表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宇宙的冒涜さで俺の異世界がなんか違う件について ~ミーム汚染される異世界で冒険とかスローライフとか無理ゲーだった~~  作者: 速水静香


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/19

第七話: 車窓から見える風景は?

 ガタン、ゴトン……。ガタン、ゴトン……。


 古びた電車は、単調なリズムを刻みながら走り続けていた。どれくらいの速さで進んでいるのか、見当もつかない。


 窓の外に目をやっても、比較対象になるようなものが何一つない。

 きさらぎ駅で迎えた、朝靄のような薄暗い空間は直ぐに消えて、今やそこにあるのは、ただの闇。


 インクを限界まで煮詰めて、さらに光を吸い込む性質でも加えたかのような、底なしの黒。星一つ、建物の明かり一つ見えない。

 まるで、世界から切り取られたこの電車だけが、巨大な無の中に浮かんでいるかのようだった。

 車内の天井でチカチカと頼りなく点滅する蛍光灯の明かりが、この宇宙に許された唯一の聖域であるとでも言いたげに、俺たちの姿をぼんやりと映し出していた。


「……本当に、何もないんだな」


 窓ガラスに額を押し付けんばかりにして外を眺めていた俺は、ぽつりとそう呟いた。ガラスの向こうの闇に、疲れ果てた自分の顔が幽霊みたいに浮かんで見える。


「景色という概念が存在しないかのようだ。こんな場所を、この乗り物はどこへ向かって走っているというんだ……」


 俺の隣で同じように窓の外を見ていたセレスが、苦々しげに言った。


「少なくとも、あの『きさらぎ駅』よりはマシでしょう。あのまま留まっていても、事態が好転するとは思えませんでしたから」


 リフィが、静かな口調で言った。彼女はライフルを膝の上に置き、いつでも撃てる体勢を崩していない。


 俺たちが逃げ込んだこの車両は、幸いにも無人だった。だが、扉一枚隔てた隣の車両には、あの顔のない乗客たちが、今も冒涜的なノイズを撒き散らしながら座っている。

 その存在が、壁を通してじわりと伝わってくるようで、どうにも落ち着かなかった。


「そりゃまあ、そうだけどよ。前の車両にいる『アレ』も不気味なら、窓の外も不気味。まさに前門の虎、後門の狼ってやつだな。あ、いや、この場合は前門の電波系、後門の虚無か?」

「よくもまあ、そんな軽口が叩けるものだな、お前は」


 セレスが、心底呆れたという顔で俺を見た。


「いやいや、こういう時こそ、笑ってないとやってらんねえんだよ。シリアスな顔してても、状況が良くなるわけじゃなし」

「……それも、一理あるかもしれんが」


 セレスは納得いかない様子で口をへの字に曲げたが、それ以上は何も言わなかった。

 俺たちは、ひとまず向かい合わせのボックス席に腰を下ろすことにした。クッションは薄っぺらく、座るとギシリと嫌な音がしたが、いつまでも立ったままでは体力がもたない。


「さて、と。とりあえず、状況を整理しようぜ」


 俺は、努めて明るい声で切り出した。


「整理、と言ってもな……。我々は、訳の分からん場所に飛ばされ、訳の分からん化け物に追われ、訳の分からん駅で夜を明かし、今また、この訳の分からん乗り物で運ばれている。整理するまでもなく、八方塞がりではないか」

「うーん、そう言われると身も蓋もないんだけどさ。でも、いくつか分かったこともあるだろ?」

「分かったこと? 何がだ」

「この世界が、俺の知ってる『物語』に、やたらと影響を受けてるってことだよ」


 俺の言葉に、セレスはぐっと押し黙った。『きさらぎ駅』での一件が、彼女の常識を大きく揺さぶったのは間違いない。リフィは、静かに俺の言葉の続きを待っている。


「草原にいた白いモヤモヤは、正直、俺の知識にはなかった。あれは、この世界オリジナルの、純度百パーセントの悪夢なんだろう。でも、『きさらぎ駅』は違った。片足で跳ねる『アレ』も、顔がノイズの乗客も、今こうして電車に乗っていることも、全部、俺が知ってる都市伝説の通りだ」

「……つまり、この空間は、お前の知識が具現化したものだと、本気でそう言うのか?」

「全部が全部、そうだとは言わない。でも、何らかの形で、俺の頭の中の情報が、この世界のルールに干渉してる可能性は、かなり高いと思う」


 俺は自分の立てた仮説を口にしながら、内心でぞっとしていた。もし、俺の思考が現実を侵食しているのだとしたら、俺は歩く災害みたいなものではないか。俺が何か不吉なことを考えただけで、それが新たな悪夢として、この世界のどこかに生まれてしまうのかもしれない。


「……にわかには信じがたい話です。ですが、リュウイチさんの知識が、我々の危機を救ったのも事実。駅での立ち回りや、この電車に乗るという判断も、貴方の知識がなければ不可能でした」


 リフィが、冷静に分析する。


「現時点では、リュウイチさんの持つ『情報』こそが、我々がこの世界で生き延びるための、最も有効な情報であると、そう結論付けるのが妥当でしょう」

「情報、ねえ……。行き先が地獄だと分かってる情報なんて、何の役にも立たないと思うけどな」


 俺は自嘲気味に笑った。


「だとしても、だ。リュウイチ。お前のその『物語』とやらは、どうやって終わるんだ?この電車は、どこへ着く?そこへ行けば、ここから出られるのか?」


 セレスが、藁にもすがるような思いで問いかけてくる。その問いに、俺は首を横に振ることしかできなかった。


「……分からない。俺が知ってる話じゃ、この電車に乗ったやつは、二度と帰ってこれなかった。連絡が途絶えて、それで終わりだ」

「……なんだと?」

「つまり、この電車の行き着く先なんて、誰も知らないってことさ。もしかしたら、終点なんてなくて、永遠にこの闇の中を走り続けるだけなのかもしれない」


 俺の言葉に、車内の空気が、ずしりと重くなった。

 希望的観測を口にすることもできた。だが、この世界で、根拠のない希望ほど残酷なものはない。俺たちは、最悪を想定して、次の一手を考えなければならなかった。


「……永遠に、か」


 セレスが、力なく呟いた。その横顔には、これまで見せたことのないような、深い疲労と、諦めに似た色が浮かんでいた。


「なあ、セレス。あんたはさ、元の……っていうか、ここに来る前の世界に、帰りてえよな?」


 俺は、柄にもなく、そんなことを尋ねていた。


「……当たり前だ。私には、共に戦った仲間たちがいた。守るべき国があった。こんな、道理の通じぬ場所で、犬死にするために生まれてきたわけではない!!」


 セレスは、吐き捨てるように言った。その言葉には、失われた日常への強い執着と、現状への憤りが込められている。


「……騎士団にいたんだっけか。やっぱ、ファンタジーの王道だよな、女騎士ってのは」

「茶化すな。……そうだ。私は、王家に仕える騎士団の一員だった。誇り高い仲間たちと共に、国の平和を守るため、日々剣を振るっていた。あの頃は……それが続くと、信じて疑わなかった」


 セレスは、遠い目をして語り始めた。彼女の脳裏には、かつての仲間たちの顔が浮かんでいるのだろう。訓練場で汗を流した日々、酒場で酌み交わした酒、共に戦場を駆け抜けた記憶。その一つ一つが、彼女にとって、かけがえのない宝物なのだ。


「だが、あの日……あの『白いモヤモヤ』の群れに遭遇して、全てが変わった。私の仲間たちは、次々と……精神を壊されていった。私だけが、偶然、生き残った。いや、見捨てて、逃げたんだ」


 セレスの声が、かすかに震えていた。鎧の下で、彼女がどれほど自分を責め続けてきたのか、その声色だけで痛いほど伝わってくる。


「……だから、私は帰らなければならん。生き残ってしまった者として、あいつらの無念を晴らすためにも。そして、何よりも、あんな冒涜的な存在が、私の故郷を蹂躙するのを、見過ごすわけにはいかないからだ」


 彼女の瞳に、再び強い光が戻っていた。それは、後悔と悲しみを乗り越えた先にある、鋼のような意志の光。こいつは、本当に強いやつなんだな、と俺は改めて思った。


「……リフィは、どうなんだ? あんたにも、帰りたい場所があるんだろ?」


 俺は、今まで黙って話を聞いていたリフィに、視線を移した。


「……私の故郷は、深い森の奥にある、小さな里です」


 リフィは、ぽつり、ぽつりと語り始めた。


「そこは、とても静かで、美しい場所でした。木々は空高くそびえ、清らかな川が流れ、いつも優しい風が吹いていました。私は、そこで生まれ、仲間たちと共に、穏やかな時間を過ごしていました」


 彼女の無表情な顔に、ほんの一瞬だけ、柔らかな光が差したように見えた。それは、郷愁という感情なのだろうか。


「ですが、ある時から、森の様子が少しずつおかしくなっていったのです。動物たちの姿が消え、植物は枯れ、川の水は淀んでいきました。そして、あの『白いモヤモヤ』が現れるようになったのです」

「……あんたの故郷にも、あいつらが?」

「はい。里の者たちは、抵抗しました。ですが、結果は……セレスの騎士団と同じでした。多くの仲間が、心を失いました。私も、故郷を捨てて逃げるしかなかったのです。この銃は、その時に、里の長から託されたものです。いつか、この世界を蝕む元凶を断ち切るために使え、と」


 リフィは、膝の上のライフルを、そっと撫でた。その指先には、俺が今まで見たことのないような、優しい色がこもっているように見えた。


「ですが、この世界を旅するうちに、分かってきました。この世界の異常は、あまりにも根が深い。そして、私の記憶の中にある美しい故郷の光景すら、本当に正しいものだったのか、自信がなくなってきています。もしかしたら、私の記憶そのものが、この世界の狂気に汚染され、都合よく書き換えられたものではないのか、と」


 リフィの言葉は、俺の背筋を凍らせた。

 記憶の汚染。それは、ミーム汚染の、さらに先にある段階なのかもしれない。自分の過去すら信じられなくなる。それほどの恐怖が、この世界には満ちている。


「……二人とも、結構、ヘビーなもん背負ってんだな」


 俺は、天井の蛍光灯を見上げながら、力なく笑った。

 国のため、仲間のため、故郷のため。彼女たちには、戦う理由がある。帰るべき場所がある。

 それに比べて、俺は、どうだ?


「……俺なんて、大した理由、ねえんだけどな」


 俺は、頭を掻きながら言った。


「異世界に行きてえなって、ずっと思ってたんだよ。毎日、同じ時間に起きて、満員電車に揺られて会社に行って、上司に怒られて、夜遅くに帰ってきて、寝るだけ。そんな、色のない毎日が、嫌で嫌で仕方がなかった。だから、剣と魔法の世界で、何かすごいことができるんじゃないかって、夢見てたんだ」

「……」

「でも、いざ来てみたら、これだ。夢見てたファンタジーなんて、どこにもなかった。あるのは、意味不明なルールと、命懸けの鬼ごっこだけ。正直、思ってたのと全然違う。こんな地獄、望んでたわけじゃねえよ」


 俺の本音が、ぽろりとこぼれた。


「でもさ」


 俺は、言葉を続けた。


「でも、あんたたち二人と会って、一緒にここまで来た。訳も分からず引きずられて、死にそうになって、わけのわかんねえ駅で夜を明かして。……正直、最悪だけど、元の世界にいた時より、よっぽど『生きてる』って感じがするんだよな」


 それは、偽らざる本心だった。

 この狂った世界で、俺は初めて、自分の意志で、生きるか死ぬかの選択を迫られている。それは、途方もなく恐ろしいことであると同時に、どこか、倒錯した興奮を伴うものだった。


「だから、俺も、帰りたいかな。元の世界に。あんな退屈な毎日だったけど、今なら、もう少しマシな生き方ができるような気がするんだ。……まあ、帰れたらの話だけどな」


 俺がそう言って笑うと、セレスとリフィは、黙って俺の顔を見ていた。

 セレスの表情は、いつもより少しだけ、柔らかい。

 リフィの瞳には、ほんのわずかだが、温かい色が灯っているように見えた。


 ガタン、ゴトン……。


 電車は、相変わらず、闇の中を走り続けている。

 俺たちは、それぞれの思いを胸に、しばらくの間、ただ、その単調な揺れに身を任せていた。

 過酷な旅の中で、ほんの少しだけ、俺たちの心が通じ合ったような、そんな気がした。


 その、穏やかな錯覚を打ち破ったのは、唐突な出来事だった。


 ――バチッ!


 突然、けたたましい音を立てて、車内の蛍光灯が、一斉に消えた。

 完全な暗闇が、俺たちを包み込む。


「な、なんだ!? 停電か!?」

「落ち着け! 二人とも、私の側に!」


 セレスが叫び、俺とリフィは、声のする方へ、手探りで身を寄せた。

 だが、暗闇は、ほんの一瞬のことだった。


 バチチチ……!


 蛍光灯が、激しく点滅しながら、頼りない光を取り戻す。


 これ、絶対にやばいって!


 頼りない人工光の下、俺たちはどうすることもできずに、その場で警戒するほかになかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ