生成
順調に攻略が進み、第三層に繋がる階段を発見した。
「ここまで重傷者を出さずに進むことができた。願わくば、このまま犠牲を出さずに帰還したいものだな」
「そうですね。向こうが大きく作戦を変えてこなければいいのですが」
「君は、迷宮にも意思があると?」
「分かりませんが、あってもおかしくはないかと」
「そうか。ならば、加減をしてもらえるよう頼んでみるか」
クラウスの軽口に苦笑する。話して解決するなら冒険者はいらないな。
第三層に降りた瞬間、空気が変わった。
これは、白夜結界によって瘴気が管理されているときの感覚に近い。
(……空気が澄んでる?)
前を歩く騎士が、周囲を見回す。
松明の火が揺れ、粗い岩肌が照らされる。
しかし、魔物の姿は一体も見当たらない。
「魔物が枯れたのか?」
「俺たちが狩りすぎたんだろ」
緊張で固まっていた喉がようやく動き出したように、騎士たちの声が弾む。
拍子抜けするほど静かだ。
一層、二層。群れで押し寄せた狼型の魔物も、虫型の魔物も、槍の列を崩せずに倒れていった。
騎士たちの刃が通った。魔物の傷が塞がらなかった。
それだけで、騎士たちは信じられないものを見る目をしていた。
俺にとっては「当然」の現象でも、ここでは違う。
勇気づけられた騎士たちは勇ましい。
雑魚が何匹襲いかかってきたところで、今の彼らの敵ではないだろう。
しかし、この異質なフロアは嫌な予感しかしない。
瘴気が消え、空気が澄んでいるはずなのに背筋に冷たいものが走る。
(……これは、違う)
瘴気は完全に消えたわけじゃない。
一点に集まっている。
結界の範囲を広げたところ、更に奥の方で浄化できる瘴気があった。
通常、瘴気はフロア全体を満たしている。
それが、一箇所に集まっているということは、一つの事実を示した。
(……フロアボスの生成)
迷宮の奥。壁の向こう。さらに深いところ。
氷柱のように研ぎ澄まされた瘴気がある。
「クラウス団長」
俺は騎士団長の背に声をかけた。
クラウスが振り向く。汗で濡れた額に、松明の光が反射した。
「どうした、フィン」
「部隊の撤退を進言します」
「……撤退?」
周囲の騎士たちがざわつく。
「どういうことだ。魔物はもういない。瘴気はもうなくなったんじゃないか?」
クラウスが眉を寄せる。
「雑魚を作りすぎた。そうしたら勝てなかった。だから――。一体にまとめる。全部を。フロア全体、ありったけの瘴気を……」
喉が乾く。冷たい汗が背中を伝う。
「迷宮がフロアボスを生成しています」
誰かが息を呑んだ音がした。
「腕の立つ者を数名残して、残りは撤退させた方がいい。……じゃないと、大勢命を落とすことになります」
フロアボスは戦闘の最中に成長する。
味方が倒れれば倒れるほど、力を増すのだ。
数で押す作戦は通じない。
クラウスは沈黙した。
その間に、騎士たちの間に不満が渦巻くのが分かる。
「冗談じゃないですよ」
「全員で掛かった方が有利なんじゃないか?」
フロアボスとの戦闘経験がない者は、少数の方が勝率が高くなるという現実を肌で実感できない。
だが、彼は迷わなかった。
「……全員聞け」
鋼のような声が落ちる。
「もし、撤退命令に文句がある者がいれば、私に言え。フィンを信頼し、撤退命令を下すのは私だ」
反発の空気が一瞬で引っ込む。
「ハインツ。レオン。お前たちは残れ」
「了解」
「……承知」
俺の背後にいた二人が短く答えた。
双璧。そう呼ばれる古参の騎士だ。
旅の道中で見た背中は頼りになる。
「残りは負傷者から順に引け。二層まで戻って陣形を組み直せ。治癒と補給を優先」
クラウスは俺に視線を向ける。
「フィン。君も退いてくれて構わない。後は私たちで何とかしよう」
「俺だって残りますよ。結界があればフロアボスを弱体化できる」
俺を信頼してくれた彼を置いてはいけない。
そんなことをして生き残っても嬉しくないからだ。
それに、守りたい人だっている。
今、ここでグランフォードの危険の芽を摘む。
それが最善の選択だ。
クラウスが口元を緩めた。
「……いいだろう。なら、四人で行く」
撤退が始まる。鎧の音が遠ざかっていく。
静まり返った迷宮の三層。俺たちは言葉もなく進んでいく。




