、象徴的な意味として扱われているわ」
私は続ける。
「けれど、もしこれが事実だとしたら」
一度、言葉を切る。
視線を窓の外へ向ける。
遠くの空が、わずかに歪んでいるのが見える。
「……説明がつく」
あの異常。
風の乱れ。
空の歪み。
そして、王宮のズレ。
すべてが。
ひとつの原因に収束する。
「……つまり」
ミリアが慎重に言葉を選ぶ。
「婚約破棄が、影響していると?」
「断定はできない」
私はすぐに否定する。
だが。
「可能性は高いわ」
それが、現時点での結論だった。
馬車が、揺れる。
道が悪くなってきた証拠だ。
王都から離れつつある。
その実感が、少しずつ強まる。
私は書物を閉じる。
思考を整理する。
もし。
本当に、婚約が“機能”していたとしたら。
それはつまり。
私と王太子。
その関係が。
この国の安定の一部だったということになる。
そして。
それが、断たれた。
ならば。
今起きている異常は。
必然だ。
「……でも」
私は、眉をひそめる。
ひとつ、疑問が残る。
「なぜ、私は感じ取れるのかしら」
ミリアが、視線を上げる。
「……それは」
「他の誰も、気づいていない」
私は続ける。
「少なくとも、あの場では」
風が止まった瞬間。
空が歪んだとき。
誰も、異常として認識していなかった。
それなのに。
私は、はっきりと感じた。
違和感を。
欠落を。
「……中心にいたから、ではないでしょうか」
ミリアが、静かに言う。
「中心?」
「はい。リシェル様は、その……」
一瞬、言葉に詰まる。
だが。
すぐに続ける。
「その仕組みの中で、最も重要な位置にいらしたのではないかと」
私は、目を伏せる。
その言葉は。
的を射ていた。
王妃候補。
それは、単なる肩書ではない。
役割。
機能。
そして。
“必要な存在”。
そう、位置づけられていた。
だからこそ。
切り離された今も。
その影響を、感じ取れている。
「……皮肉ね」
小さく、笑う。
役目を失ったからこそ。
その役目の意味を、初めて理解する。
それは。
あまりにも。
遅すぎる理解だった。
馬車が、大きく揺れる。
そして。
急に、止まった。
「……どうしたの?」
私は顔を上げる。
御者の声が、外から聞こえる。
「申し訳ありません、前方で道が崩れております!」
「崩落?」
私は眉をひそめる。
この程度の距離で、そんな報告は珍しい。
「はい、突然のことで……」
私は扉を開ける。
外へ出る。
風が、強い。
だが。
その流れが、やはりおかしい。
一定しない。
揺らいでいる。
前方を見る。
道が、崩れていた。
土が不自然にえぐれ、通行できない状態になっている。
それだけではない。
周囲の木々も、根元から歪んでいる。
まるで。
内側から引き裂かれたかのように。
「……これは」
私は、ゆっくりと近づく。
地面に手を触れる。
冷たい。
だが。
その下に。
何かが、乱れている。
流れが。
途切れている。
「……やはり」
確信する。
これは。
単なる自然災害ではない。
原因は。
同じ。
私は立ち上がる。
空を見上げる。
歪みは、さらに広がっている。
このままでは。
確実に。
取り返しのつかないことになる。
「……急がなければ」
小さく、呟く。
これはもう。
仮説ではない。
現実だ。
そして。
この問題は。
誰かが解決しなければならない。
その“誰か”が。
誰なのか。
私は、まだ答えを出していない。
けれど。
ひとつだけ、分かっていることがある。
このままでは。
終わる。
この国は。
静かに。
確実に。
第10話まで読んでいただきありがとうございます。
ここから「婚約=契約」という核心に入り始めました。
ただの違和感ではなく、
“国家の仕組みそのもの”が崩れている可能性が見えてきています。
次の話では、
この異常がさらに具体的な形で現れ、
「止められない流れ」であることが明確になっていきます。
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