第1話:婚約破棄は、祝宴の中で
この作品は「婚約破棄もの」ですが、
いわゆる恋愛ざまぁだけで終わらず、
・なぜ婚約が必要だったのか
・なぜ外れたら世界が崩れるのか
・どうやって立て直すのか
という“世界の仕組み”そのものに踏み込んでいきます。
序盤は静かに始まりますが、
途中から一気にスケールが広がっていきます。
少しでも気になったら、ぜひ先まで読んでみてください。
「──よって、君との婚約を破棄する」
その言葉は、あまりにも静かに落ちた。
しかし、次の瞬間には、祝宴の大広間がざわめきに包まれていた。
金の燭台に灯る無数の炎。磨き上げられた白大理石の床。天井を彩るフレスコ画。
王都でもっとも華やかな夜会。その中心で、私は立っている。
いいえ、立たされている。
視線が、刺さる。
貴族たちの好奇と嘲笑、そしてわずかな同情。
それらすべてを、私は正面から受け止めていた。
逃げ場はない。
目の前には、この国の王太子──アルトリウス殿下。
そして、その隣には。
「リシェル・アークライト。君はもう、王妃候補ではない」
淡々と、告げられる。
その声音には、迷いがない。
いや。
──違う。
私は、違和感を覚えていた。
殿下はこんな声で話す人ではない。
もっと慎重で、言葉を選ぶ人だったはずだ。
けれど、今は。
まるで誰かに急かされるように。
「殿下……理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
私は礼を崩さずに、問いかける。
この場で感情を見せることは許されない。
私は、王妃となる者として育てられてきたのだから。
そう。
それが、私のすべてだった。
幼い頃から、礼法、政治、歴史、外交、財政。
笑顔の角度ひとつにまで意味を与えられ、私はここまで来た。
すべては、この瞬間のために。
王妃になるために。
それなのに。
「理由、だと?」
殿下は、わずかに眉をひそめた。
その隣で、ひとりの少女が、私を見ている。
白銀の髪。
澄んだ瞳。
まるで光をまとっているかのような、存在感。
──聖女。
最近、王都に現れたという“奇跡の存在”。
彼女が、一歩前に出る。
「殿下を責めないでください」
柔らかな声。
しかしその言葉は、私を切り捨てる刃だった。
「リシェル様は、とても立派な方です。けれど……」
一瞬の間。
その間が、やけに長く感じられた。
「殿下には、もっとふさわしい方がいらっしゃるのです」
ざわり、と空気が揺れる。
誰もが、その意味を理解した。
──自分のことを言っているのだと。
私は、ただ静かに立っていた。
感情は、ない。
あるはずがない。
だって、私は。
感情よりも、役割を優先するように育てられてきたのだから。
「そういうことだ」
殿下が、言い切る。
「聖女である彼女こそ、この国にふさわしい存在だ。君ではない」
その言葉に、拍手が起こった。
まばらに。
そして次第に、大きく。
誰かが手を叩き、それに続くように、貴族たちが応じていく。
祝福の音。
──いいえ。
これは、私の終わりを告げる音だ。
それでも私は、礼を崩さない。
ただ、深く息を吸って。
「……承知いたしました」
声は、震えていない。
完璧だった。
それが、少しだけ滑稽に思えた。
すべてを捧げてきた結果が、これなのだから。
けれど。
それでも私は、最後まで王妃候補として振る舞う。
「長きにわたり、お仕えできたことを光栄に思います」
形式通りの言葉。
けれど、その一つひとつが、胸に刺さる。
私は頭を下げる。
視界が床へと落ちる。
そのときだった。
──ふ、と。
風が、止んだ。
違和感。
この広間は密閉されているが、完全ではない。
どこかから、わずかな空気の流れがあるはずだ。
なのに。
今、完全に。
空気が、動いていない。
静寂。
音も、気配も、何かが一瞬、切り離されたような感覚。
私は、顔を上げる。
誰も、気づいていない。
笑い、囁き、拍手。
すべてが続いている。
なのに。
この違和感は、なんだろう。
胸の奥が、ざわつく。
まるで──
何かが、失われたような。
あるいは。
何かが、切り離されたような。
私は、無意識に胸元へと手を当てていた。
そこには、何もない。
いつも感じていたはずの、何かが。
今は、ない。
「……ありえない」
思わず、呟く。
けれど、その声は誰にも届かない。
祝宴は続いている。
新しい婚約の誕生を祝うかのように。
その中心で。
私はただ、立ち尽くしていた。
──何かが、確実におかしい。
けれど、それが何なのか。
このときの私は、まだ知らなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この物語は「婚約破棄からのざまあ」だけではなく、
少しずつ“何かがおかしい世界”が見えてくる構造になっています。
第3話で、今回の違和感の意味が少しだけ見えてきます。
もし「続きが気になる」と思っていただけたら、
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当面の間は1日3話を投稿予定です。
ぜひ見守っていただけたら嬉しいです。




